ここに通院して、もう何ヵ月になるだろう。僕はもう指折り数えることを止めてしまった。
通院を始める前の件の日、普通に生活していたはずの僕は学校で、階段から足を踏み外して頭を打って、病院へ運ばれた。日頃こういう下手を打つことが多々多々あるけれど、こんな大事になったのは初めてだ。
ぼんやり落ちた格好で天井を見てたら、いつの間にか先生から生徒まで集まって騒ぐものだから、もう、僕が何だかここで気絶しとくくらい空気を読まなくちゃいけないような雰囲気だった。とりあえずしてみた。
精密検査の結果、頭は何ともなく事なきを得て諸手を挙げて退院できるかと思いきや、
『悪性ウィルスに感染している疑いがあります。一度詳しく検査して下さい』
悪性ウィルス?ウィルスっていわゆる結核とか肝炎とかインフルエンザとかそんな感じの?ないない、だって僕ってそんなに生活乱れて…ない、な、うん。ないない。感染した心当たりとかまるでないし。
胃痛が最近激しいんですとかうっかり溢さなければ良かった。体がだるいんですなんて愚痴半ばに言わなければ良かった。
そんなこんなで僕は病状(?)の何たるかを究明すべく、総合病院の外科から内科から、果ては精神科までたらい回しにされている。潜伏期間がどうのと中学の保健で習った気がするが、仮にそれだとしたら病院に通っても見つからないんじゃと僕はようやく今日思い至り、そう医師に進言しようと試みることを決意し、通院生活にさよならバイバイと意気込んでいた。
いたのだが。
『あ、ちょっとみくるちゃん!その子可愛いじゃない!あたしと交換しない?』
『ふぇぇえ、す、涼宮さんの担当の人、何だかすっごく辛そうですぅ。少しやりすぎじゃないですかぁ?』
『何言ってんのよ!どうせ忌々しい免疫とやらがすぐ抗体作っちゃうわよ!それにね、なんならこの病院全部に感染っちゃおうって今仲間を増やしてんの!みくるちゃんも協力しなさい!』
『ふ、ふぇぇえん!長門さぁん!』
『2F区域は精密器具が多く、殺菌に特に厳しい。そこでの増殖はあまり推奨しない』
『な、長門さん!?』
『効率的ではない。5F内科区域は比較的、居心地は良い』
『長門さぁん!』
エトセトラエトセトラ、こんな類の会話が聞こえてきた。感染るとか増殖とか、若干人間のする会話にそぐわない内容をかしましく話すそれは、やっぱり人間じゃなかった。
いや、見掛けは人間なのだが、大きさは半端なく小さい。小指の半分くらいの大きさの、細部に至るまではあくまで人間と同じものが待合室をうようよと席巻していた。
これは一体何だろうか。じっと見ていると気分がどんどん悪くなってくる。
それらは口々に好き勝手なことを話し、時折人間の中へすいと吸い込まれるように消えてゆく。周囲の人はこの現象に気づいていないようで、僕だけが彼女ら(で良いのだろうか…)を見ることができるようだ。
「ぅえくしゅんっ!」
隣の人が軽くくしゃみをする。すると、ぽん、というコミカルな音を立て、先ほどの小さい三人の内の一人が弾かれたように出てきた。おどおど慎重に待合室を眺める様子をバッチリ目撃してしまった僕は思わず目を覆う。
何だこれは。
いや、わかる。わかるんだけど納得したくない。
彼女らは(恐らく…多分…きっと…信じたくはないが)病原体だ。けれど僕が写真で見たことのある病原体は、ポリープとか胞子とか細い紐みたいな触手とか、とにかく人間やそれに近い形などしていない。おまけに倍率千単位。人語が話せるかは別にして、目に見える大きさでは決してなかったのに。
僕の病原体に対する先入観はなくても良い強制力で総崩れしていた。
『ああやれやれ、またこの人間は病院に来たのか。毎週毎週ご苦労様なことだ』
気だるげな声が聞こえて、次いで僕の腹からずるりと人の頭が出てきたとき、僕は危うくなりふり構わず叫ぶところだった。
『あ、キョン!また来たわね!アンタの宿主ずいぶん心配症なのねぇ』
僕の腹から出てきた彼(男性体がいたとは驚きだ。まあ形だけ僕にそう見えるだけかもしれないが)は、早速寄ってきた一番活発そうな子を見てうんざりしたように肩を落とす。やけにそれが人間臭くて思わず忍び笑うと、途端にそれを見咎められ、ぱちりと彼と目があった。
『…お前…俺らが見えるのか』
しまったと内心舌打ちしたが時既に遅し。彼の後ろにいる彼女が、利発そうな目を細めたのを見て、僕はため息を吐いた。
いっそ開き直ってあちこち観察してしまえば、場所ごとにいろんな種類(というのは失礼にあたるだろうか)がいるのを発見できてなかなか面白かった。髪が長かったりナイフを持ってるような危ないのだったり、知り合いに似ているのを見つけたときはうっかり声をかけたくなるなどの逸話があったが、僕が思っていたより男性体はたくさんいて、何がどんな菌なのかは全くわからないながらも、話してみるとユーモア溢れるものばかりで楽しかったと言えば楽しかったような…。胸中はかなり複雑である。
「それで、あなたが僕の中から出てきたということは、僕は何かしらの病気でもあるということですか?」
相変わらずたらい回しになったわりに成果は挙がらず、僕の肩で悠々とくつろぐキョンと呼ばれた彼に駄目元で聞いてみた。独り言だと思われたら恥ずかしいので、小声で。
『無菌の人間なんていねぇよ。誰だって病原体を持ってる』
「ではあなたはいわゆる善玉菌と?」
『……………………』
「そうですか」
やはりどこか人間臭い仕草で彼はそっぽを向いている。事態は全く微笑ましくないのだけれど、微笑ましかった。
「あなたはどのような病気を起こすんですか?」
『黙秘権を行使する』
黙秘権だなんて、人間の身勝手な制度をよく知っている。というか、その頭にちゃんと中身があることの方が気になった。
「じゃあ最近の僕の腹痛や倦怠感はあなたの仕業ですか?」
『……』
「それくらい答えて下さいよ」
『…その腹痛、明日からだんだんと下の方に移るぞ』
「え?」
…盲腸だった。
(080726)