「生まれたときから誰もいない世界で、誰とも話す相手がいない部屋で、ホームドラマを延々と見ざるを得ない辛さなんか」


 お前は知らないだろう。わからないだろう。
 先ほどと一言一句同じなのに、彼の言葉は銀の弾丸のように僕の胸をえぐった。




昨日みた夢 10




 ヒトが好きなんですね。
 恐らく無自覚に溢したであろう、呟きに、俺は古泉をつと見上げた。ヒトが好き、というのは些か語弊がある。この世が善人だけで形成されていないのは自明の理で、当たり前のように悪人だっている上、ややこしいことにその二分のみでカテゴリが成り立っているわけではない。各々ピンからキリまで色々だ。無条件でこいつが悪人こいつが善人と決めてかかるつもりはないが、俺だって好きになれない人間がいるに決まっているだろう。ほら、藤原だっけか、あれはあんまり好きじゃないな。話せば変わるかもしれんが。


「でもそれは、僕たちSOS団に害意があるからでしょう?」


 そうなのか?まあ、そうだとしておこう。渦中のハルヒに巻き込まれさえしなければ関わることのなかったはずの人員だしな。そう思うと再び佐々木との縁が復活したのもハルヒをどうこうしようとしている連中が画策したからか…はっきり言って微妙である。
 佐々木…佐々木ね、元気にしているだろうか。俺のリミッターを完全に外して、尚且つ俺の異状に初めて気付いた人間。あいつの閉鎖空間は便利だな。中に異物が入ればすぐにわかるんだから。


「いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「内容にもよる」
「ではひとつ。あなた自身が神たる存在だと断言した根拠を掴んだのはいつですか?」
「恥ずかしくて聞くに耐えんな、どっかの宗教勧誘でもしてる気分だ」


 話をそらすな、と古泉は俺を睨んだ。けれど、こいつが俺と同じ立場になりかわったなら、二度も言えないはずだぜ。神なんて大仰な他称によるこの羞恥心、思った以上に居た堪れなさと居心地の悪さを誘うのだ。
 しかし、言って良いのだろうか。橘某曰く、古泉のバックボーンの機関とやらがお抱えになる思想の中にある神という名を冠するところのハルヒの役割は、本来ならば佐々木が担うべきとのこと。思想の違いを問題にせずこいつらがわかりあうなんてのは正しく夢物語で、古泉もあまり良い顔はしない、と思う。


「…この世界を俺の好きにいじれると確証を得たのは佐々木の閉鎖空間に入ったときだ。実は四年前から薄々自分の力には気付いてたし、ハルヒの閉鎖空間をたびたび修正したりしてたんだがな」


 ただ、それがお前らの言う神たる所業とは知らなかっただけ。


「わざわざ俺が有機生命として体をこの世界に割り込ませたのは、一歩間違えばこの星をめちゃくちゃにするに及ぶハルヒの力を、一定のレベルで修正するためだったから」
「それがあなたの言う、責任追求というわけですか」
「ああ、まあな」


 それが、今やSOS団の団員を守るために力を費やしている。とんだパラドックスである。うっかり自嘲して零れた笑みを古泉に見られ、 「それもいいじゃないですか」 と微笑まれた。いや、こういうのは本末転倒っていうんじゃ…もしかしなくともハルヒの被害を助長するようなことをしているんじゃないのか、俺は。


「ふたつ目ですが、あなたの状態を知っているのは幾人ほどですか?」
「長門だけだ」
「そうですか…では最後にひとつ。TFEIの急進派に接触を図ろうとした理由をお聞かせ願えますか?」


 長門との会話を盗み聞きでもしたんだろうか、こいつ。ずいぶんいい趣味しているじゃないか。


「不可抗力です」
「は、白々しい」
「それで、あなたは僕へ明確なこたえを、お聞かせ下さるのでしょうか?」


 急進派。朝倉と同じくハルヒを取り巻く人間(さしあたって俺だ!なんていい迷惑だ)を消してハルヒの反応を伺うという、なんとも前衛的かつ危ない主張を主とする奴ら。情報統合と名が付くほどなのだから、賛否両論せめぎあっているようだ。奴らのことを一枚岩ではないと消える直前に朝倉が笑って言ったが、もうちょっと何とかインターフェース?の躾ぐらいしてくれとげんなりする。
 いや、話がまたしても脱線したようだ。


「…大変不本意だが、急進派からまたぞろ殺されかけるのは勘弁だから、急進派の望む情報を与えようと思ったんだ」
「接触したときに始末されるとか、考えなかったのですか」


 あ。
 俺が口からごろりと転がした呟きに、古泉は疲れたような顔で肩を落とした。
 自分の生き死にに頓着があまりないのは、真実、俺はこの体に凶器を突き立てられようと死なないからだ。ただ、意識を縫い止める体が死んでしまえば、俺の意識はまた向こうの世界に消えていってしまうのだ。まるで幽霊か何かになったかのようである。


「…出よう」


 飲み物もつまむ物もなくなって、もうこの店に長居する理由がなくなってしまった。古泉は渋々と言った様子で、けれど率先して立ち上がった。
 道中、道すがら、古泉は俺に言った。


「お疲れのようですから、今日は早めにおやすみになって下さいね」
「お前は俺の生活改善担当か。同じ言葉をそっくりそのままお前に贈ってやる」
「僕のことはどうでもいいんです」
「良くない」


 例え機関の下っ端と豪語しようと、お前はSOS団の人間だ。いつかに共闘したじゃないか(俺は何もできなかったけれど)。何も知らない、わからない、予測すらできない俺に知恵を貸してくれたじゃないか。これでも頼りにしてるんだぜ、我が副団長殿。だからお前に倒れられたら困るんだ。


「光栄、と思って良いのでしょうかね」
「賛辞は素直に受け取っておくべきだ」
「ありがとうございます」
「…俺はハルヒの力が消えるまで、目の届く範囲、手の届く範囲で見守るつもりだから、お前がそこまで奔走しなくていいんだ」


 古泉は傷付いたような顔をした。それを見てから、俺は如何に自分が残忍な言葉を吐いたかを気付く。
 古泉はある意味、ずっと前から、それこそ能力が発露するときから不安定だ。故意に性格を変え、理不尽な機関の命令に従い、それを生きる意義と自分を騙し騙し続けてきたのだ。


「古泉、」
「前にも言いましたよね。僕は機関の人間としてより、今はSOS団の副団長という意識の方が高いと。僕だって、あの居心地の良い場所が大切なんです」


 古泉の言いたいことを測り兼ねて、俺は古泉に見付からないように首を傾げた。


「僕だってあそこを守りたい。あの人たちを守りたいんです。きっと朝比奈さんや長門さんも同じでしょう。事情を把握していない涼宮さんも同じく、そしてもちろん、あなたも」


 その気持ちは俺にも少なからず把持しているもので、わかると言っちゃあわかるのだが。
 わかってるのなら、
 古泉は声を少々荒げて、俺をきつい眼差しで見た。薄い涙の膜がくしゃくしゃに歪んだ古泉の目に張り付いている。ああ、せっかくの秀麗な顔が台無しだな。


「だったらなぜ、なんで僕たちにもあなたを守らせてはくれないのですか」


 あなたがどんな世界から来たって、大事なだいじなエス、オー、エス団の一員であることには変わりないのに。
 ここは感極まって、感涙するのが妥当なんだろう、場面を考慮するならば。けれど生憎、瞬きを忘れた目は、風に晒され乾き、欠伸でもしなければ涙の一粒も出てきやしない。その代わり、だらしなく開いた俺の口からは舌がくっついて舌っ足らずな呆けたような間の抜けた声が、


「いいのか?」


 さてさて、返答や如何に。
















今日を息衝くあなたが守るうつしよの世界で




(080314)