マフィア、というのをご存知だろうか。
シチリアでごろつきだったものが秩序を執り、権力を増して政治や芸能の分野を裏で仕切っているだの何だの、身も蓋もなく言えば、早い話が犯罪組織である。まあ、仁義に厚いところは警察からも市民からも頼られ、スラム街ではヒーローと慕われるが、そこはそれ、ピンキリという奴だ。
日本でもやくざとか極道という名前に変わってその手腕を手広く奮っているが、規模はそれと比較にならない。歴史は一説では江戸からというし、博打や祭のショバ代では色々と賄えない金回りが出てきた現代は、一部では詐偽まがいの金融会社を始める始末。つまり時代に遅れた遺物と化した今を乗り切るために、そのマフィアと手を携えなければならなくなったのだ。
…
というのが極道の頭であった俺の親父の言い分だった。
ならさっさと提携なり合併なり吸収なりすれば良いものを、何故か俺の代でそのお鉢が回ってきたというのは、一体どういうことなのだろう。何かの陰謀を感じる。
しかも相手方の要望で、会合にはスーツじゃなくて着流しで来いとのお達しであるのだが、何がしたいんだろうな全く。
「長門、親父から何か聞いてないか?」
「ない」
長門は蚊の鳴くように小さな声で言い、微かに首を横に振った。無色に近いその顔色からでは是非を窺い知ることはできない。
長門は先代からうちに仕えてくれる古参の幹部なのだが、顔付きは俺と同じくらい、ともすれば俺より年少に見られるほど幼い顔をしている上に、構成員の家族構成やら何まで記憶している。不老なのか、もしや人間ですらないのか、長門ならば有り得そうな話だと失礼にも思ってしまうが(思い当たらない節がないでもない)、今までずっと一緒にやってくれたのだからどちらでも良い気がする。
「鶴屋さんの店だよな」
「そう」
鶴屋さんとは俺の母校の先輩で、家がどこか名のある料亭どころだとかで、大切な会合ではしょっちゅう世話になっている。気さくに 「キョンくん」 とか呼んでくれたり、卒業後の関係もそれ以前とは変わらないことは嬉しいが、その気の抜けるようなあだ名は止めて欲しい(…時々部下にまで呼ばれたりするけど)。ちなみに、俺はそこで給女をしている鶴屋さんの友人の朝比奈さんに会うのが密かな楽しみだったりする。
「しかし、何で今更」
平成の世、何かと身動きの取りづらくなったこのご時世、組を残すためにそれなりに汚いこともやってきた。別に極道ありきの家を残そうとしたわけではなく、組が潰れてしまえば路頭に迷う気のいい連中が出てしまう、なんて些か人情が過ぎる個人的な考えで親父の跡を継いだわけだが、組が潰れないようにするのが目的で、シマを広げるつもりは毛頭なかったのに、どうも彼方さんと親父はそう考えていないようで、俺は車のスモークガラス越しに夜の街を鮮やかに染め出すネオンを眺めながらため息を吐いた。
「涼宮ハルヒ、か」
外部マフィアに詳しくない俺でも知ってる。
女の身でありながら、日本人でありながら、単身ロシアへ渡り、共産主義のロシアでゼロから組織を打ち立てた敏腕の実力主義者。年の頃は俺と同じくらいで、抗争があれば自ら先陣をきって前線に出てくる、負けん気が強く上昇思考の著しい女傑と聞く。ファミリーの名前の由来はふざけているが、近頃力をつけてきている注目株というのが専らの噂であるのに、そんな発展途上で軌道に乗りたいだろう今、何故うちみたいな吹けば消える小さな組と手を携えようとしているのか。全くもって今更な話である。
「…着いた」
提灯がぼんやり灯る店先に音もなく車は停まる。長門が開けてくれた扉をくぐり、車から離れると、車はすぐに店の裏に回った。奥の間を会合場所や部下の待機部屋その他いくらか貸し切ってはいるが、一応一般人も訪れるのだ。物々しい黒塗りのベンツが何台も横付けされることで世話になっている店に迷惑をかけるなど以っての他だ。
数人の部下と店に入ると、鶴屋さんが待っていた。
「やあキョンくん!久しぶりだね!半月前以来かな?」
「こんばんは」
「じゃあハジキと豆はこっちで責任をもって預かるにょろ」
お荷物はこちらー、と鶴屋さんは少し大きな金庫を開けた。
ハジキや豆とは関西の方で使われる言葉で、銃装備のことである。果たして店先で出して良いものなのだろうのか。
鹿威しや小さな池に浮かぶ燈籠を抜け、渡り廊下を歩く。白玉のような美しい玉砂利が燈籠の小明を受けて柔らかく色付いている。遠くで微かな秋の虫の音が聞こえてきた。
「朝比奈さんはお元気ですか」
「相変わらず一部の客に人気で、売り上げに貢献してくれてるさぁ。早く囲わないと、お手付きにされちゃうかもよん」
笑えない冗談を言いなさる。完全に否定できないほど、朝比奈さんは年の割りに庇護欲を誘う可愛らしい顔立ちのままだ。
「ん、」
後ろで一定の距離を寸分も違えず歩いていた長門も僅かに顔を厳しくさせた。
血の、臭いだ。
こういった職業柄で慣れざるを得なかった臭いだが、まだ鶴屋さんは気付いていない様子。奥の方からくる臭いならば、鶴屋さんを少しばかり遠ざけた方が良い。
「ここの突き当たりでしたよね。後は大丈夫ですから、人払い願えますか?」
鶴屋さんは部屋へ目を走らせ、頷いた。
臭いに気付かなくても、すぐに察したらしい。聡明な人だ。
長門が無言で前に出て、襖を開けた。臭いが少し強くなる。
一人の男がうつ伏せて、俺より幼い顔の青年に押さえられている。後ろ手にやられた指の先がやすりで削られていた。なるほど、血の臭いが薄いのは、まだ序の口だったからか。
「解体ショーとは、ずいぶん趣向を凝らした出迎えのようで」
揶揄すると周りのむくつけきロシア系の男衆がいきりたったが、それに囲まれている女は落ち着き払って笑った。
「ファミリーから出た埃だから早く内々に処分しようと思ったんだけど、そういえば日本人って時間より早くくるんだったわね。失念してたわ」
「で、俺はここの店とそこそこ付き合いがあるんだが、面倒を起こされると些か不都合なんだ。この責任はとってくれるんだろうな?」
馬鹿にしたのは伝わったらしく、周りの怒気が膨れあがり、どこぞからナイフが飛んでくる。叩き落とすと、長門が部屋の真ん中で男を押さえていた青年の首に、小刀を宛てていた。彼が投げたらしい。
涼宮ハルヒは目を丸め、しかし愉しげに笑って言った。
「古泉くんのナイフを落とせるなんて、ただの弱小やくざじゃないのね!」
「おかげさまで。自分のサバーカの躾ぐらいしてくれよ」
犬というロシア語は聞き取れたのか、古泉と呼ばれた青年は再びナイフを投げようとして、長門に牽制される。名前は日本人っぽいが彼は日本語を話せないらしい。
「気に入ったわ!つまらない奴なら踏み台として使うつもりだったけど、これなら是非よろしくしたいわね!」
今までで一等輝く笑顔で腕を差し出す彼女の瞳は、星々が詰め込まれたように煌めいている。けれどからかいすぎたのか周り(特に長門に押さえ込まれている奴)の殺気なり害意はけっこうなもので、これは前途多難だなと思いながらも俺は手を握り返した。
(080905)