音楽は、好きだけれど。




ravenous ruffian




意外でした。
古泉は言った。相変わらず長門が秀逸な運転を続ける車の中で、である。
昼を少しばかり過ぎた頃、ハルヒから駄目出しを出されまくっていた俺は漸く解放された。どこそこはフォルテシモ、どこそこはクレシェンド、とやかましく注文をつけるハルヒと、あそこはもう少し緩やかにしていった方が良いと僕は思うのですが、あなたは如何でしょうか、と控え目だが無視のできない注文を、決して声を荒げることなく言う古泉の両方に耳を傾けたのだ(そして、たまに衝突する二人の気をそらしたり)。正直、酔った谷口を相手にする方がマシな気がする。そんな疲弊具合の俺は、無機質なビニルの臭いがする座席にもたれ、目を瞑っている。
古泉は俺に構わず続けた。


「失礼ですが、あなたの口ぶりから、演奏の方についてあまり期待はしていませんでしたから」
「…ブランクが何年かあったのは本当だ。当然だろうな」
「いえ、こちらの予想を見事に嬉しい方向へ裏切って下さいました」


少し弾んだ古泉の声に奴を盗み見するが、奴は目を細めたまま、前を向いている。僅かに笑みの乗るその口元で、どうやら満足とはいかなくとも(実際に譲歩した部分はかなり多かった)奴の納得のいくものになったようだと俺は判断した。仕事を頼まれた側の人間は、飽くまで依頼人の要望に忠実でいなければならないらしいから、俺はせめて古泉があの音源に肯定的でいてくれることに息を吐いた。


「鍵盤楽器も習ってらっしゃったのでしょう?何故楽器に携わる仕事を採らなかったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」


単純にそれは、俺のやる気と、資金の問題だった。
オーケストラの有名所はそのほとんどがオーストリアやフランスといった本場の空気を長く経験している人間ばかりである。生憎俺は英語すら満足に話せない可哀想な脳味噌で、音楽のために語学を学ぶ気にはなれなかった故、奨学制度を利用する基準に充たなかった。その上俺の実家は冴えない中流家庭で、物価の違う外国でやる気のない俺を独り暮らしにさせるくらいなら日本で普通に働けと首を縦に振らなかったのである。両親の言い分に理屈は見えたし、不満はなかったので今はしがないコラムニストで食い扶持を稼いでいるのだ。
ただ、それを昨日今日に知り合ったこいつに聞かすつもりは毛頭ない。


「諸々の私事だ。面白い話なんかないぞ」
「おや、それは残念」


いっそ高校時代の一風変わった連中のことを大学の同窓だと偽って話しても良いのだが、嘘を吐くのは何だか心苦しく後ろめたいし、古泉は煙に巻かれてくれない気がする。
古泉はそれ以上追尋してこなかった。職業柄、弁えている部分もちゃんとあるのだろう。それか、古泉自身も同じく外心があり、追及されることを潔しとしない性格なのか。そのどちらでも、古泉が深く掘り下げて聞いてこなければ俺は構わないが。


「とにかく、今回はとても助かりました。涼宮さんに、あなたのような頼れる知り合いがいらっしゃらなかったらと思うと空恐ろしいですね」


僕クビになっちゃいます、と古泉は笑いながら肩をすくめた。茶目っ気があるのはけっこうなことだが、矜持も高く顔の広いハルヒに限って、そんな事態にはならない。自分のやりたいことを完遂するまで、手を抜くどころか徹底に徹底を重ねる奴が音源を抜かるなど、有り得ない。


「歌手も作曲家も作詞家も、互いに信頼しないで仕事なんてできるか。もう少しあいつを信じてやれよ」
「これは失礼しました。そのようなつもりではなかったのですが…」


眉尻を下げて困ったように笑う古泉に、俺は少し罪悪感を感じた。生活がかかっているというのに呑気なことや綺麗事など言っていられないと、誰しもわかることである。それは俺自身にすら当てはまる癖に、ご高説垂れていた自分が恥ずかしくなる。
黙った俺に、古泉は言った。本当によく喋る奴である。


「僕は楽器のことに関して疎いですからね…時々、ピアノやギターを弾きながら歌う同業者の方たちを見ていると、僕には無理と承知していながらも羨ましくもなるのです」
「…お前、音楽は好きか」
「はい」


それは良かった。
再び座席に身を沈めた俺は、今更騒ぎ出した腹の虫で、朝食べ損なった食事の存在を漸く思い出したのであった。




**




ハルヒから発売されたCDが届いた。自分の上手くもない演奏を顧みるなど憤悶なことだけれど、ハルヒは 「アンタも製作に関わったんだから」 と言って半ば傷のないCDを俺の胸に押しつけるようにして慌ただしく去っていった。まだ、忙しく立ち回っているようである。去り際に火曜日の八時にある番組を見るようにと幾度となく念を押されたが、一体どういう了見やら。
最近胃もたれが激しいので、消化に良い粥を夕食に選んだ。残り物のおかずと共に食しながらテレビの前に置いてある座卓に正座し、とりあえず新聞と照らし合わせてチャンネルを変えてゆく。
ハルヒの様子から、どうやら俺が作った曲の初放送だそうだが、果てしなく見たくない。しかし見なければハルヒが編集の腕を聞いてきたときに反応ができないので、極力音量を小さくして聞くことにする。やれやれ、これは新手の拷問か何かなのだろうか。
当然ながらいち歌手の名前を逐一知らせてくれる大きなテレビ欄のある優しい新聞などなく、俺は既に始まっていた歌番組を見ながらだらだら粥を口に運んでいたが、ふと、画面の端に古泉が座っているのを見つけた。相変わらずにたにた笑っているが、その顔が若干強張っているのは緊張からなのだろう、奴も人の子だと何故か些か安堵する。


―…今回作詞したのは古泉さんということですが
―…ええ、初めてだったので勝手がわからず、思いの外苦戦しましたよ
―…作曲を担当したのは今話題の渦中にある涼宮ハルヒさんですよね。その辺りは如何でしたか?
―…噂に違わず素晴らしい方でした。実は今回の音源は彼女の知り合いである方に担当していただいたのですが…


俺は粥を盛大に噴いた。
おい古泉!今の話の流れからどうして俺の話に行くのか、今すぐここで土下座しながら俺の納得できる理由を10字以内で言え!
粥を片付けながら俺が恨みの呪咀を吐いている間に、無情にも番組の進行役はその話題に飛び付いた。


―…有名な方ですか?
―…いえ、作曲に関わったのは今回が初めてのようです。普段は別の仕事をしていらっしゃるとか
―…へぇ、初めて同士ですか。どうです、その方と良い仕事ができましたか?
―…それは曲を聞くまでのお楽しみ、ですよ。でも、彼とはもう一度組みたいと思ってます
―…ありがとうございました。スタンバイの方を宜しくお願いします…


俺は憤死してもおかしくないくらい、頭が痛かった。司会者の生温い笑みもそうだし、古泉がハルヒよりも俺の話題を引っ張ったのもそうだし、とかく褒められた数など片手で事足りる俺の演奏のせいで、古泉がへまをやらかしやしないかと気が気じゃない。こんな心労はもう十分である。


―…それではお聞き下さい。abyssで『depth』です。どうぞ


道理で聞いた覚えのある声である。CDショップに行けばかなりの割合で聞くことのできる古泉の声は、現在進行形で人気を博するアイドル様と同一のものだった。
何が駆け出しだこの役者め。




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(080113)