飲み会を断って帰ろうとした途端の、この長雨だ。どうやら神はとことん俺がお気に召さないらしい。高校に入ってしょっぱなから散々な目にあったというのに、まだ飽きないのか。神という存在が確立していると知ってから、何だか俺は女々しくなったような気がする。
どうせ俺は顔も体つきも性格も生憎、凡百な人間そのもので、強いて言えばまだ
ちょっと僅かながら身長が伸びていることが唯一の取り柄というか、誇れるものというか。止めよう。だんだん悲しくなってきた。まあ詰まるところ女性諸君の餌としての価値を幹事が俺に見出さなかったことが今回大人しく辞退できた最たる要因であったわけだが、何だか素直に喜べない。だって俺も一応色欲というものはきちんとあるのだから。
コンビニで傘を買おうと思えども、残念なことに帰路にはコンビニの一軒すらない。先程ホームで雑誌を買ったとき、一緒に購入すれば良かったか。もっとも、そのときはまだ夕闇に星を見つけたものだから、まさかこんな俄か雨に見舞われるだなんて予想だにしなかった。予想できた奴は今すぐ天気予報士に転職しろと思うのは偏見だろうか。
そうして小降りでも土砂降りでもない中途半端で実に有り難くない雨はしとしと俺にも降り頻る。遮るものが四角くやたら重たい鞄か、どこぞで買ったかもしれない、親からの就職祝いである安っぽいスーツだ。どちらも敢えなく役不足といったところか。
少し狭いがなかなか良い物件の賃貸マンションである我が家へ着く。その頃にはもう雨なんて遮るつもりもなくて、俺はどこもかしこも濡れみずくだった。明日はちょうど休日で、湿ったスーツで出勤する羽目にならずに済みそうなことが唯一の救いだろう。久々に家でだらだらしよう。録画してそのままの映画とかあるし。
「…で、人ん家の前で何やってんだ」
「あ、おかえりなさい」
何が悲しくて男に出迎えてもらわなければならんのだ。俺はいたってノーマルラインにいるのに。
俺と同じく濡れ鼠になった奴が、俺の家の扉に寄りかかって情けない顔をして笑った。何年越しかに見た奴の顔は、残念ながら俺の望んだ方向には変わってなくて、相変わらず女受けしそうな涼しげな顔だ。滴る雨さえも別次元なものように見えるから世の中不思議で不公平だ。
「良かった、今夜はもう帰ってこないかと思いましたよ」
「…それで、何の用だ古泉。大学にこぞって進学したお前らと違って、こっちは仕事帰りなんだよ。話が短いならここで聞く。用件が終わったら即帰れ。俺は疲れてんだ」
「ふふ、あなたの仏頂面もお変りなく」
「……」
のらりくらりと、全く要領を得ない奴だ。高校から進歩ないのか。話していると苛々する。
「用がないなら寝るぞ俺は。退け、家に入れん」
奴はやれやれと肩をすくめて立ち上がった。くそぅ、高校のときとあまり身長差が変わってねぇ。暗がりから蛍光灯の光を浴びたら、一段と変わらない奴がゆったりと嘘臭い笑みを張り付けるのが見えた。
「…その顔は、俺からするに腫れてるようにも見えるのだが…?なんだ、痴情のもつれか」
そんな言葉、俺は未来永劫使う機会など巡り回ってこないだろう。何せ奴は女なら捨て置かない麗しいご尊顔をなさっている。寧ろ高校で奴の浮いた話を一度も耳に入れなかったこと自体がおかしい。俺が寡聞にしているのか、奴の立ち回りがよっぽど上手いのか、奴はそういう色気に一切興味を示し得ないのか。どうでも良いんだけど。
奴はにこりと笑って言った。
「その辺りはあなたに判断を任せます」
「ほう、お前の顔も通用しない強者が出てきたか。無敗神話も年貢の納め時だな」
「構わないで下さい」
「なんだそれは。判断を任せるって言ったのはお前じゃないか」
奴は、古泉は困ったように笑った。日頃から小難しい話を回りくどい言い回しを以って俺に披露し、打撃になる揚げ足をあまり取らせなかった過去からすればとんでもなく気味が良かった。狭量な男だと自嘲する。
「それで、物は相談なんですけど、一夜限りで構いませんから、あなたの家に泊めて頂けないでしょうか?」
「断る。よしみに甘えんな。お前ならそこら辺歩いてりゃ女が直ぐに釣れるんだから、頼み込んで泊めてもらえ」
「こんなべたべたする男なんか、ひっかからないでしょう」
古泉は少し腕を広げた。肘の辺りから雨水が滴る。通路に灰色の染みを作るが、俺にしたらそれはほんの些細なことでしかない。
自分の顔がどれほど破壊力を持っているのか、無自覚かこいつ。恵まれた奴は自分でそのことに気付けないっていうのは本当らしいな。超能力者(それが閉鎖空間に限ったことだとしても)で見目麗しいとは、とことん二物を負わされる身なことで。一般人が一番安らぐ俺には寸分も羨ましく思えないがね。
「僕だってこんな力いりませんよ。限定的な上に圧倒するような大きなものでもない」
「ああ、そう。俺には理解できん」
「残念です。それで、一宿の件は…」
「更に残念なことだが俺の結論は覆らん。女の家が嫌ならビジネスホテルに泊まれよ」
「凉宮さんの話なんですが…」
すっと落とされた声に思わず身構える。高校のときの癖だけとは言い難い反射に、苦々しく思いながら幾分緊張した面持ちで古泉を見た。
「ハルヒが、どうかしたのか。また『機関』から妙な要請でももらったのか?」
「それを話すには些かこの場所じゃ憚られます。それにしても寒いですね。早く入らないと風邪でも引きそうです」
「……なんか、お前の魂胆が見えてきたんだが…」
「僕の言いたいことを察して下されば大変有難いです。中へ入れて下さい」
「…ハルヒの話、嘘じゃないだろうな」
勿論、と如才無さげに笑った古泉をよしみだからという理由で信じて、俺はスーツから鍵を取り出した。
いえなしご#01
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