人の世における、各地各国で勃発する戦争の類はなくならないと、奴は言う。本多の姫をめとった奴の兄によれば、奴は幼き頃より人を叱ったことがないそうだ。沸点が限りなく高いのか、そもそもそんな感慨など失せてしまっているのか、とにかく観音をも凌駕してしまい兼ねないと名高い奴が、その口で仏の住まう浄土にこの地がなるわけがないと宣うのが、やけに小気味良かった。狸の鼻先で奴は、仏は嗤う。
聚楽浄土
真田幸村は、意図せずして敵を作らず生きてきた。平素から浮かべる笑みが良き印象を人々に焼き付けさせたのか、怒らずいきらず叱らずの彼の性質がそのように独り歩きしたものかは今となっては区別の付けようもない。下手を打てば両方ではないかと政宗は踏んでいる。
「如何なされましたか政宗様」
「いいや、お主の顔には目と鼻と口がついておると思おただけじゃ」
「他に、何もついていないでしょうな。私は面白みのない男ですから」
「違いない」
この『違いない』を、目鼻口以外ついていないという幸村の言葉に頷いたのか、幸村が面白みのない男という言葉に首肯したのか、一先ず政宗は曖昧にしておいた。少なくとも、政宗は幸村のことを決して面白みのない男として捨て置くつもりは更々なかった。
小田原で間見えただけのただ一度の邂逅がよもやこんな落し物をもたらすとは、得てして人生は博打のようなものだと政宗は笑みを深める。もっとも、同じ博打でも、数多の命と立場を賭ける戦ほど酷い博打はない。
「しかし、奇遇にも程があるものですね。こうも示し合わせたように合致したものだと、怖気が走ります」
「は、よく言うたものだわ」
全くその色すら浮かべず、何が『怖気が走る』だ。
茶屋の一席で敵将と背中合わせに座るなど、政宗にしてみれば面白い以外の何物でもない。相手が如何に出るか、自分が如何に対応するかで器を量る興事が政宗は楽しかった。そんな偶然、滅多にないのだけれど。そう、九度山近辺で軟禁状態にあったこの真田幸村は稀有だったのだ。
「政宗様は参勤ですか?狸の機嫌取りに、諸国、外様なんかは懸命でいらっしゃる」
「口を慎めよ真田。儂の他に、機嫌取りに奔走しておる輩が居んともつかぬわ」
しかして政宗の口調はどこまでも軽快であった。何より威しつつも政宗は、この真田少年の明け透けな点が持つ、転じた危うさは嫌いではない。是様な幸村に会うなどという博打に興じるのもある種そういった危機を孕んでいる。余談として、政宗は懐があまり痛まない博打は人の好奇心並には好きである。
「この度は陸奥守という冠位を賜ったようで」
「ふん、褒めそやしても、皮肉にしても、何も出ぬわ馬鹿め。お主はまだ、無為に生かされておるようじゃのぅ?」
「全く、狸は我が亡き父祖が恐ろしゅうござるのでしょう。生かさば戦力にでもなると考えておいでやも知れませぬ」
それはないだろうと思った。狸もとい家康の抜け目の無さ、打算計算の深さはよく知っている。取らぬ狸の皮算用とはよく言ったものだが、その尺度で測って良いものかと疑うほどの緻密さに、政宗は管を巻きもしたし、煮え湯を飲まされもした。他の普大名もそうであろう。真田家も例外でないはずだ。そうとわかって尚、幸村はとぼけて見せる。
「可愛げのない奴じゃ」
「本来ならば、その言葉は私が言うものでしょう」
「ふん、悪かったな。童での」
背は伸びとも、幸村には未だ及ばない。この戦乱の割に大柄の幸村に及ぶのは、家康の草の者か、前田の風来坊か、佐和山の狐の右腕か。その他つらつらと並べ、予想外に多いことを知る。そしてまだ、自分はほんの矮小なのだと。
ふと、今亡き佐和山の狐こと、石田治部三成を思い出す。かつてこの幸村と共に戦い破れ、悲壮な末路を辿ったあの。そういえばもう一人、気に食わない直江もその輪の中にいたか。
「…お主はこの戦乱の終わり掛けに何を求めておる」
「お言葉ながら政宗様。我が父が仰せによれば、戦乱に終わりは無きものと存じまする」
「…?」
「泰平は、飽くまで戦乱の合間の休息に過ぎぬ、と今わの際までにも仰せにござった」
「お主の父君、安房守昌幸殿か…」
「私は、理想論ばかり唱える狸に異を申すためにここにおります。それは父の言葉にござるが、決してこの幸村、それに妄執を抱いているわけではございませぬ」
「飽くまで大阪城入城を、自分の意とするか」
幸村はただ微笑んだが、柔和な沈黙は是と取れた。政宗はふと嫌な予感がした。
「よもやお主は、未だ治部に依存しておるわけではあるまいな?死んだ治部に、戦う理由を預けるは無駄ぞ」
「確かに三成殿、兼続殿とは友の契りを致しました。しかしそれとは別にございます。三成殿のことは、もう、関わりありませぬ」
こざっぱりと、けれど厳然と否定する幸村に、政宗の嫌な予感は更に募る。
「お、主…」
「良いですか政宗様」
言いたいことが身内でまとまらずにまごついている政宗を遮って、幸村は言った。
「父が方々に私達兄弟を散らせた、その理由はまだでしたな」
「…」
「東の本多殿には兄を、そして自らと私の身は大阪へ…兄弟の二分を酷いと人は言うでしょうが、少なくとも父は、どちらが勝っても真田家を取り潰し相ならないように、そう采配致したのです。聡明でしたが…ええ、彼の黒田如水、そして政宗様。あなたと同じく父は確かに病んでおりました」
「…お主…は、自分は違うと申すのか」
「勿論」
「死地に自ら赴くというのに、か」
幸村は政宗の正面に立った。綺麗な澄んだ瞳で政宗に笑いかけ、踵を返す。隠棲先の九度山へ帰るのだろう。
「…馬鹿め」
苦々しい思いで煙管を出す。
あの瞳がやたら澄んだ色をしているのは、何もかもを写しているようでその実ただ目に映ったものを跳ね返すだけの反射盤になりさがっているだけで、死を予期する者がそういう目になるのだと、政宗は嫌というほど知っていた。
向かいからきた兼続に、政宗は珍しいところで会うものだと思った。珍しかろうが何だろうが、あまり会いたいと思う顔触れではなかったが。相手もそう思ったのか(通う意思はそこばかりだ)、些か目鼻立つ顔を不細工に曲げて政宗を見た。
「山犬が何用か」
「内府様に私用があるだけじゃ。貴殿に用はないわ山城が」
「確かに、山犬如きの私用なぞ知ったところで私の頭は痛まないが」
値踏みするような心意気で兼続の顔を見たが、以前謁見の折りに見たよりも一層悲壮がかっている。こんなのと友の契りなどして、幸村は本当に良かったのだろうか。一抹の間とて、居心地の良き場所を得たのだろうか。
そればかりである。
「貴様の顔を見ると気分が滅入る」
「それは此方の言うべき言葉じゃ。何が楽しゅうて幸村もこんな、」
言いかけてから慌てて兼続の顔を見たが、今は幽鬼よりも濃い影を背負っている。鬼気迫る様子の兼続に政宗は思わず舌打ちをしたくなった。
「…妄性めが」
三成を見限った後に幸村と対峙して尚、幸村に責められることなく終わった肩透かしに、兼続は未だ動き出せずにいる。三成の強硬さ、幸村の強硬さに打ちのめされ、未だ動き出せずにくすぶっている。一人罪の意識、良心の呵責に苛まれているのだ。どちらも恨み言を表沙汰にするまでもなくこの世の露となって失せたというのに、この男は、自分で勝手に作り出した二人の恨みの影を恐れて生きている。滑稽なことだ。
政宗は茶屋の折りに見た幸村を思い出した。
独り妄想に執り憑かれ、もがいている男が一人いる。救われるはずが常の浄土なら、正しくここは浄土であるはずもない。兼続を諭す予定である彼の言うところでの仏とやらは、狸の手にかかり死んでしまった。
男よ、恨むなら仏を殺した狸を恨め、と言ったとて、どうせ話を知らない兼続には理解する術もない。政宗は蒼白になってゆく兼続に鼻を鳴らし、歩を進めた。
視線をまぎらわせた先の空は青かった。そちらの天気は如何か。問いたくなるほど空は筒抜けである。こんな浅ましい思いでさえ、嗚呼、仏は慈愛を込めて万物を嗤っている。