「朝倉みたいな奴は、まだ他にいるのか」
「…急進派は朝倉涼子の暴走を主因に、今は大々的な行動を控えている」
「そうかい」


残念。




昨日みた夢 02




 午前四時、閉鎖空間発生。
 最近めっきりご無沙汰なこの事象ではあったが、数日に渡る砂塵が如き鬱憤が溜った結果なのだろう。神人の動きは愚鈍極まりなく、空間拡大の規模も蝸牛か亀の歩みのようだった。鈍った体には大いに助かったほど大人しいものだったが、何分後処理に徹していた近頃に次いだ運動に身体面でついていけなかなったのか。既に疲労で弛緩した体で家に帰り、ベッドに伏す前後の記憶をどこかへ落として、僕は泥のように眠った。
 翌朝、寝不足で響む頭を押さえ、それでも朝靄の漂う丘陵なのか山なのかよくわからない安普請である北高校舎へ僕が入った時点ではまだ教室に誰一人として登校していなかった。習慣とは恐ろしいもので、どんなに寝不足だろうがこの時間帯に登校することは頭でなく、体が覚えている。なけなしの理性で神の機嫌が麗しいことを願うばかりである。


「よぉ、おはよーさん」


 後ろから響いた声に、僕は振り向き、癖になってしまった笑顔を張り付けながらその儀礼的な挨拶に返事をしようと口を開いた。


「…おはようございます」
「なんだその、おもいっきり都心で絶滅危惧種を目撃したような目は」


 結果としては、ひどく失敗をしてしまったわけである。
 今はまだ七時半の少し前にも関わらず、彼はいつも以上の気だるさを微塵も背負わずに鞄を担いで僕の後ろに立っていた。


「お前いつもこれくらいなのか?ずいぶん早朝出勤だな」
「あなたこそ、何故こんな朝早くに学校へ?」


 彼の性格ならばぎりぎりまで布団と同化していたいと思うだろう。そう指摘すると彼は渋い顔をして、そっぽを向いてつっけんどんに僕の言葉を聞かなかったことにしようと試みていた。


「うるせー、気分だよ気分!」


 勿論、信じられるわけがなかった。
 とある休日の探索日和に、(彼曰く)眠気など素知らぬといった様子で無駄な笑顔を浮かべていた僕と相変わらずの遅刻に怒っていた涼宮さんに低血圧の辛さの何たるかを大仰に説いてみせた彼なのだ。ついには、低血圧だとしても脳卒中や脳梗塞で死ぬ可能性があるとまで説き出した彼には正直閉口したが、そこまでしつこく食い下がって擁護していた低血圧を簡単に克服できるはずがない。
 あまりに僕は彼を凝視していたのだろう。彼は居心地が悪そうにたじろいで、「少し思うところがあっただけだ」 と渋面を取り繕ったまま言葉尻を濁した。 思うところとは、急進派のことを長門さんに追尋していたことだろうか。僕は二の腕の辺りを撫でられているような奇妙な感覚に慌てた。


「ところでお前」
「何でしょう」
「あー…昨夜はご苦労様」


 冷や汗がどっと垂れる。


「何が、」
「いや、お前らしくなく疲れてるみたいに見えたから」
「そう、ですか…」
「またあのアホ空間だろ?ハルヒも困ったものだな」
「そうですね、…少々疲れました」


 彼が目を丸めるのを見止め、失言だったと今更気付いたが、それでも僕は吐露した感情を撤回しようと思わない。日々彼女の機嫌に左右され、発生するノイズを聞き取ることも、頭はすっきりしているのに眼臉が重たい倦怠感も、もううんざりなのだ。まだそれではないものの、普遍的な喧騒に直包まれるであろう後々を思い、抱えている頭痛が増すのだと想像だに易いことに辟易し、眉根の寄っている自覚があるまま彼に笑みかける。
 彼は、いたわしそうな色を一瞬浮かべるが、それを消し去り能面のように無感情な目で僕を眺めた。


「そうか」


 まるで虫のような目だった。若しくは皹の入ったびいどろのような目である。僕は馬鹿馬鹿しくなって、冗談ですと言って肩をすくめる。こんな子供騙しにかかるなんてあなたも幾分可愛らしい性分ですねと挑んで彼の憤怒を買うまでは、何故か、するつもりが毛頭起きなかったのは、それだけ疲れが酷いのか或いは彼の態度が非協力的なものになることが恐ろしいのか。
 彼は僕や他の勢力の都合を知らない。知らなくて良い。だから、鍵たる彼は半端な同情などすべきではないのだ。


「じゃあ、落とし前は人としての責務だよな」
「…涼宮さんに何かなさるというのなら、それは止めておいた方が賢明ですよ」
「そうじゃねぇよ」


 心配するなとでも言いたげに僕の肩を押し遣り、彼は既に僕へ背を向けて歩き出している。彼が何をするつもりなのか、結局最後まで聞けず仕舞いだった。
 ふと違和を感じて首を捻ると、体が軽いことに気が行った。淘汰されたように頭痛さえも消えた俄かの出来事について行けず、錯綜だけが押し寄せる頭で彼を見遣る。姿の見えなくなった彼が何かを知っている(それか何かをしたのだろうか)とは到底思えないが、無性に彼へ礼を投げかけたくなった。




**




「キョン!」


 ごす、と背中に大ぶりのロールパンくらいの大きさの衝撃がめり込んだ。いつぞやのような、首元を引っ掴まれて机の角に叩き込まれたりやシャーペンの尖った先でぐさりとやられるよりは大分マシだが、それにしたってまかり間違っても寝ている人間に対する起こし方とは思えん。もっとしおらしく起こせないのか、ハルヒ。


「うるさいわね、昼休みまで寝そうになってた寝汚い奴にそんな図々しいことを言う権利なんてないわ。食いっぱぐれないように起こしてあげただけ有難いと思いなさいよ」


 何たる傲慢さだ。しかし、昼飯を食べ損ねるというのは自らとしても歓迎できない事態なので、顎を突き上げて顔を反らすなんてわかりやすい拗ね方をしているハルヒを敢えて追求はすまい。よしんば返事が返ってきても、どうせ碌なものではないことは今までの付き合いから十分身に染みている。その殊勝さが一年の一学期、あの日に備わっていれば、こんな非常識な日常を味わうこともなかっただろうにとため息を吐きかけて、止めた。
 あの12月に思い知ったはずだ。厭わしがっていた非常識が、自分の中ではそれなりに楽しく、かけがえのないものになっていたのだと。そして俺自身が自分の意志でこちらの世界を選び取ったのだ。今更その是非について文句を言うのは、選択権を俺に委ねてくれた長門に申し訳なく、些か手前勝手というものだろう。
 先ほど吐きかけたのとは違った意味合いのため息を吐いて、こちらを遠巻きに眺めていた谷口と国木田に応じる。のは良いとして、だ。今日の古泉のあれは何だったんだ。
 今朝方廊下で鉢合わせた古泉の疲れ様と言ったら、それなりに会社に貢献していたのに、近頃思い切って分譲住居のローンを組んだ後にリストラを勧告された中堅管理職のゾンビのようだ(ゾンビも現代の世知辛い世の中のような制度を摂っているのか知らないし、知りたくもないし、寧ろゾンビなんていなくていいと思うのだが、そこは物の喩えとして割愛願いたい)。いつもの、各々がどれをとっても整っている上にそれが面映えする形で並んでいるムカつくご尊顔は、今日も変わらずムカつくくらいの秀麗な顔で古泉の顔面を覆っていた。それについて言及したところで、俺の中の何かが慰められるどころか、精神に致命傷を負い兼ねないので、細かい描写は抜きにする。とにかくその古泉が、どうにも覇気のない顔をしていた。目の下が黒ずまないあいつの体質は何回見ても羨ましいが、よくよく見れば血色は悪いわ目元に力はないわ何だか撫で肩気味だわ服に皺が寄ってるわ髪は癖がついてるわ、探してみると其処かしこに奴らしからぬ点がぽつぽつ。おい俺に見られるなんて精進足りてないんじゃないのか。ハルヒが目聡く見付けたらどうするんだ。そんな諫言すらあいつの覇気を食い散らすだけのような気がするので、反則技と知りつつも、あいつの持っていた疲労の所在を俺に書き換えた。平たく言うと、あいつの疲労を俺がもらい受けたのだ。
 形容し難い力があることを、俺は誰にも教えていない。書き換えたと言っても紙面にペンで書くというわけじゃないし、目に見える形で証明できるものでもないが、極力こんな力を使いたくはない。俺には必要ないのに、この力が俺を超人たらしめる。人じゃないけどな、俺。


「なぁに黄昏てんだよキョン。そんなのお前のキャラじゃないだろー」
「一体俺はお前にどんなふうに見えてんだ」
「昔から変なのに好かれる奴だよね、キョンは。中学から始まり今や全校規模で有名な涼宮さんとつるんでるんだから」


 国木田の控え目かつ楽しげな笑い声にはちょっと待ったをかけたいが、中学時代に関しては国木田の有している記憶の方が多いので、寧ろ墓穴を掘るなんて失態を致し兼ねん。
 とりあえず古泉よ、ハルヒがした暴走の後始末は俺が肩代わりしてやる。ハルヒの異能はある意味俺のせいだからな。お前がこんな酷い疲れを背負い込む必要はないんだ。俺の不手際さ、責任は取るべきだろ。







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(080207)