法の定めた数だけ、犯罪の数がある。小さいものから大きなものまで、それこそ星の数である。しかしプリズンに送致される者はその中でもひときわ人道的にアレな方向へ外れた犯罪者であり、更にそこから飛び抜けて囚人の監視が厳しいここに何故か俺がいる。
言っておくが俺は何かしらの犯罪に手を出してはいないぞ。至って平凡な家庭に生まれ、特に大きなフラストレーションを御しきれずに爆発した、なんてこともない。素行に面白い前科もない。なのになんでこんな場所にいるんだろうな。
医者として刑務所病棟勤めのためにここに来てから、そんなことを両手両足の指の数じゃ足りないほど繰り返し考えている。
「あ、の…大丈夫ですか?」
「ん、ああ。気にするな」
手の甲をざっくり切っている奴に心配されるような重態に陥った覚えはない。
囚人No.12595 古泉一樹は労働時間中にここへ運ばれてきた。何でも気に食わないとシャベルで殴打してきた連中がいたらしい。そんなに暴れたきゃ娑婆に出るまで我慢すりゃいいものをと思うが、しかしここは、我慢ができない奴がくるので、そんな理屈道理は通じない。それはこの目の前の優男とて同じだった。このプリズンに入るあたり、一通り収容者のデータは見ているが、ごつい男衆が多い中で異彩を放つこの男もここに収容されるほどの大事をやらかしている。
古泉一樹は数年前、18歳の頃に何をされたかは知らんが、街中で傷害罪を冒して人を数十人ほど殺傷していた。普段は物腰柔らかで検事の心象も良いのだが、如何せんやったことが残虐性極まりないおかげでこのプリズンに送致されてきた次第である。キレたらいきずぎる奴って大概こういう奴だよな。
「あーあー、こりゃ縫合しないと駄目だな」
「はあ」
「労働の軽減とかの特例が認められんから、痛み止めで凌いでくれ」
やれやれ。今から小手術か、嫌になるな。
腕を台座に固定して、部分麻酔を施す。犯罪者に人権はないというのが今の政府の意向で、こうした収容所に支給される医療品は娑婆に比べて圧倒的に少ないが、痛みでギャーギャー子供のように暴れる奴らを診るのはこちらとしても願い下げなので、顔の利く看守に頼んで色々外から持ってきてもらっている。それを思うとここもけっこう融通が利いて便利なのだが、どっちにしろあまりいたいとも思えない場所である。
うっすら骨が見える傷に俺は顔をしかめるが、古泉は平然としていた。根性があるのか痛みに鈍いのか、或いは経験があるかのいずれかなど知りたくないし、長く診ていたい傷じゃないから、さっさと縫合糸と鋏と手術キャップを出して患部消毒を始める。傷は甲を真一文字に走り、目測でおよそ10針以上とけっこう大きい。シャベルも凶器になるんだなー。
「えっと…あの」
「ん?」
「あの…看守統括にあたっている方があなたを呼ぶときの…あれって本名ですか?」
あの女まだその呼び方そ改めていなかったのか。囚人らの間でその気の抜けるような呼称を笑われるたびに俺が居た堪れなくてしょっぱい気分になっているのを知らんのか。そして今現在それを本名と半ば思っている目の前の奴も!
手元が狂うのを待ってみたが、沸騰しそうな頭とは別物のように優秀な俺の指は、たとえ無駄話をしていても手元を誤ることはない。
「本名なわけないだろう。外国人でもいないんじゃないか?そんな名前」
「ですよね…外人の方にしては日系の血が濃い気がしましたし…」
どうせ俺は堀の深い造詣じゃねえよ。
「どうしてここにいるんです?常勤でしょう?」
「ノーコメント」
「ここは表向き看守も例外なく私物の持ち込みは禁止ですし…徒手空拳に等しいここは不便極まりないじゃないですか」
そーだな。上の方の看守はどうだか知らんが、ここに入るのに直腸検査までやらされたのにはびっくりした。そういうと古泉はむっとした。何なんだ。
言うなればここはある意味掃き溜めに近い。左遷と似たような状況だが、まあ楽しいと思えるときもあったかもしれん。もう一人の医師である女性の快活な笑顔を思い出す。顔馴染みといい、ここは女性が多い気がする。仮にも規律の要するプリズンで風紀が乱れる要素があって良いのか。…いいんだろうな。成り立ってるから。
「何だ、酒でも欲しいのか?」
「僕、お酒も煙草も肉とか刺激物も駄目なんです。どうも弱いみたいですぐ気持ち悪くなるんで…」
「ふーん」
つまらない人生おくってるな、という言葉は飲み込む。既にこいつは人生そのものを棒に振っているのだ。ここに入った時点で、出所したところで社会復帰は難しいのである。政府はアフターケアという言葉を知っているのか、甚だ疑問だ。
助手とかそんなもんはいないので出血処理も医療器具の交換も自分でしなければならない。急患だったら時間とのたたかいなので、負傷者にとって劣悪としか言えない。患者がひっきりなしなんて医者冥利に尽きるね!と殊更明るく言った医者を一人知っているが、それはここに収容されている中で女性の割合が少ないから出てくる言葉であって、儲けもないは男ばっかでむさいわ、俺は何でここにいるんだ。表の世界を満喫しているであろう少し年の離れた妹を思い浮かべ、ため息を吐きながら頭の中で愚痴る。本日の記録更新。
数時間、幸い誰に邪魔されるでもなくちまちました作業を続け、目が疲れてきた頃にようやく糸を切ることができた。
「一ヶ月後に抜糸にこい。そうだな…夕飯をこっちで食べた後に診る。看守には俺から言うから多分食器は持ち出せるぞ」
「……」
「古泉?」
「あ、はい。一ヵ月後ですね。わかりました」
呆けた顔から一変、にこにこにこにこにこにこ花でも飛びそうな笑顔でサポーターをつけてやった手を撫でた。
おい、あまり触るな。縫い合わせてすぐにくっつくわけじゃないんだからな。
「ありがとうございました」
「なるべく喧嘩するなよ。怪我人増えたら俺の仕事も増えるんだからな」
「まあ、ここの皆さんが僕に手を出したり、僕の大事なものを踏み荒らしたりしなければ僕から手は出さないんですけど…これがなかなか難しくて…。僕って悪目立ちするみたいだから」
俺は思いっきり眉を寄せた。それはややもすれば周りの暴力を制圧できると言っているようなものである。ここにいる奴らは収容する奴もされる奴もろくでもねぇなとうっかり呟けば、古泉は 「そうですね。僕もそう思います」 と言った。お前もだこの馬鹿が。
後日、古泉にシャベルを向けた馬鹿どもがプリズンの施設じゃ手に負えない怪我を古泉によって負わされたということで、一時的に収容所から離れ、病院に搬送されたそうだ。懲罰房で反省の色皆無の古泉が言った動機は、何でも、奴らは下品な話題の中で俺の名前を出したとか。訳がわからん。
(080711)