深夜。某所。
高層ビルのテナントとなっているホテルに併設されている著名リストランテの裏口に、冷蔵車が排気ガスを出しながら停まった。車を降りた一人はさっさと足早に歩を進め、残ったもう一人の人間は、慎重に中身を取り出し台車に乗せ、中へ入ってゆく。
出迎えるはリストランテの誇る料理長兼副支配人である。


「こんばんは古泉くん」
「お疲れ様です涼宮さん」


電飾の抑えられたオレンジ色の柔らかい光が満ちるホールで向かい合う男女の顔はどちらも見目麗しく、深夜であるにも関わらず、そこに疲労感や倦怠感は浮かんでいない。
台車を抱えた一人は軽い挨拶を交してリストランテの見取り図を確認した。


「彼は今回新しく入った方ですか?」
「ええ、研修中でまだまだ甘いところもあるんだけど、いい味出すの」
「それはそれは。ではあれらは全て彼が?」


古泉、と呼ばれた副支配人は、台車に乗せられた花々を指差す。
今月に入ってから、季節はいわゆる春を迎え、リストランテを飾る生花や造花の種類は様変わりする。ホテルに併設されているといってもこのリストランテは個別経営であり、ホテルを彩るものとは別口で花を仕入れていた。彼、と指された男が軍手をして冷却されて凍った花の入った器を運ぶのを手伝うこともなく、その別口の店の経営者である涼宮ハルヒは鷹揚に頷く。


「テーブルの数だけのカーネーションと、それと今回の依頼はモチーフが薔薇よね。生花と造花の二種で、造花は有紀の方から、生花はみくるちゃんの方から取り寄せたんだけど…まだ薔薇はちょっと季節が早かったから割高よ」


はい領収書の控えと依頼の発注書、と二枚の紙をホッチキスで留めた束を渡す。
この店は懇意にしている花屋から直接買い取った花と、アレンジした花を運搬する業務も担っている。


「予算内ですので構いません。光栄なことにうちは花の方でも評価をいただいておりますし」
「それはうちへの評価ととっても良いのかしら」
「もちろん」


古泉は凍った花を見た。
朝になり、電飾の光が強く灯る頃には、氷も溶けて具合良く閉じた花が綻び始めることだろう。乳白色の柔らかい浅い陶器から零れるようにつつましやかで小振りの淡い色をした蔓薔薇が顔を覗かせている。


「いい花たちですね」
「そうね。やりがいあるわ」
「彼は本当に新しく入ったんですか?そんなようには見えませんが」
「気に入った?あいつの生ける花」
「ええとても。これからもよろしくお願いしたいくらいですよ」


そう言うと涼宮ハルヒは得意気に笑った。
車に揺られて乱れた花を整え、また冷却スプレーを振り掛ける男を、涼宮ハルヒはキョンとだけ呼んだ。呼ばれた男は億劫そうに振り返り、寄っていく。


「何だよ」


経営者に対するにはあまりにぞんざいな口調に驚いたが、涼宮ハルヒは気にしないようで、手招きをしている。


「こちらこの店のシェフの古泉くん。若いのに副支配人もやってるわ。アンタとひとつ違いなんじゃないかしら。古泉くん、改めて紹介するわね。うちに新しく入ったキョン。あだ名だけど」
「どーも」
「古泉一樹です。よろしく」


紹介された彼は眠そうな仏頂面のわりに平凡な顔立ちだった。そう、普通に大学を卒業したら、普通に一般企業に就職しそうな。フラワーアレンジメントなんてある種偏見的な職業に就くようには見えなかった。


「ハルヒ、造花は」
「多分車の方ね。取ってきてあげる。貸しひとつよ」


颯爽と彼女は歩いて行ってしまった。そのきびきびした後ろ姿に惚れ惚れし、仕事に貸しなんてあるかと苦々しげにぼやく彼に目を向けた。


「どういった経緯でこの職に就いたか、お聞きしても?」
「ん?そうだな…花が好きなんだよ、女々しいかもしれんがな。多分それが一番の理由だ」
「女々しいだなんてそんな。好きなことで食い扶持を稼げるのは幸せなことですよ。かく言う僕も学生の頃は普通のサラリーマンになるとばかり思ってましたし」
「俺もだ」


あ、笑った顔はちょっとだけ可愛い。
彼は切花のカーネーションの状態を見て、店をぐるりと見て、言った。


「普通なら発注するだけして最終チェックは店の方でするもんじゃないのか?最後まで関わるのなんて初めてだぞ」
「うちは花に関する誉れも高いようですからね。オーナーの意向で食事以外の面も気を配るように仰せつかったんです」
「へぇ、」


木漏れ日のように淡い光が店内を照らす。
このリストランテは昼間には表のガラス張りの空間をカフェとして展開させている。ホテルの豪奢な装飾で少々堅苦しい印象を持たれがちだが、店舗の中が見える気安い雰囲気に寄ってくる客も少なくない。これもまた、やり手のオーナーの意向であった。


「営業のこととか、専門外だから知らないが、良い趣味してる店だと思うぞ、俺は」
「ありがとうございます」


古泉は嬉しそうに笑った。


「あ!何サボってんのよ!」
「サボってねぇよ。ったく、前触れもなく作れって言いながら人に仕事全部押し付けやがって」


文句を垂れつつ、けれどその手は止まらずに爽やかな青い薔薇の造花で大きめなリングを作っている。何がどうなって何本もの造花がひとつの輪になるのか、その仕組みは目の前で実演されてもわからない古泉であるが、それの出来栄えを観賞する間もなくできあがった花は陶器の周りに置かれてゆく。喫煙席と禁煙席を仕切るスペースに全て飾り、彼はううんと伸びをした。


「二時か…帰ったら三時半だな。また徹夜になるか」


その言葉に、仕事が終わったのだと気づく。厨房に戻り、ミルクジェラートをふたつ持ってきた。


「お疲れ様でした。甘いものがお嫌いでなかったら、どうぞ」
「わ、ありがとう古泉くん。ここのアイス美味しいのよね」
「お前はそんなに働いてないだろうが。動かない内に食うとブタになるぞ。しかも夜に」
「うるさいっ!」
「でも、いいのか?来る業者にいちいちこんなことしてたら経営が立ち行かなくなるんじゃないのか?」
「ご心配には及びません。あなた方だけですから」


そうか、と柔らかく口元を綻ばせて、彼はようやくスプーンに口をつける。
次の季節が巡り、再び花を発注するとき、気安い彼がまた来てくれたならと古泉は飾られた花を見つめた。







(080630)