いや、まさかあいつにこれほど行動力があるなんて、最早完全にこちらの読み負けとなっている。他人を慮った事情説明なんか二の次三の次、結果主義のあいつを止める手だてが俺の手元にないのは、疾うに承知の上だけれど。
ravenous ruffian
言い訳のできないほど、月給の二倍という数字と言葉の魅力に惹かれた俺は、とりあえず話を聞くだけの価値はあると踏んでコーヒーの追加を頼んで腰をしっかり据えた。
ハルヒが具体的な数字を提示するということは、名実共に強固な確証が彼女に掌握されているときである。現にハルヒは話を聞く体勢を目に見えてはっきり示した俺に満足げに笑っている。見損なうことなかれ。いくら会社そのものと契約しているとしても、所詮俺はその筋で何の業績も挙げていない、飼い殺し状態のひよっこなのだ。収入源は多ければ多いほど俺の精神上と経済上によろしい。
本日二杯目のコーヒーが硬質のテーブルに置かれる、かちゃりと涼しく軽い音を合図に、ハルヒは口を開いた。
「実は今聞かせた奴、まだリリース前の段階なの。ちょっと当人と曲の印象について意見が食い違っちゃってね、第三者の意見がこれからも必要になると思ったのよ。アンタならあたしと気構えなしに意見も言い合えるし、一応曲がりなりにも弦楽器と鍵盤楽器の専攻でしょ?それなりに詳しいじゃない」
天下のコラムニスト様だし、と諭うハルヒを見て俺は絶句した。歌っている奴は声からして男だが、ハルヒは性差関係なく、それこそ気に入らないことがあれば目上の人間にだろうと意見を突貫させるくらい気丈に気丈を重ねたような我の強い人間である。そのハルヒが冷静に物事を見つめ、第三者に意見を求めようとしているのだ。俺はうっかりハルヒの額に掌を置いた。牙を剥いたハルヒに、やはりというか何というか、熱はない。
「理由と背景事情はわかった。しかし本当に俺の月給の二倍額が出てくるのか疑問だな。どこからそんな金出てくるんだ?」
「あたしのポケットマネーからに決まってんじゃない」
俺は目をひん剥いた。作曲家とやらはそんなに儲かるのか?
「もちろん痛くないわけないわよ。これでも生活は切り詰めてるわ。それでも長い目で見て、今持ってる人たちを専属として抱き込んでおきたいの。商戦よ商戦」
「つまり、お前の眼鏡に適うくらいには期待して良い奴らなんだな?」
「当然よ!」
ならば安心して大丈夫だろう。単なるハルヒの売り言葉買い言葉だとも否めないが、こいつだって勢いだけで生活を賭けやしないはずだ。
「で、俺は何をしたら良い」
「ううん、そうね…今聞かせた奴が一番手間取りそうなの。他にも収録曲があるし…」
「おいおい、一体いくつ新曲を出すつもりだ?大抵ひとつふたつだろう」
「何そんな甘っちょろいこと言ってんの。流行り廃れはすぐ変わんのよ」
なるほど、ハルヒが敏腕とうたわれる理由がわかった気がする。何事にも精力的なこいつの作る曲が悉くチャートに出れば、各社からの依頼がひっきりなしに殺到するのだろう。しかも着ている服や装飾品を見たところかなりの高給取りだ。恐らく切り詰めているのは生活にかかる支出で、作曲に使う機材と維持費のためだ。それを削ってまで俺を雇いたいなんて、俺の才はとんでもなく高く買われているようである。そこまで高い評価を頂いたこちらとしては、この話、断ることも偲びない。よしんば断ったとしてもハルヒがしつこく食い下がる(寧ろ脅す?)のは火を見るより明らかだ。
「まあ、悪い話じゃなさそうだな」
「なあに、あたしの持ってきた話が信憑性に欠けるとでも言いたいの?」
「凄むなよ。話に乗ってやるってんだから」
ハルヒはぱっと笑顔になり、ホント!?ホントにホントね!?嘘吐いたら殺すわよ! と物騒な念を押す。やれやれ、こんな嬉しそうな顔をされちゃ、悪い気もしないな。
「実はそう言ってくれると思って、もう本人たちにも招集かけてんのよ!」
二時の約束で!と宣うハルヒを尻目に慌てて時計を確認する。二時までもう間もなかった。ちくしょう謀ったな。恨めしげに睨めつけるも、歯牙にもかけない様子でハルヒはにまんと笑う。こいつはこういう如才ない奴だったと、先刻学習しただろう、俺。
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店に入ってきた奴らに、俺は危うく口に含んだコーヒーを吹きかけるところだった。ハルヒは俺の隣に移動して、コーヒーカップを仰いだ格好のまま固まっている俺の反応を、にやにやしながら窺っている。
目元を隠したり帽子を被ったりして、軽く変装まがいなことをしているが、何だろうな、逆効果とまでは言わずとも、全く効果がないぞ。隣の人間の見目も麗しいせいで。
「古泉一樹です」
「…長門有希」
「有希は古泉くんのマネージャーよ」
マネージャーか。ならば顔をあからさまに隠す必要はないんだろうな。だが目立ちたくなければ、二人とも人目を憚った方が良いと思うぞ。というか今日び美形アイドル様のマネージャーも美人とかいう法則でもできあがってんのかね。ハルヒといいこいつらといい、世の中に顔の良い奴らはいるところにはいるんだな。あはは、この空間の美形率を考えると本当に泣きたくなってきた。
「キョン!さっさとアンタの意見言っちゃって!」
「は?紹介とかは、」
「そんなの後回しよ!」
「いやいやいや、身元が明らかになってない奴から云々言われたって信憑性なんかないだろ!」
「問題ない。あなたのことは彼女から聞いている」
抑揚のない声。店に入ってきたときと寸分も変わっていない無表情を保ったまま、長門が口を開いた。隣の男、古泉も笑み崩れた顔で言う。
「涼宮さんの、あなたのことを言う口ぶりからも、随分と信用されていることがわかりましたからね」
柔らかい声。イヤホン越しに聞いた声より若干深みがある。
ほら見なさい!とハルヒが俺の背中を叩いた拍子にコーヒーが跳ねた。水物を持っているときに叩くんじゃあない。俺は顔をしかめる。おいハルヒ、こいつらに俺のことをどう言ったかは知らんが、あることないこと面白おかしく脚色して吹き込んだんじゃないだろうな。こいつらの意味ありげ、興味ありげな視線はどういうことなんだ。
「しかし無関係な俺の一存で決めて良いのか?下世話な話だが売り上げにも関わるんだろ?」
「あなたも彼女からMDを受け取って聞いていると思う。私や古泉一樹の希望する伴奏はピアノ、だけれど彼女はチェンバロを推してきた。私たちが聞きたいのは、両方聞いた上で公平な、第三者の意見。コラムニストのあなたなら、それが可能だと思ったから」
長門はまっすぐに俺を見た。俺の意見が飽くまで俺の主観によるものだとわかっている目だ。それを承知した上で、俺の意見が公平であると信じている目だ。
古泉も長門に全任しているようだし、ハルヒは俺が何を言い出すか楽しみで仕方ないようだし、会って間もないというのに、どうして誰も彼も俺を過大評価するのだろうか。
「…この曲のカラオケと楽譜はあるか?」
全く、プレッシャーで潰されちまいそうだな。俺はにやりと笑った。
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(080103)