身に覚えがないが、間の悪さってのは遺伝でもするのか?
わかったわかった、降参だ。




ravenous ruffian




かくて夜になり、古泉は若干のつまみを持ってやってきた。浮かぶその薄笑いを見る限りでは、電話で聞いた、何かの弾みが如き声に滲んでいた疲れは微塵も感じさせない。


「すみません、少し早めに来てしまいました」


俺は古泉を睥睨する。
おい古泉、見たところそれらの袋は何の変哲もないごく一般に点在するコンビニエンスストアの袋のように見えるが、まさかお前また顔を隠さずに買い物をしたんじゃないだろうな。お前その袋以外に何か顔を隠すものなんか持っていないじゃないか。


「店員さんが女性じゃないだけ、まだ騒ぎになりませんでしたけど」


いい度胸だな。よし、歯を食い縛れ。かつて高校の時分にサッカーの授業のときだけ黄金の右足と言われた、俺の飛び蹴りをお見舞いしてやる。生憎股関節は柔らかいと、俺を取り上げた助産婦さんのお墨付きだ。


「理由はちゃんとありますよ。後で僕の話したいことも含めて、説明しますから」
「…袋が複数あるのも、か」
「勿論」


俺は古泉を家に上げ、かさばった袋を受け取る。するめやら茎わかめやら燻製やら、袋の中を占めるものは明らかに酒飲みのための肴だったが、肝心のアルコールがない。発泡酒も果実酒も焼酎もない。こいつは飲みにきたのか、それとも土産にと持参したのか、どちらにしろずいぶん欠落的な手土産だ。


「それも後ほど、」
「やたら理屈臭くて勿体振るのがお前のスタンスか?」


論うと古泉は困ったように笑った。勿体直後に、謙遜でもないですがあなたほどではないですよ、としっかり皮肉を返しやがったけれど。
俺はこの家の中でも比較的涼しい部屋に土産のワインを取りに行く。ハルヒに渡したものとは別物である。口当たりが良く後に響かないから、仕事にあまり差し支えもないだろうことを考慮して、古泉の土産にと買ってきたのだ。前に渡しても良かったのだが、前は、それすら念頭から消えるほどバタバタしていたので、うっかり渡しそびれたままだった。どうせなら、古泉が帰るときに長門への土産を持たせるか。
リビングに戻ると、所在無さげに古泉が立っていた。先に座って俺を待つのは些か図々しいとのことである。どれだけ腰が低いんだお前。


「なんか落ち着かなくて…前より物が減っているような気がしますし…」
「よく見てるな」


素直に感心する。
この一ヶ月間、仕事の合間に服は使う頻度の低いものから粗方段ボールに詰めて、食器も緩衝材で包んだ。日頃そういうものに執着がないから数自体少ない。まだ空き家探しすら始めてもいないが、梱包を終えた大きめな段ボールふたつはクローゼットに突っ込んである。


「引っ越そうか、考えてる」
「へぇ、新しいお住まいはお決まりですか?」
「いや、これから探す」


ずいぶん無鉄砲ですね、と僅かに呆れの滲んだ声が飛んでくる。ほっとけ。誰のせいだと…いや、言うまい。


「電話で言ったよな、こっちに越してくる気はないかって」
「はい」
「お前が了承するなら、俺はこの家の所有権を放棄して丸ごとお前に譲渡したって構わんと思ってるんだ」
「はい?」


自分の名前が出てきた上、いきなり大きくなった話に古泉は目を剥く。


「ど、どうしてそのような…」
「知ってるか?お前が前に来たとき、この近所で撮られたお前の写真がネットでばら蒔かれていたぞ」


古泉は青褪めた。或いはこいつも、マスメディアのもたらす影響の怖さを知っているのかもしれない。けれど、お前がここに住めば、人にいくら見られたって不思議じゃないさ。




**




ハルヒが予告なしにいなくなった。
古泉はもごもご要領の得ないことを二言三言言って、真っ直ぐ俺を見て言った。


「奇しくも僕が話したいことも、ある意味あなたの仰有ったことに関連していると思います」


こんなくだりだった。
訥々かい摘んで話し出した古泉の話をまとめると、要はハルヒが海外に呼ばれて急遽高飛びしたせいで、作曲する人間がいなくなったらしい。元々海外に参入することを密かに渇望していたようで、まるで取立てがあった後のように家はもぬけの殻だったそうだ。
俺が連絡をとったとき、正に古泉は体当たりで大阪中の作曲家らを訪っていた真っ最中だったというわけである。


「…で、俺に言いたいことってのは何だ。ハルヒに戻ってくるように連絡しろってか?」
「あなたの連絡ひとつであちらに夢中の涼宮さんが戻ってきて下さるならそれが一番善いのですけれど…」
「無理だろうなあ…」


相変わらず願望の規模がでかい。高校のときよりかは幾分現実味を帯びているが(何せあの頃は宇宙人や未来人や超能力者がどうのと飛び回っていた頃だ)、自分が面白そうだと思ったものは例え他人から見て常軌を逸しているものだとしても、気の済むまでやりぬくのだ。いつもそうだった。
と、そこまで考えて嫌な予感が氷解となって背を滑り落ちた。
もしもこのままハルヒが戻らず仕舞いの場合、作曲家が作曲を引き受けてくれなかった場合、そういった諸々をあの長門が考えないはずがない。そんな猫の手すら欲しい時期に、古泉が俺の家を訪れるのを呑むためにどんな条件を出したのだろう。古泉の言い方ではハルヒが帰ってくる期待は望み薄のようだ。そこまでわかっていながらわざわざ俺に話したいことなど、そう頭を使わずとも、


「嫌だぞ」


途端に古泉は泣きそうな顔をした。


「お願いです。他と契約を採れと言っているのでもありません。涼宮さんが戻られるまでで構いませんから…、お願いですよぅ」
「可愛く言ったところで言う人間がお前ならちっとも可愛くねぇ。嫌なもんは嫌だ。ハルヒの代わりなんぞごめんだ」
「だって、」


だっても糞もあるか。だって、なんて男が使うな気持ち悪い。泣きそうな顔をするな。
古泉は泣きそうな顔のまま怒ったように喚く。


「どうしてそうまで頑なに嫌がるんですか」
「逆に問おう。お前こそ、何で技術もない俺の音なんかに固執する」
「そんなの、あなたの音が好きだからに決まってるじゃないですか」


こりゃまた直球勝負だな。恥ずかしさすら込み上げないぜ。


「人を感動させるのに卓越した技術なんて二の次、ともすれば無用の産物です。マスコミの反応を見たでしょう?あれだけ大衆の心を直接揺さぶる心地好い音が出せるのは、生まれ持ったあなたの才です」


才能なんて言葉を使われる対象が自分になる日がくるとは、24年間生きていて初めての経験だ。どこか曖昧で、別次元の話のように聞こえる。


「あの、本当はもっと早く言うつもりだったんですが、あなたは、どうも人の目が自分に集中することを厭わしがっているみたいでしたから」


それを否定する要素は俺にはない。マスメディアという俗な職に食い扶持を頼っている上で、俺は商売仇につけ込まれる隙を減らすために、極力周りを刺激しないように努めた。経緯や理由はどうであれ、その結果が今の俺を表舞台に引きずり出そうとしているなんて滑稽すぎる。皮肉も良いところだ。


「僕にこの家を譲っても良いと仰有るのなら、それよりも僕をここに置いてもらえませんか?」
「…何が言いたい」
「僕はほとんど帰って来ないでしょうから、あなたの生活に差異は然程出ないでしょう。あなたの引っ越しの費用も浮きます。僕がここで生活していれば、何かとうるさいマスコミの追尋だって理由はいくらでも付けられます。作曲したのだって、ルームシェアの、友人のよしみと言えば噂の沈静化だって、」
「おい古泉落ち着け、」


古泉は眉尻を下げて弱々しげに唸った。その姿が、我が麗しい担当者であるところの朝比奈さんと被って見えたため、俺は衝動的に死にたくなる。
おいおいおいおい、古泉にほだされかけてやしないか?
妹が俺と歳が離れているせいか、俺は少し弱気になっていたり、本気で落ち込んでいる奴を見ると庇護したくなる。朝比奈さんや妹がその筆頭だ(勿論妹は家族の贔屓目を差し引いたとしてもの話である)。自分にその自覚があるからまずい。既に旗色が悪いのも、考えるのが面倒になってきたのも、殊更まずい。


「わかったから、わかったから男の癖に直ぐ泣きそうな顔するの止めろ気色悪い!」


陥落。
俺の口よ、勝手に受け答えしないでくれ。
古泉はくしゃくしゃに笑み崩れて、


「毎朝僕に味噌汁を作って下さいって言ってる気分でした」


だから泣きながら言うな。早くも後悔したじゃないか。


「僕、一応今年で結婚できる年齢になったんですよ」


俺より六つも年下なのかお前、とか、六つ下の癖に俺より背が高いなんて生意気な、とか、そういう台詞はここぞというときのために取っておけ、とか、色々言いたい言葉はあったのだが、一先ずこいつがアルコールを買ってこ(れ)なかった理由がわかった。しかし事態の打開に何の役にも立たない。
疾うに泣き止んだ古泉が、俺の手からワインを受け取り、必要なものを順々にここへ入れる段取りを話しながら、どこで見つけたのかちゃっかりグラスふたつにワインを選り分けるのを見て、俺は呆然と思う。
騙されたんじゃないのか、俺。
古泉の、「わざわざ多数のコンビニへ足を運んで八方塞を企てた甲斐がありました。これも長門さんのおかげです」 という言葉は、悲しい哉、俺の精神上で大変宜しくないので聞こえないふりをした。
碌な奴がいねぇ!















ravenous ruffian
(まるで僕らみたいですね)
(冗談きつい!)





(080125)