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05




俺は部屋を閉め切って、布団を頭からかけて沈思した。体調が悪いので学校を休むとその旨を妹に伝え、部屋の中でただひたすら息を潜めていた。凄まじいひもじさを俺は頭痛で働かない頭で吟味した。是が非でも治せというハルヒの命令を反故にしたことは致し方ない。
今の俺は新陳代謝機能が活発になっていると思われる。そのため細胞間の酸素の遣り取りが通常の速さではなくなり、常に酸欠の状態にあると予測される。慢性的な頭痛はそれが原因だ。そして、呼吸だけでは満足でない酸素を手っ取り早く得るために、他人の血を求める、か。全く笑えないぜ。
歯を食い縛ろうにも、成長しすぎた犬歯が下唇に刺さるため、どうにも宜しくない。試しに自分の腕を噛んでみたが、なるほど噛みつくにはこれ以上にないほど最適であった。自分の血で満足してくれるような生易しい体ではないらしく、ひもじさだけは変わらずに胸の中に鎮座している。
そこまで考えついたは良いが、やはり俺にこれを治すのは無理だ。飽くまで俺はちょっと前まで一般人だったわけで、有効な手札なんぞ持っていないに等しい。持っているのは『誰かに助けを求める』の一枚だけ。ちくしょう、俺はこんなにも無力だ。


「あ、古泉くん。いらっしゃあい」


何だと!?
身を起こすとカーテンの隙間から漏れていた日光が失せていることに気付いた。学校に行っていた妹までいつの間にか帰ってきている。
「お兄さんはお元気ですか」「あんまり良くないよ。ご飯食べないの」「熱とかは…」「キョンくんはないって言ってるけどだるそうだった」「それはそれは…」
ああもうだだ漏れ。
そして階下で繰り広げられている会話の委細を拾える俺はどこまでも化け物だ。穴が開くのも厭わず、俺は下唇を噛んだ。
階段を昇る音がする。こうなったら古泉には狸寝入りで誤魔化してさっさとご退場願うしかない。俺は起こしていた体を布団に押し戻し、戸に背を向ける。


「入りますよ」


返事がないのを了承と取ったのか、古泉は扉を開ける。外の明かりが筋になって入ってくる。俺は寝てるんだ。早く察してくれ。


「…今日涼宮さんから仰せつかりましてね。あなたの具合を見てこい、と」


古泉ー!お前はそんなに空気の読めない奴だったのか!寝てる相手に一人談義を始めるほど寂しい奴だったのかお前!


「朝比奈さんも気にしておられましたよ。昨日はあなたの様子が変でしたし」


朝比奈さんの顔が浮かんでとりわけ居た堪れない気分になる。昨日は怖がらせてしまってすみません。
古泉の鞄を降ろす音が存外近くで聞こえた。忍び寄る古泉の気配、生き物の、におい。


「こ、いずみ…?」
「やっと起きましたね」


ちくしょう狸め。


「お前気付いてたな」
「あなた、理論で煙に巻くのは上手いのに、嘘を吐くのは下手ですよね」


暗に、あの公園での嘘がバレていることを示唆する笑顔が憎たらしい。女性との誠実なお付き合いが望めそうですねと奴は言う。何を前提にそんなことを言うのか、ちょっと声を大きくして言ってみろ。


「いやですね、皆まで言わせないで下さいよ」
「あ、そ」


身を起こして古泉を睨めつける。もちろん、夕闇に沈む薄暗い部屋で古泉にそれが効果があるのかは、推して知るべし。制服姿の古泉は放課後も変わらずネクタイを締め、シャツをかっちり着込んでいる。この季節に、暑くないのだろうか。


「妹さんから聞きましたよ。食事を摂らないそうですね。駄目じゃないですか」
「お前は俺の母親か。そもそもお前にだけは言われたくないな」


夏休みにひょんなことで知る機会を得たこいつの食生活の破綻ぷりたるや、俺の悲惨さなど度合いにも昇らない。いつ何時閉鎖空間が発生しても万全の態勢で臨めるようにという理屈はわからんでもないのだが、ビタミン剤と水とダイエット用の軽食(というより寧ろあれはもう菓子の域だ)だけを食ってよくも倒れないな。顔をしかめて呟いた俺に、古泉が笑って言ったのを、今でも覚えている。


『どこかのヒーローみたく、三分で片付くというのなら、インスタントにでも世話になっていたのでしょうねぇ』



今の俺が言うのも何だが、こいつはもう少し自分を省みた方が良い。
古泉もその時のことを考えていたのか、


「あれから僕も食生活に関して少しは考えるようになりましたよ。水の代わりに必須アミノ酸が配合されたスポーツドリンクを飲むようになりました」
「進歩的なように聞こえるが退廃してないかそれは。料理をする手間を惜しんでどうする」
「そんなことよりも、目下の問題はあなたです」


はぐらかされなかったか。俺は胸中で舌打ちする。上手く話題を逸らせたと思ったんだがな。


「情報元である妹さんの話によると、昨日からずっと部屋にいたそうですね。あなたの声を聞く限りでは食事を摂られないほど辛そうには見えないんですが」
「色々あってな」
「そうですか」


夜目が利くのか、古泉の手が壁を伝うのがはっきり見える。何か探してるのか…


「今のままではあなたの具合を推し測ることもできませんし、電気をつけますよ」
「ば…っ」


つけるな馬鹿やろう!
明るくなった部屋で俺の顔をばっちり拝んだ古泉の顔は、こんな状況でなかったら吹き出していたかもしれん。しかし俺は、迂濶にも裸眼を電灯の下に晒していることに古泉が電気をつける一瞬前に思い出していたので、笑える余裕など一切合切なかったわけで。







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(071204)