あいつは言った。
「ふーん、古泉くん、ね。カワイイ?」
全く!
Good bye,my majesty!
何というか古泉は、変なところで処世術に長け、大人びた一面を持っていた。
どうにも記憶が曖昧で、小中高の頃のことはあまり覚えていないけれど、どうやらあいつはここに来る機会をお互いが春休みに突入してからと定めていた節があるようだ。
大学は小中高と違って大きな休みの始まりが他とだいぶ異なっている。既に春休みに入っていた俺は少しでも生活を自立させようと(いつまでも何を考えているかよくわからない森さんに頼ってばかりもいられまい)バイトに明け暮れていたが、そんな俺も吃驚するくらい古泉は実に規則正しい生活を営んでいた。しかし早くに起きたからといって誰かと連絡を取ったり(一応有線の固定電話があるのだが、使ってもいいんだぞと言った俺に古泉は何だか疲れた目線を向け、ため息を吐いてゆるりと首を振った。かわくねぇ!)、遊びに行ったりなどせず、朝食を摂ればすぐに宛がわれた部屋に引っ込んで以降食事のとき以外はトイレに行くか風呂に入るかするくらいしか部屋から出てきやしない。今にきのこが生えてきそうな引き篭もりっぷりたるや、赤の他人である俺まで危惧してしまいそうなほどである。従って俺は古泉の声が自発的にその嫌味な形の良い口から飛び出てくるところをあまり聞いたことがない。精々初対面のときの自己紹介ぐらいだったが、酒精の入った頭はそのときのことを覚えていて下さらなかった。
まあ、バイトで日中家を空けているから、その間にふらりと外に出ているのかもしれんがね。
「お そ い !」
「悪かったな」
「全く、アンタがこんなに遅れるならスケジュールずらすんだったわ!今有希がレジ回してるから、さっさと制服に着替えてきなさい!」
大学でもバイト先でも変わらずがなるあいつをいなし、さっさと倉庫兼更衣室に入る。
有希、というのは同じサークルに所属する古典文学専攻の奴で、長門有希という。あまり喋らない上に表情筋が極端に硬直しているような印象を受けるが、しかしとても該博でサークルの中では一番頼りになる。言っちまえば、何でそんな頭の出来がよろしいくせにこんな中規模大学を選んだのか、動機は不明だ。
動機が不明と言えば、先刻からぎゃんぎゃん姦しいこいつもよくわからん。
涼宮ハルヒ。高校が同じ、三年間クラスも同じ、席が前後していたのも同じという、腐りきった縁を通り越して誰かの陰謀を感じるくらいの足並みの揃いようではあるが、やはりどこにでも不公平さは存在するようで、こいつも授業をストライキして教師を泣かせようがテストではいつも成績上位に食い込む憎い頭を持っている。ただ、長門と違う点は、奴は摩訶不思議な現象が大好きで、人を無理やりサークルに引き込むような、はたまた飲み会の出席を強制するような身勝手さを持つ、とても人間臭い女ということである。高校のときは手当たり次第のべつ幕なしに不思議や超常現象を渇望し、俺を振り回してくださったが、ありがたいことに今はそれもだいぶ落ち着いているようだ。
この二人とは、何の因果かバイト先が被っているのだが…長門がレジ打ち?それはさぞかし客もやりにくいだろうな。早く変わってやらねば。
早々にロッカーへ荷物を叩き込み、厨房を抜けて長門の小さな背中に声をかけようとして、何故だか長門の機嫌が悪いことを彼女の背中越しに気づいた。初めは俺が遅れたからかと戦々恐々鉄槌を覚悟していたのだが、それはどうも違うらしい。長門が無言でレジの前にいる客に向けていた目に浮かぶのは、僅かな敵愾心と警戒の色だった。長門はよほどのことでもない限り、無闇に他人へ厳しい目を向けたりしない。どんな客かと窺い見れば、
「古泉?」
俺の間抜けた声を吹き替えても差し障りない無防備な顔を晒した古泉が長門を透かして俺を見ていた。本屋に立ち寄ったのか、脇にこの近くにある書店の袋が抱えられている。
そういえば俺は、いちいち干渉されるのも嫌だろうと思って、日頃あまり家にいないとだけしか古泉に告げていない。休日や俺がフリーの日は外出する気配なんぞ微塵も感じさせないものだから、てっきり引き篭もり予備軍なのかと危ぶんでいたけれど、ふーん、こいつもこんなファーストフード店なんかに足を運ぶのか。
長門は硝子玉のような目を俺に向け、小首を傾げた。
「…知り合い?」
「ああ、事情があって今預かってるんだ」
「…一緒に住んでるの?」
頷くと、長門の目に険が増した気がした。
それにしても、本当は客がいないときに交代したいんだが、長門の様子じゃそれも何だかよろしくない雲行きだ。一体どうしたんだ長門、背はお前よりでかいかもしれんが、相手は中学生だぞ?
「気をつけて」
長門は古泉に一瞥くれ、そう言って奥に引っ込んでしまった。恐らく得意分野のパソコンで伝票処理なんかの事務作業でもやるのだろう。ほんと、何であいつは文型なんかに在籍しているのかね。エンジニアとか、機械工学の方がよっぽど向いているんじゃないか。
ともあれ長門は何が言いたかったのだろう。気をつけてだって?何に?揚げ物用の油で滑らないようにか?そりゃ、掃除の意味がなくなるくらいに油が跳ね散ってはいるが、バイト始めのときよりかはずっと慣れたつもりなんだぜ?他に一体何を気をつければいいのか、そろそろ頭の悪い俺でも理解できるような説明をしてはくれないだろうか。
「長門有希を手懐けましたか」
「…は?」
「いえ、何でもありません。それより注文をとっていただいてもよろしいですか?」
「え、ああ、どうぞ」
古泉は笑っていた。しかし、それはどこか歪だった。無理に笑ったような、疲れた顔をやや引き締め、口角を上げて目を緩ませただけの、所謂社交辞令用の笑顔と酷似している。生憎大学でそんな顔の必要ない人間に囲まれて温い笑顔だけしか見てきたつもりはない。一応、森さんという先人もいるんだ。世の中自分を好いてくれる善人のみで成り立っているわけじゃないことは知っている。
なあ古泉よ、お前は何にそんな疲れを感じているんだ。中学生なのにそんな顔を身につけるほど、今までのお前の生活は荒んでいたのか。
俺じゃ、お前の兄代わりには、なれないか?
俺は頭にぽんぽん浮かんだ、身勝手で図々しく、傲慢な願いを唾棄し、なるたけ機械的に古泉の注文を聞いていた。おかげで、古泉からかけてきた言葉がどれほど皮肉げで卑屈に満ちていたかなんてのは、すっかり聞き逃してしまったのだが。
一週間。
(機関から与えられた情報で、彼が彼女と同じバイト先にいるのだとは知らされていた。しかし、情報統合思念体の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースまでもがいたとは聞かされていない。そして彼は、涼宮ハルヒと長門有希の正体を知っている素振りはまるでなかった。まさか、彼女が独断的に率先して彼を守ろうとした?ああもしや、彼にそのような人徳があるようには見えないけれども、)
「長門有希を手懐けましたか」
(彼女だけでなく)
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(080325)