全知全能が神とされるなら、それは当然俺を指す言葉じゃない。俺はこんなにも矛盾に葛藤して、ひたすらどうすれば最善の状態になるかを考えている。
 打算計算だらけの俺は、まるで人間じゃないか。(失笑)




昨日みた夢 09




 立ち話も何だからと大義名分をこさえ、僕は彼と近くのファーストフードチェーン店へと連れ立った。僕は喫茶店の方が良かったが、密談(になるのかはその境界がいやに曖昧だ)をするにはあまり落ち着いた場所では適切でないだろう。僕の目論見通り、寄った先のどこにでもありそうな店の中は、部活帰りの学生が客の大半を占めている。僕も彼も運動部といった風体ではないし、それらしい荷物も持ってないし、親しい友人というにはどこかよそよそしい。けれど制服姿が混雑しているこの場で紛れないことはないだろう。僕としてはこういう場所にはほとんど出向かないので居心地の悪さといったらなかったが、流石に悄然としている彼を優先させるべきだ。


「リクエストはありますか?何か適当に頼んできましょう。お金は僕が持ちますから」
「いや、払うよ。お前に借りは作らん」


 皮肉気に笑った彼は、明るい場所で見ると更に青褪めて見える。文句を承知で固い手を掴むと、ひやりとしていた。何だ気持ち悪いと顔をしかめた彼に席を取るのを頼み、僕はレジへ向かう。何か彼に暖かいものを勧めなければ。
 僕はカフェオレを、彼はあまり甘ったるいものを好まないようなので、コーヒーのホットとつまむものを頼み、会計を済ます。レジ打ちのバイトらしき女性が無駄に笑顔を振り撒いていたが、僕の顔が他より彼女らの審美眼に多くを訴えるものだと承知としつつもそれを愛でる気持ちは当面わかりそうにないと僕はある種感慨深く思いながら、若干量の多いポテトの乗ったトレイを受け取った。


「お待たせ致しました」
「…ああ」


 別にお前はここの店員じゃないんだから、そんな改めてかしこまったように言わんでいい、気になるから。と彼は何だか力なく言った。大義そうに体を起こして僕の持っているトレイを一瞥し、そして重心を椅子の背もたれへ移す。彼が眉間に皺を寄せるので不用意に彼へ接触して確認を図ることはしないが、熱もなさそうな様子に一息吐いて、一先ず如何ですかとコーヒーを勧める。彼は僕と紙コップへ視線を何度も行き通わせ、おもむろに小銭を取り出した。
 彼曰く、


「俺の分は払う。アンフェアは好きじゃない」


 相変わらず律儀なものだが、僕はぎょっとした。彼が差し出した小銭の総額は、教えてもいない僕が先刻彼へ買ってきたコーヒーの定価である。端数の消費税まで含まれているのだから、つくづく、彼の顕著になりつつある特殊性に感嘆にも似た気分を味わう。


「あれ、クーポンとか使ってないよな?どうせ言ったってお前は見せてくれないだろうから勝手にレシート読んだけど」
「レシートって…財布の中なんですけど…」
「読んだんだよ」


 僕は思わずげんなりして、彼から小銭を受け取った。彼の異能の無駄遣いについては敢えて言及すまい。


「え、と…お話し頂けますか。あなたのバックボーンとかを」
「そのためにお前は俺をここまで連れてきたんだろ」


 いいさ、そのつもりだったんだから。
 彼はカップを仰ぎ、一息吐いた。顔色は相変わらず芳しくない。しかし疲れて落ち窪んだように翳の差した彼の目は少しだけ和らぎ、変に悲痛なところのある穏やかな視線を僕に向けた。


「俺はいわゆるぺらぺら漫画の隅に描かれた落書きみたいなものだ。この世でひとつの命として、各々のストーリーを作るわけじゃない」


 未来の朝比奈さんも似たような説明をしたな、と彼は懐かしげに目を細めるが、生憎僕はその場にいなかったし、ただでさえ未来からきた彼女を意図せずしてこの時間に生きる人間と同じくした意味合いで呼んだ彼に失笑を禁じ得ない。案の定、何にやついていやがるんだと彼に睨めつけられてしまった。話の腰を折ったことは悪いとは思うが、僕が卒然前振りもなく笑うことに関して、とかく敏感な反応を返す彼がどこか年齢不相応の幼さ(外見はともかく、彼の言い分を鵜呑みにするのなら、それこそ実年齢なんてのは不詳そのものだけれど)を内包していると確認して、ひどく安心した。
 ただ未知を湛えただけのヒトではないのだ。そう再認して僕が何に安堵したのかはこの際話を更に脱線させるに容易いので、口を噤んでおく。


「ハルヒのプロフィールに、言いふらせば黄色の救急車を呼ばれそうなほど奇天烈な特徴を付加したのは確かに俺だ。繰り返し続く時間に変化があればな、って軽い気持ちで、結果的にお前に要らん苦労を強要しちまったのも俺が原因になる」


 いっそ殴られたって文句は言えん立場だと、くしゃりと苦笑いを溢す彼はいつだって決定権を僕たちに譲る。
 彼は長門さんが不具合をきたしたときから、目に見えて今まで以上に僕たちをそれとなく気にかけるようになった。彼曰く、長門さんの不具合を看過しそうになった自分を不甲斐なく思い、何より自分を信頼して選択権を委ねてくれたことにすごく感銘を受けていた事象から、もう少し僕たちに負担を与えず、かつ僕たちに力添えができればと思い至ったらしい。今の状態を取り乱さずに受け入れて、学生生活に従事するだけでも、それがどれほど難しいことかを彼は自覚していない。それが吉か悪しかは知れないが、少なくとも存在を否定しないでいてくれるのがかけがえのない救いだ。


「殴るなんてそんな…。それより、あなたはどうやって涼宮さんにそのような力を与えたのですか?ああ、もちろん、僕に教えても差し支えのない範囲でけっこうですよ」
「…一種の某説にな、高い確率で犯罪を起こす人間の遺伝子情報は、みなどこか似通ってるんだとよ。聞いたことないか?」
「乱暴ですね」
「ああ。科学性も何もかも吹っ飛ばしてる」


 存在自体が些か科学性を超越している彼が、コーヒーをすすりながら至極真面目な顔をして科学性を論ずるのは、失礼ながらとても倒錯的だ。
 世界の一を見ただけで、その気になれば十まで知ることのできる彼は、しかし裁判官よろしく真理についてその一切を漏らすような愚昧を冒すことは絶対しない。人間原理に於いて彼に少しばかり気休としてご教授願えれば良いと思ったのだが、これは流石に高望みであったか。


「その真偽はおいといて、体にそうさせる命令系統が刻み込まれてるって点で俺の言いたいことは片が付く」
「というと、」
「個人が背負うと決められた限界や才能やその他諸々を書き換えることができるって意味さ」
「そ、れは…」


 言葉に窮する。彼は腕を伸ばし、僕の肩をぐっと押した。


「…お前また寝てないな。まあ、俺なんかの言葉より、機関の情報筋の方が確かに確実だったんだろう、さっきまでは」


 なんて寂しげに皮肉を言うのだこの人は。
 彼は僕の肩に置いた手を深呼吸が二、三回できるほどの時間を置いてそっと放す。彼の指先はヒーリング効果でもあるのか、僅かに肩の疲れは取れた。しかし、今までの彼が触れていた話題を考えて、僕は思わず唸る。


「…いつから、僕の疲れを引き受けているんですか、あなたは」


 彼は気付いたことが意外だとでも言うふうに、一瞬目を軽く見開き、一拍置いてだいぶ前からだと告げた。僕は瞠目する。
 そんなに、


「古泉。ハルヒの能力は俺の一存だけで付加されたおまけのようなものだ。あいつの思想は口に出せばちょっと迷惑だが、それに関しては俺に免じて看過してやってくれ。責任は全面的に俺が引き受ける」
「僕の疲労もその責任追求の一端ですか?」


 そんなひとりよがり、それこそ迷惑だ。うっかり熱くなった目頭を堪え、僕は彼を睨む。
 どうしてこんな自虐的なんだ、あなたは。
 彼は目を眇め、僕の視線から逃げるように少し目をそらし、ごちた。


「何回も何通りもの未来を見るとな、気が狂いそうになるんだ」


 幸せそうに笑っている人間が別の未来で地べたに這う様なんて、観たいと思う方がどうかしている。彼は小さく呟いてそっぽを向いた。


(…ああ、)


 未来は結果論ならば一筋の道だが、多岐に渡る選択肢が全てどのような結果に繋がるかを知っている彼からすれば、未来なんてものは木の枝のように広がり、その先で更なる広がりを見せているのだろう。当然、どの未来も幸せな人間しかいないというわけではない。


「ヒトが、好きなんですね…」


 彼の本質は博愛主義に非ず、けれど人の有神論に縛られている内は人を嫌いにもなれない。彼は優しいから。さりげなく、優しさの片鱗を見せてくれるから。







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(080311)