夢とか、そんなの関係なく音楽を楽しんで、一体それの何が悪いんだ!
ravenous ruffian
『あの、状況というか、事情を説明して下さいませんか?』
一頻り慌てた後(しかしそれは突然の申し出にというよりも、電話の相手が俺だということに驚いたようである)、古泉は当惑さながらな響みを含んで言ったが、その割に声は落ち着いていた。悪戯心がなかったとは言えないので、背後から友人を脅かし損じた子供のような、照れ臭さやバツの悪さを感じる。
つい先刻会って別れたときは、まだ昼過ぎといったところか。もしかして仕事中だったのやもしれん。ちょっと悪かったかなとなけなしの良心が罪悪感の呵責にざわめく。
「今仕事か?」
『え、ええ。これから雑誌の取材とカメリハを少し。話が長くなるようでしたら改めてこちらからかけ直しますよ』
カメリハが一体何の用語かは知らんが、相変わらず物腰柔らかかつ丁寧極まりない応対だな。プライベートでもそれが素だったらさぞかし女性にもてはやされるだろう。
じゃなくてだな。
「いや…無理は承知だが、できれば直接会いたい。ほら、この間留守電に入れてくれたのにすっぽかしちまっただろ?あれの帳尻合わせとは言わんが、出張のときの土産もあるからさ」
『…急ぎの用事ではないんですね』
実は大至急急いでもらいたいのが本音だ。
こうしている間にもまた別の誰かが新たに目撃情報を書き込んでいるかもしれないのだ。それが真実であれでっち上げであれ、他人事と決め込んで高みから面白おかしく揶揄する輩がいないとも限らない。そして、いつか俺の家まで野次馬根性丸出しの獣顔負けなジャーナリスト共が踏み込んできたら、俺は泣き言を言う間もなく窓から飛び下りてやる、くらいには意気込んでいる。危険思想だと自分でもわかっているので誰にも口外はしていないが。
しかし古泉も叩かれながら(まあ、当事者とは微妙に外れているので程度など知りはしない)仕事に励んでいる模様。本来ならば恐らくテレビ画面を介さなければ接触すらなかったであろう俺の一存で、こいつのスケジュールを滅茶苦茶にする権利はどこにもない。そんなことをしたら油を塗りたくってゴシップ記事の題目という名の火に飛込むのと同じだ。
「悪いな。忙しいのに」
『お気になさらず。事の発端は僕にあるでしょうしね』
先ず間違いなくな。しかしそれを臆尾には出さずに慰めだか何だかを口にしてやるのは、俺の自己満足であり偽善である。気休くらいになればいいさ。
『…あなたが直接会いたいと言って下さって、正直とても嬉しかったです。僕もあなたに言いたいことがありますから…、』
おいおい、会話の方向がどことなしに怪しくいかがわしい方に向かっている気がするのだが、というか古泉お前仕事だろうが。俺なんかと無駄電話をして長門に無言の圧力をかけられやしないか?いや、答えなくていい。猛烈に今墓穴を掘ったような気配をばしばし感じた。何も言うな。
「悪かったな。こっちは仕事が入らない限りはいつでもいいから。急ぎの仕事が入ったら追って連絡する。じゃあな」
『ええ、僕の方も後で仕事に空きがある日を沙汰します』
それでは、と古泉は柔らかく言って電話を切った。うむむ、姿が見えなくても微笑を浮かべるようなその穏やかさが想像出来うる声である。存外堪えていないほど強かなのか、それとも仕事が関わるとスイッチが入るとか…?
**
時折飛込んでくる仕事の内容を吟味していて気が付いたが、どうやら編集社の人間らは俺が一時を騒がせた話題の種と知らないようだ。まああの会社はポップというよりクラシックに重きを置いているので、そちらには疎い。話題性を求められるマスメディアがその有り体じゃあどうかと思うが、その鈍感さに救われている部分は否めないので、敢えて黙殺を徹すこととする。
一ヶ月だ。
約一ヶ月の間、俺はそうして仕事に精を出していた。古泉のルーズさに苛立ちながらも、三件の仕事に漸く踏ん切りがついて今月の生活費が少しばかり安堵された時分に、遅まきな連絡が入ったのだった。
『もしもし、古泉です』
「…」
『あの、』
「遅い」
『…すみません…』
途端に声音の落ちた古泉に微苦笑を溢し、とりなす。俺が怒っていないと知ると古泉は、やけに安心したように細々とため息を吐いた。負い目か何かを思っているのだろう。俺がいくら下らないと一蹴したところで頑なに譲らず、種類豊富な謝辞を並べる。常々よく回る口も、謝る。
『今日、漸く長門さんに許しを頂いたので、半休が執れました。今晩そちらへ伺ってもよろしいでしょうか?』
「今までずっと長門を説き伏せてたのか?」
『ええ、我々ながらよくもまあ、あれだけの懐柔を施したと思いますよ』
「強敵だろうな、長門は…」
無言のまま感情の灯らないあの目に見られて怯まない奴はいないだろう。こっちが何か不味いことをしてしまったのではないかという気分になる。
「まあいいさ。今晩だな」
『はい。早くても八時頃に行けると思います』
「…ん?今お前どこにいるんだ?」
『一応大阪にいます。東京を想像していましたか?』
「うるさい」
意外に近くにいて、少しほっとした。しかし半休とは名ばかりの短さだな。ちゃんと休めるときに休んどけよ。
『おや、光栄ですね。心配して下さるんですか?』
「その減らず口閉じろ」
『懸念には及びませんよ』
見事に無視だ。後光が差し込むほど清々しく華麗なスルーだ。
誰がお前なんぞの心配するかと尚も文句を言い募ろうとして、古泉の吐いた困憊気味のため息に遮られた。今の今まで否定した舌の根も乾かない早さだな。一体なんなんだ。
『いえ、ただ次の作曲が始まらないだけです』
消え入りそうな声の後、それが元々存在しなかったかのような整然さで爽やかに電話を切った。一方的に電話を絶たれたことに対する怒りよりも、先ず俺は、初めて俺に疲れを見せたであろう古泉の言葉を反芻する。
次の作曲が始まらない?何だそりゃ。ハルヒはどうしたんだ。まさか、へまやってクビになったのか、それとも、前限りの契約だったのか。
俺より図体のでかいはずである古泉の頼りなげな声は、文字通り、予想以上に俺の脳味噌を真っ白に破壊して下さったのだった。
>>
(080123)