望むのは終わる物語だけ。
昨日みた夢 00
放課後、昨日機関へ提出した定期報告に言葉足らずなところでもあったのか、要求された釈明と更なる仔細の報告を電話による口頭で終えた僕は、ホームルームと掃除が長引いたという、割合としては男女比が圧倒的に傾いている学級を曲がりなりにもまとめている我が九組担任には些か申し訳ない濡衣と言い訳をこさえて、ややはやる足取りのままに部室へ向かった。
いっそのこと、書類上の不足を伝えて、再度期限を設けて始末書なり文面を推敲する時間を与えても罰は当たらないのではないかと、今時珍しくもない怠け心や不満がもぐらの如く顔をもたげるが、何せ些細なことが引金となって声を上げる間もなく世界が滅ぶかもしれないと騒ぐことすら単なる杞憂や陽狂の真似事では済まされないと上のお偉方は彼女に纏わる事象に対してオーバーリアクション過多なのだ。貴重であるところの超能力者を相変わらずこきおろす機関の意向に末端の僕は逆らう権利など最初からあって無きに等しいが、それでも上層部の焦燥が根拠の曖昧なものではないとわかるくらいに直へ伝わってくる。
自らのことを団長と豪語する彼女は放課後の活動に関して無断欠席にはかなり容赦がなく、しかし生憎その雷を如何無く受けた経験があるのは彼女の意中の彼のみなことに僅かながら苦笑を禁じ得ないが、それにいつまでも安堵し、気を緩めるなどして(細分化されたものの)彼女の怒りのご相伴に預かるのはこちらとしても遠慮願いたいところだ。
日が長くなり、目にする時間の延びた夕焼けの暖かくどこか命の色を想起させるような赤色を一身に受けつつ、僕は部室の戸を叩く。この遅い時間に今やSOS団専属のお茶汲み係となり仰せてしまった愛らしい先輩かつ機関の保護対象である朝比奈さんが彼女に義務付けられた倒錯的なメイド服に着替えている可能性は限りなく低いが、しかしだからといって機嫌を損ねているかもしれない団長殿に対し、ノックもなく部室に入るような不躾さで不興を買いたくはない。僕のささやかな願いが届いたかは別として、数回響いた硬質な音に応えたのは生気溌剌たる彼女の声でもなければ柔らかく耳に心地好いかの先輩の声でもない、「開いてるぞ」 という素気ない声だけだった。扉を開けると、声の持ち主の彼の他に、寄生する形となっているこのSOS団の根城たる文芸部室に存在するに値する唯一の人物である女学生がいつも通りの位置で座り、こちらをちらともしないで本を捲るだけの光景が広がった。危惧した彼女のお咎めはなく、同じく姿の見えない朝比奈さんから察するに、またどこかに連れ回しているのではないかと推測される。
「涼宮さんは、」
「茶葉を切らしたって朝比奈さんを連れて買い物に行ってる。ずいぶん遅かったな」
「ええ、まあ。機関へいくつか連絡をしなければならない事柄がありまして」
神たる素地を持つ彼女が作ったこの集団に属する人間の背景をある程度知っている彼に、言い訳も嘘も無用の長物である。(彼は手作りの望遠鏡並と評していたが)すっかり板についてしまった僕の笑みの種類はおろか、あの無口無表情を誇る長門さんの言わんとする意図を悉く掬い上げる恐るべき観察眼の前で、嘘を吐くなど滑稽極まりない。面倒事はごめんだねとやさぐれたように言う彼ならば敢えて看過するだろうから、殊更に、だ。
さして興味を示さず、気のない返事をする彼の視線は、秋めく頃に隣のコンピュータ研から挑まれたゲームの勝負に勝利した暁に譲り受けたノートパソコンの一台に吸い込まれている。どうやらマインスイーパーというゲームをしているようだ。といってもソフトをダウンロードするものではなく、OSに付随するおまけのようなゲームである。
マインスイーパーとは読んで字の如く、方眼の中でアナーキーに隠れている地雷を探してフラグを立てるゲームである。地雷を見付けるヒントは方眼をクリックすると出現する数字で、その数字は八方のマスにいくつ地雷が隠れているかを示すものなのだが、単調になりがちな作業は飽きを呼ぶ上、地雷と方眼の数が増える上級になるほどクリアが難しい。凹凸の激しい数字の群衆を探すことが一番手っ取り早いが、詳しくは割愛することとする。
「珍しいですね。あなたがそのようなゲームをするなんて」
「本を読む気分でも詰め碁をする気分でも、況してや宿題をする気分でもなかったからな。かといって無為に過ごすのもどうかと思ったんだが、けっこう時間が潰せた」
相変わらず勉学方面は積極的に懈怠を図っているようである。聞き及んだところ、彼は試験で当たり前のようにレッドラインぎりぎりを、地を這うような低空飛行しているとか。彼女がこれ幸いと彼の教師役を買って出て心の安息を得てくれるのなら、彼には悪いが僕としては願ったり叶ったりである。
「…おい。今ろくでもないことを考えただろ」
「まさか。僕に二心のないことはあなたがご存知のはずでは?」
二心にまみれた奴が何吐かしてやがると彼は僕を睥睨して、また画面に目を戻した。
時折彼は核心の一回り外を抵触するような鋭さを見せる。それがお得意の観察眼から培われたものか、僕如きがその真偽を押し測る術を持つに待たないが、こちらの思惑を見抜いたのかと内心冷や汗を掻くことは少なくない。その鋭さを以ってしても、彼女の複雑な女心を理解してくれる日がまだ遠そうであることには、流石に辟易する近頃なのだけれど。
僕はぼんやりした頭で取り繕いながら、思い出したようにマウスをクリックする彼の注視するパソコン画面を見た。
「…全然進んでないじゃないですか」
数字の群衆はこれでもかというほどあるが、ネックの地雷がひとつもフラグを立てられていない。ひとつくらいは彼でも見付かりそうなものだが、まさかルールを知らない彼ではあるまい。
「ほら、こことか」
「あー、そういうのじゃないんだ」
うるさそうに彼は言う。ルールが決まっているのにそういうのじゃないも何もないと思うのだが、そう思ったのを見て取ったか、彼は僕の顔を見てにやと笑った。彼がはっきり笑うことはあまりない。珍しい。けれど、思えばこのときから彼は僕らと同じ異彩を放ちつつあったのだ。
「普通にやっても面白くないだろ。だから爆弾に触らず全部避けて数字だけ当てるのさ」
地雷が埋まっている場所を確率演算で出すという彼の言いたいことに理解は示せても、僕は納得できなかった。
前述にも述べた通り、失礼ながら彼の成績は留年が問題に持ち上がるほどの低迷ぶりを見せている。だのに彼の手元は計算に要り用とおぼしき紙切れすらなく、ゲームのレベルはあろうことか上級者レベル。16×30の方眼の中で99の地雷を探すものだが、その計算を全て頭の中でやって退けたと、彼が告げたその話は俄かに信じがたい。
「長門の言葉を借りるなら、ひどく原始的ってところだな」
彼が空いた升目にカーソルを持っていって叩くのと、長門さんが本を閉じるのはほぼ同時だった。僕への追い討ちか決定打が如く、数字の浮かびあがっていた升目以外の、全てのマスで、地雷が爆発する。
そこにあるのは、事件に巻き込まれてあたふたする他の役者と一線を画した、真相を解き明かし明確な答えを唯一保持する探偵のような、物語のひとつ上の段階にいる者が浮かべる表情だとしか思えない。彼はそんな似つかわしくない類の笑みを口元に乗せて、笑顔を忘れ置いた僕を見遣り、呆気なくリセットボタンを押した。
太陽がおちる。
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(080202)