今をときめくアイドルが取っ替え引っ替え変わる世知辛いご時世、今更いい歳をしてそんな世界に憧れたりはしないけれど、どこか隔世というような印象が侭あったことは認めるさ。ただな、別に関わりたかったわけじゃあないんだ。俺がいくら説明しても、そこのところをちゃんとわかっていないだろう、なあハルヒ。
ravenous ruffian
高校大学と同窓だったハルヒに呼び出されたのは、本当に突然のことであった。アンタ暇な日ある!?ていうか空けときなさい!と番号を教えてもいない電話口(大方同窓会だのクラス会だの嘘八百並べ立てて学校に問合せでもしたのだろう。あいつのやることは逐一規格外だ)で姦しく騒ぎ立て、こちらの予定を尋問し、有無も言わさず約束を取り付けたあいつはいつもながら俺のスケジュールなんて意に介さない。俺が県外に就職していたらどうするつもりだったんだ?まさか交通費も自腹で来いなんて言うんじゃないだろうな。あいつなら言い兼ねん。
あいつと俺は、高校に入学してすぐに知り合った。黙っていれば顔は良く、頭もずば抜けてよろしかったあいつが、勉学も平均、取り立てて何か人に自慢できるようなものを持っているわけでもない俺と何故つるみ始めたのか、そんなことは当人しか知らない。偶然同じクラスで席が前後だった俺は、あいつの難ありな性格に在学中ずっと振り回されっぱなしだったわけである。いや、高校だけならまだ良かったさ。大学受験の合格発表の折りに、掲示板を覗き込んでいたあいつの後ろ姿を見つけたとき、ああ大学でもこいつに振り回されるんだろうなと何とはなしに予知してしまった俺を誰が責められようか。あいつの頭の良さを嫌というほど知らされている俺は即座にあいつが滑る可能性を否定した(寧ろ俺が落ちる可能性の方が十二分にあったのだが、悪運強く残った自分に俺は少し泣いたね)。
そういう経緯で高校よりも若干大人しく大学生活を過ごした俺は、大学の専攻とは全く関係のなかった一般企業に就職を果たすことができたのだが。
「アンタがまさか大手編集社お抱えのコラムニストになるとは思わなかったわ」
「俺だって今もそう思ってるさ。まあ、オケとか弦楽器の知識があればこそできた仕事だからな」
掃いて捨てるほど評論家がいる風当たりの厳しい社会で卒業後のビジョンすら曖昧だった俺がこんなに早く固定職に就けたのはまさに僥幸である。たまたま書いた卒論に目を止めてくれた、今の担当部署責任者に感謝だ。
待ち合わせに示し合わせた喫茶店は、学生の時分よく世話になった駅前にある馴染みのものである。通りに面した硝子張りのテーブル席に腰を下ろし、俺はコーヒーを頼む。ハルヒは俺が来る前から、既に何か食べたらしく、まっさらになった皿を脇に避けている。
卒業して暫く会っていなかったにも関わらず、相も変わらない見目の麗しさには目を見張るものではあるが、自分の容姿に別段頓着していないハルヒをいくら褒め千切ったところで効果は壁に向かって言うが如きだ。まあ、自分の容姿に鼻持ちならない自信を持っている奴よりは断然イイ女だがな。学生の頃よりだいぶあどけなさがなくなり垢抜けしたハルヒも今やすっかり社会人の顔をしている。やれやれ、嬉しいのやら悲しいのやら。いつか妹にもこんな気持ちを感じるのかと思うと、少し切ない。
「それよりお前の方はどうなんだ?こっちじゃ敏腕だと専らの噂だぞ」
「まあまあ順調よ。今も何人かの作曲を受け持ってるわ」
「凄いじゃないか。そっちの業界のことはよく知らんが」
「アンタ試験の作曲でも苦労してたもんね」
今思えばアンタがストレートで卒業できたなんて奇跡だわとハルヒは楽しげに目を細めた。俺としてはあんな苦労した試験はもう勘弁願いたいところである。
後述となってしまったが、俺もハルヒも挙って芸術大学の音楽専攻に進んだ。俺は当時の学力で行ける範囲の大学を選んだつもりだったが、因りにもよって実技まで通ってしまったものだから漸くことの大きさを知り、一時期恐慌状態になってしまったのだが…いや、何も言うまい。予備知識なぞあって無きに等しかったのによくぞ四年間もったものだ。懸命に受験勉強に励んだ皆さんに申し訳ないというか何というか。
「大体、いくら音大卒だろうとそのまま音楽に携わる仕事に就ける奴の方が珍しいんだぞ」
「知ってるわよ。アンタだんだん親父臭くなってない?」
俺の心に痛恨の一撃。妹にも似たようなことを言われただけに今一度本気で検討してみなければなるまい。
「ところで、平日なのに俺を呼び出したその用件は何だ?俺が一般管理職だったらどうするんだ」
「管理職じゃないんだから問題ないじゃない」
ああ、そういえばこいつはこういう奴だった。
俺が認識の甘さに打ちひしがれていると、ハルヒはセンスの良い鞄からMDを二枚取り出して、俺に寄越した。
「今やってる仕事なんだけど、アンタのアドバイスが欲しいの」
「光栄なことで」
ひんやり冷たいイヤホンを耳に通し、再生ボタンを押す。流れてきたのは流暢な伴奏と柔らかい男の声だった。今時珍しい、緩やかな曲調である。目の奥に溜った疲れがずるずる引きずり出されそうな感覚に意図せずして目を閉じると、ぶつりと曲が途中で切れた。文句を言う前に二枚目をハルヒに渡される。また再び始まる、なだらかな伴奏。耳朶を打つ甘やかな声。
「ん?…同じ曲じゃない、のか?」
「わかる?」
「ビートが3速い。あと伴奏が…チェンバロか」
しかしこの声、聞き覚えがある。街頭で流れていてもおかしくないくらい癖のない声だが、どこで聞いたんだったか、いまいち思い出せない。健忘症まで懸念せねばならなくなったかと戦慄する俺を余所に、ハルヒは頬を上気させて俺の手を鷲掴み、言った。
「わかる?わかる?この違い!会社の奴ら誰もわかんなかったのよ!」
血走った彼女の目が、少しばかり、恐ろしいことになっている。
「違いも何も…速さなんて耳に慣れなきゃわからんだろうし、チェンバロはどう弾いたってピアノより引き攣った音になるだろ」
「アンタの耳、こんなところで腐らせちゃ不味いってもんよ!」
「おい聞いてるか?」
「キョン!」
ハルヒは俺の手を絞め上げた。握り込むなんて生易しいもんじゃない。指の関節がぎしぎししなっている。
「アンタの月給の二倍、臨時手当ても別途で出すわ!あたしと組まない!?」
とりあえずハルヒ、今俺たちがどれほど人々の注目を集めているか理解した上で、落ち着いて椅子に座って事情を説明してくれないか。
※ravenous ruffian…飢えた悪党
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(080103)