今の状況を治す手だてもないけれど、今の状況がより一層深刻になる可能性は否めない。
もしあなたの変貌が涼宮ハルヒの願望なら、そう願った理由が絶対にあるはず。けれど私は涼宮ハルヒの感情の起伏を客観的に分析することはできても、彼女の無意識下の深層心理にまでは見解が遠く及ばない。
シークエンスの中で発生したのなら、原因もきっと夏休みの中にある。
探して。そうすれば何かわかるから。





03




いつも通りの帰り道。いつも通りの坂。いつも通りのメンバー。いつも通りの帰り方。いつも通りじゃない俺。思わずうめいた。


「どうかしましたか?」
「何でもない」
「そろそろ教えて下さいませんか?長門さんと、よりによって男子トイレで密会していた理由を」
「そんな大層なことはしてねぇよ。長門も俺を探しにきた。トイレに俺以外誰もいなかったから入ってきた、ってとこだろ」
「なるほど」


爽やかな微笑とは裏腹に、全く納得していないような相槌。気に食わないなら面と向かって言えば良いのに、つくづく人の神経を逆撫でする奴だな。今は何も聞かないでいてあげますってか。
俺は隣に並ぶ古泉を睨んだ。
トイレにいましたよとわざわざハルヒに報告した古泉は、どうやら、俺と古泉が部室に向かっていたところに合流したという長門の説明をそのまま用いたようだ。まあ、下手にハルヒを刺激して面白いことなんかないから、当然の帰結だと言ってしまえばそれまでなんだが。
俺と古泉の会話が聞こえていないわけではないであろう長門は、それでもまるで自分は無関係だと言わんばかりに黙々と帰路を歩き続けた。
やれやれ、俺はこれからどうなっちまうのかね。ちら、と長門の後ろ姿に視線をやる。
このコンタクトレンズだってそうだが、このままずっと長門の世話になるのは客観的にも主観的にも宜しくないにも関わらず、現時点で俺の原因不明な症状は長門しか知らないのはどうだろう。しかし、古泉なり朝比奈さんなりに言ってどうする?俺はこの状況を打破したいだけであって、決して額を寄せ合って頭を悩ませたいわけではないのだ。二人は既にハルヒのことで手一杯だろう。それを言ったら長門もさして違いはないのだけれど。
よし決めた。できるだけ自分で解決しよう。誰の手も煩わせてたまるか。


「大体これは俺だけの問題だしな…」
「はい?」
「こっちのことだ」
「はあ」


こいつの感情は顔より声の方がわかり易い。なんだかんだ言って、こいつの作り笑いの皮はそれなりに年季が入っている分、とてつもなく分厚いからだ。ぼんやりとしか見えない俺にはとても有難い。いや、目が備わっているならそれに越したことはないが。
じりじり首の後ろを刺すような蝉の声に混じり、どこかでつくつくぼうしやひぐらしが鳴いている。何とも秋の気配を感じられて風流なものだが、残暑はまだかなりの暑さを引きずっている。
明日の体育は確か外だったな。というか俺はこんな目で、体育などできるのだろうか。


「申し訳ありませんがこの後少しよろしいでしょうか」
「あ?」


そりゃ俺に言ってんのか。
先程よりちょっと輪郭がはっきりした古泉が頷く。やけに声が近い。


「ええ。あまり手間は取らせませんので…」
「今じゃ言えんことか?」
「人払いをした方が、何かとお互い好都合でしょう?」


何だその、俺までやましいことがあるみたいな言い方は。俺にやましいことなんか…まあ、ないと言いたい。


「今何時だ」
「5時を少し過ぎた辺りでしょうか」
「7時には帰らせろ」
「仰せのままに」


頷いた俺を見計らって、古泉はハルヒに、すみません僕たちはここで、と言った。


「あら、どうかしたの?」
「たまには男同士の付き合いでもと思いまして」


こいつと付き合うくらいなら割増でうるさい谷口との方がまだマシだと両腕を擦ったが、ハルヒはそんなこと注視せずにじゃあ私たちは女同士の付き合いでもしようかしらと茶化して笑っていた。
俺もできるならあっちの方に混ざりたいものだ。


「それでは失礼します」
「また明日ね!」
「おう、じゃあな」


ハルヒは朝比奈さんと長門の肩を抱いて歩いていった。通行人には傍迷惑この上ないが、何だろう、その様子はとても好ましく微笑ましい。


「行きましょうか」


こいつが人目を憚る話の内容など、大抵ハルヒのことか機関の下した命令で俺に知らせた方が良い内容だろう。




*




公園の外灯が灯る頃、どうぞと古泉が俺に渡したのは、何の嫌味か甘ったるいミルクセーキだった。よく冷たいミルクセーキなんか見つけたなと半ば感心しつつもプルタブを引く気にはなれなかった。帰ったら妹にでもやろう。


「お気に召しませんでした?」


鞄を挟んで隣に座る男が聞いてくる。


「お気に召す召さないの問題か?俺が甘いの好きじゃねぇのは知ってる癖によ」
「おや、そうでしたか」
「どうせ転校するときハルヒの身辺は一通り洗ってあんだろ」


白々しい、と俺は笑う。古泉は一本取られましたねと声を露にした。何故か嬉しそうである。


「んで?わざわざ男二人なんてお寒いチョイスをしたその腹の内は何だ。ハルヒか?機関か?」
「いえ、今回はあなたの懸念には及びませんよ」


ずい。
古泉は身を乗り出して俺の頬骨を掴んだ。互いの鼻息がかかるくらいの距離(ぎゃー!)で、ようやく俺は古泉の顔全体の細部を見て取れた。その至近距離で古泉は言う。


「目をどうされたんですか、あなた」
「どうされたって…」
「今日、何度か顔を近付けた僕に気付きませんでしたね?」


ああ、だからさっきの古泉は割りとはっきり見えたのか。
古泉は言う。そりゃもう、女ならば彼氏が居ようと少しはぐらつくくらい、イイ笑顔で。


「もう一度言いましょう。目を、どうされたんですか、あなた」


長門、早くもお前の力が必要になりそうだなんて、こんな情けない俺を笑ってくれ。







next>>04




(071202)