最近、雑用小間遣いの役回りがとみに板についてきたような。しかし、この件に関しては手抜かりの部類をしてはいけないのだと、本当にうんざりして嫌になるほどにわかりきっているので、呆れながらも何だかため息を吐き吐き、ハルヒが無自覚に広げる被害災害の尻拭いに今日も正義のヒーローよろしく(俺はそんな柄ではないのだが)人知れず暗躍し、奔走する次第である、まる。




昨日みた夢 05




 今は一体何時だ。
 寝起きで機動速度の緩くなった頭をもたげ、メール設定により有無も言わず、断続的に光る携帯電話の電光に照らされた部屋をゆるりと見遣る。カーテンを閉め忘れた窓の外は紺碧に薄く白のブラシをかけたような色合いに染まっている。未だにぴかぴかぴかぴか目に痛い光を放つ携帯電話を尻目で見ると、なんと朝の五時。一番眠りが深く、目覚め難い時間帯であるが、その実夢も一番見易い時間でもある。マナーモードにしてあるにも関わらず起きた僕は、どうやらまだ眠りの浅い生活に体が寄っているらしい。久々の出勤ですかね、と携帯電話を開く。
 知らないアドレスが連なったメール文書だが、実は機関からの連絡はたいてい知らないアドレスからだったりする。万一敵対勢力にこの端末を見られても、どれだけの対人関係が成り立っているのかわからないようにするための防止策である。念のために読んだ文書は即座に消せという更なる徹底を要求されたりもあるが、彼女がひょんなことで僕の携帯電話を見る機会が訪れた場合を考え、今のところその要求は丸々全てに従っている。
 そんな機関への従順さを全面に出している僕であるが、それが当たり前のように見なされているので、誰一人として僕を褒めやしないし、僕と同じような有り様の周りを僕もまた褒められるものではないと思っているので、この際どうでもいい。僕は文書に久しく見なかった単語を見つけ、不謹慎にも僅かながら安堵した。
 閉鎖空間発生。要員待機及び配置の状態で待て。
 何とも素気ないことこの上ないが、その素気なさに今更けちをつけるつもりは毛頭ない。差し迫る時間を自覚しつつ、僕は手早く着替える。悪夢でも見るのか、神と呼ばれし彼女が。それを少しおかしく思いながら、僕は制服に着替えて部屋着をベッドの上に放り、卓の上に広げていたテキストを鞄に入れた。施錠を施し、階下の道路を見ると既に新川さんの運転するタクシーが邪魔にならない場所に横付けされていて、一体この人は寝る時間を確保しているのかと自分をさし置いてつい邪推してしまう。彼に言わせれば僕も似たようなものだろうとあのしかめっ面を思い出し、一人で苦笑いを溢す。
 彼は今も尚睡眠の波に漂っているのだろう。いや、朝比奈さんもご多分に漏れないに違いない。後は長門さんだが、彼女は睡眠を必要としているのだろうか。やはり誰に危険が迫っても構わないようあの寒々しい部屋で犬が如く正座をして待機しているのか。何となく想像が凝ってしまい、曖昧な微苦笑を浮かべてタクシーに乗り込む。


「お願いします」


 車は滑るようにして走り出した。
 いつもと同じ作業だ。指定された場所から閉鎖空間に入ったときの、足先からぴりぴり伝わる細やかな震動も、見上げた何の光源もないモノトーンの空も、ご無沙汰だった割りには何も変わっているところなどない。
 だから、


「…何故あなたがいるんです」


 彼が立っているのだけが常道の景色から弾かれている。思ったより硬い声音に彼は小さく渋面を作り、ふと息を吐いた。


「…前にお前が言ったじゃないか、古泉。何の力も持たない人間でも、ここに、何か不可抗力で入ってくることがあるってな」


 確かに言った。彼を初めてここへ誘ったときに、説明の中でそのようなことを織り混ぜて。ならば彼はどうしてこんな時間に外をうろついていたのだろう。


「別にお前の知ったことじゃない」


 彼はふん、と顎を突き上げ、そっぽを向いてしまった。
 思えば彼と話す事柄は、全て彼女を中心に据えたことが前提の話ばかりであることに、僕は思い当たった。夏休みに彼の自宅へお邪魔した以外、彼のプライベートな部分は機関からの書類(もちろん彼はその存在を知らない。しかも飽くまで論点を彼女に宛てがった側面的なものなので、彼そのものに観点が置かれた事項は長い長い箇条書きの中でも僅か一握りだった)でしか知らず、彼の口から彼の価値観で告げられる彼の持ち得る情報が僕と共有されるのは、頑として彼女に纏わる事物が大半である。それが、彼が彼女に対し彼女の与かり知らぬ場所でどうこう騒ぎ立てる僕ら機関と一線を画していることの表れなのか、僕個人とあまり仲良くしたくないという偏屈なのかはわからないが、何らかの言い訳染みた説明と僕がしつこく食い下がって聞き出したそれ以外に彼が自発的に自分から生い立ちなり何なりを話すことはあまりない。もっとも、僕も人のことをとやかく言うことなどできる立場ではないのだから、彼を恨みがましく責めても詮無きことである。


「とにかく、お前らがあの木偶の坊を消してくれん限りは俺もここから出られんのだろう?さっさと倒してさっさと俺を我が家へ帰してくれ」


 なんて言い草だと憤慨に感じながらも、物事にあまり動じないとて所詮は彼も何の力もない凡人なのだと安心する。少なくとも、今の彼は僕のレゾンデートルを分かりやすく肯定してくれる有難い存在だ。


「僕としてもそうしたいものです。神人が現れない内に、落下物の心配がないよう、どこかビルの屋上にでも、」
「こんな早朝からハルヒが神人を大暴れさせでもしなきゃやってられないストレスなんか溜めるわけないだろう」


 実に論理的思考を以ってぴしゃりと言う彼に、彼女への絶対的な信頼が垣間見え、少し彼女が羨ましく感じた。僕も彼とは身の内に飼い殺している一物を抜きにして屈託なく雑談に興じたいものだ。彼なら僕の諸々の考察に軽快な茶々を入れてくれることだろう。


「とにかく、俺はここでお前らの勇姿を拝ませてもらいでもするさ」


 ほら行ってこいと僕の背中を押す彼の顔色は、暗がり故か窺い知ることができない。以前辛そうにしていたのは、単なる体調の変動が若干過ぎたのか。
 勘繰る僕が体の軽さを自覚して街並みに目を向けたとき、漸く神人が丸めた背中を伸ばした頃合いだった。地面に触れていた爪先が離れ、視界が右へ左へ揺れ、何気無く彼を見遣る。彼は神人を見上げ、目を細めている。
 彼女に拉致られるようにして(事実彼女はそんなつもりなど一切合切なかったに違いないが)大規模な閉鎖空間へ連れて行かれた先で何があったか僕の知るところではないが、彼がアホ空間やら頭の弱そうなネーミングセンスを披露する度にする顔は、あまり芳しい印象を見受けなかったので、どうやら僕の想像を超越するほどにろくな思いをしなかったと推察される。何か彼にも複雑に思うところでもあるのだろう。
 遠目から見て同志が視認できた故、僕は空へ飛び立った。
 そこからは、無我夢中だったと思う。何せ気を抜けば神人が振りかぶった大型車以上の衝撃を伴った腕が向かってくるのだ。こちらの建物が被った被害は現実に反映されないが、僕たちの被った怪我は残念ながら現実に持ち越されるのだ。いくら理性的な彼女も、この空間を消滅させるエージェントの存在を知らないからだろう。知っていればいるでまた別の厄介事が顔を覗かせるので、不平不満のそれは腹で消化する。流石に暫く神人退治に勤めば、いつもと異なった様相に目が行くのだけれども。
 悪夢か寝苦しさか、何らかの無意識上な理由により発生した神人は、有難いことに活動的ではなかった。思い出したように物に当たるに限り、頭部にたかる僕たちへ時折うるさそうに腕を振るう。歩みは鈍く、僕にしてみれば彼がここにいることの負い目もあって、早く片付けたい一心で腕にまとわりついていた。そのとき。
 そのときの、彼の顔が、目に焼き付いて離れない。
 彼はまるで虫を見るような無感動さで神人と僕らを見ていた。寧ろ、物珍しさにかまけて今まさに加虐を加えんとしている子供のような目だった。僕が彼へらしくない戦慄に打ち震えた刹那に、神人が、潰れた。
 上下左右から目に見えない掌に押し潰されるように、神人の体がじわりじわりと圧力によってひしゃげ始めている。今の今まで神人に臨んでいた僕らには、一切の変化はない。しかしその光景は圧巻であった。

 ぞぶぞぶと聞こえるはずのない、神人が圧搾され、液体の吹き出る音が聞こえる。グロテスクなあまりに嗚咽が歯の根の合わさらない口の隙間から溢れる。彼は戸惑う僕らを含めたその景色を、相変わらずじっと眺めていた。
 彼は見ていただけ。そう、ただ見ていただけ。







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(080218)