俺の周りでどうやら好き勝手に言う奴がいるらしい。そいつに、俺の周りがどうなっているのか、事情を説明して欲しいものだ(切実に)。




ravenous ruffian




とにもかくにも仕事をしなければ俺の生活が成り立たない。下らないゴシップ記事なぞにいちいち目を止めていられないのだ。情報伝達が多様化された現代で、人の噂も四十九日、などという諺が通用しないのは百も承知だが、多様化されたからこそ流行り廃れの速さもまた水が流れるが如し。放っておけばそのうち忘れ去られるであろう類の主体性なき噂だ。
と、充電が切れたままの携帯電話をすっかり忘れて、俺は仕事に明け暮れた。特にこの間取材に行ったオペラの件はスピードを求められている。会社の出すノルマが満たされなければ減俸必至、所謂死活問題なのだ。
規定の原稿の半分ほどを埋めたところで、俺はパソコンの前で唸る。どうもうまくない。取材して大分時間が経ち、インパクトが薄れたのか、一番初めに薄っぺらいながらも感じた俺の感動が見事に霧散してしまっている。悪いところは目につくというのに、良いところが上手く言葉に表せない、そんなものを読んでも後味が悪かろう。大学の頃、お前のレポートは淡白すぎていっそ面白いよと評価してくれた教授がいたが、あの人が特別奇特なのだろう。
身分を証明して取材の許可が下りたものの、格式だか何だかよくわからない矜持を持っている支配人はカメラや録音機の持ち込みを禁止していた。よって情報は記憶のみである。他の出版社にも等しく同じ条件下ならば、みな記事の製作に骨を折りそうだと他人事に思えたら、どんなに良かっただろう。バックスペース・キーを押しつつ重たいため息を吐く。
気分転換にテレビはつけない。ニュースやワイドショーなんて思考が暗くなりがちになるものをわざわざ耳に入れたくない。音楽も駄目だ。あの臨場感を思い出すのに要らない雑音は思考の妨げになる。結局ハルヒからもらい受けたCDも、サイドテーブルに置いたまま薄く埃を被ってしまっている。仕事で音楽に携わる以外で、その実俺はあまり音楽を聴かないのだ。全く、何の因果か。
無音の部屋で、無為にパソコンのキーを叩く。それで共感させたり容易に誰かの想像を掻き立てたりできる文など書けるわけないが、この世の中にはどこぞの猿が無作為に打ったタイプで意味の通じる文章を成立させた事例があったりするので、半ば子供のような好奇心で二十行ほど綴られた文ともつかぬ文字の羅列を読む。


さ、きょlく
がっkきq
で@ぷす


最悪だ。
俺はキーボードを投げ捨てた。
がしゃん、と鈍い音がした直後に、聞き慣れたようなそうでないような我が家のインターホンが鳴る。誰だろう。




**




とりあえず、粗茶で良いのだろうか。不摂生祟る俺の舌が確かであれ、あまり美味くはない茶なのだが。


「構わない」
「すみません。わざわざ」


例によって、前述が長門、後述が古泉である。
さてさて、(最後に顔を会わせてから一週間足らずだけれど)人気芸能人がこんなところで油を売って良いものか、一介の庶民な俺には図りかねるが、そんな野次を飛ばせる空気でないことが明白なくらい二人して(特に古泉が)神妙な顔をするものだから、俺は数少ない食器の中からこれまた数少ない湯呑に緑茶を注いで二人の前に置いた。


「で、急にどうしたんだ?何かあったのか?」
「何かあったのかって…連絡が取れないし暫く出張だってあなたの仕事先から聞いて、もしかしたら留守録も聞いていらっしゃらないんじゃないかと思って、」


留守録…ああ、すみませんだとか謝意を並べまくっていたあれか。すまん、はっきり言って忘れてた。
と真実を言うわけにはいかず、 「仕事中は携帯を見ないようにしているんだ。有線の引いてある電話は携帯だけだし…すまないな」 と言っておく。古泉はそれは可哀想になるくらい申し訳なさそうな顔をして 「いえ、考え無しに連絡を入れたのはこちらですから」 と呟いた。
長門に視線を戻すと、長門は脱線し始めた話の腰を戻すが如く静かに言った。


「少し状況が変わった」
「状況?」
「あ、あの、どこまで知ってます…?」


どこまで、とは、今俺たちハルヒぐるみを取り巻く環境のことだろう。帰国してすぐに見たあの胸糞の悪い雑誌以上のことは知らないぞ。そう言うと古泉は困ったような顔をした。俺が称した胸糞の悪い雑誌とやらの内容に想像が及ばないのだろうが、ハルヒの罵詈悪口雑言を、例え雑誌を通したものだと割り切っても口に出したくない。


「とにかく、俺が知ってるのはそこまでだが、何だ、まさかまた古泉が口を滑らせて新しい噂でも派生したか」
「その節は本当に…」
「そうではない」


長門が古泉を遮って強めの口調で言ったのは、恐らく古泉に助け舟を出そうとした仏心ではなく、平謝りする古泉では情報を正確に伝達できないと判断し、また話が脱線するのを防ぐためだろう。


「そのパソコン、インターネットに繋げる?」


長門が指したのは、つい先刻まで俺の頭痛の種だった草稿のデータが入ったパソコンだった。投げ捨てたままのキーボードがコードに繋がれて頼りなげに佇んでいる。一応ネットに繋がってはいるものの、テレビもあり、新聞も(会社に)ある今の現状でそう必要となった試しがない。捨て鉢になって走ったつまらない言葉遊びの痕跡を消してデータを保存した後、長門にパソコンを明け渡す。長門の目にも止まらぬブラインドタッチに目を剥いている内に、長門はおもむろに指を止め、画面だけをこちらに向けた。


「隔週で格付けされるランキングに、新曲がランクインした」
「へぇ、そりゃ凄いじゃないか。それの何が悪いんだ?」
「悪いなんてものじゃないんです…」


古泉はまるで全世界の咎を自分の背に背負ってしまったかのような悲愴な顔をして、パソコン画面を睨みつけた。


「音源を作ったあなたの腕を買って、楽譜はあるからとあなたを指名しようとする事務所が頻出している」


俺は意図せずして鼻に皺を寄せた。
ハルヒの編集の腕があったとはいえ、あんな下手くそな音を買うとんだ物好きが世の中に幾人もいるもんなんだな。世も末だぜ。


「僕のところには勿論のこと、どうやら涼宮さんにもあなたの仔細を知りたがる輩が頻繁に連絡を入れてくるみたいで…」
「彼の認識の甘さは私にも非がある。ごめんなさい」


思わぬ方面の名声を得てしまった俺だが、そんなことはどうでもいい。俺のところに直接連絡がきたときに断固拒否してしまえば良いのだ。しかし俺は古泉の格好に目線を止めたまま、動けなかった。おい古泉、


「お前、その格好でここまできたのか?」
「はい」
「車で?」
「ええ、いつも通りの」
「スモークガラスも施してないウィッシュで、か」


長門は一瞬古泉の方へ顔を向け、目を細めた。
古泉の格好は、至って普通である。少し値が張りそうなジャケットと、動き易そうなジーンズとシャツと、街頭を歩けば女性陣の目を集めそうな好青年振りだ。そう、初対面の頃に見た、素人丸出しの下手な変装染みた格好でもなければ、顔を隠すもの何一つ身につけてやしなかったのだ!


「こ、こ、この馬鹿泉ー!」


いつもならば長門が諫めてくれるのだろうが、それでなければ古泉は服にどれだけでも無頓着になれるようだ。外面からはそう見えなくとも、古泉の不注意に気付かなかった長門も、この件に関しては十分動揺していたらしい。
誰のせいでもない。俺が、分を弁えずに安易に引き受けた代償に、自分自身から出た錆を引っ被っただけなのだ。頭のどこか片隅が、引っ越す算段を着々と見積もる中で、俺はただ茫然自失になっていた。




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(080115)