いつまでも埒の明かない遊びを続けている暇などないのだ。




*




確かにそこにあると思った。事実それはあったのだけれど、自分に向けられたものではないと痛感したのは、時間が経ってもう手遅れになった頃だった。
噂好きの侍女たちがひそひそ額を寄せ合って話しているのを、聞いた。


―お可哀想に、弁丸さま
―上がらせてももらえない妾腹の子だと、知りもせずに
―山手さまを母と思っておいでで


母の、山手殿の寒冷な視線には何かしら含むものがあると、薄々気付いてはいた。それが何かを知る前に、人の機微を見分けられる自分を聡いと自惚れていたことを、何より恥じた。
兄の優しい手、父の大きな背中、けれど、母が必要としているのは、真田の家を継ぐであろうに相応しい兄だ。
それに気付いたとき、自分の居場所が、臥所である城の中でも随分と少ないことを知った。私達は永く力を合わせていかなければならないと説いた兄は、恐らく山手殿を始めとする徒党と他方の派閥がいつかの拍子にぶつかるのだと看ていたのだろう。この人こそ聡い人だ、と幸村は頭を撫でる兄の、柔和な顔を何とはなしに眺めた。
別に好いてはくれない母を恨んでも、詮無いことだとは幸村も理解していた。元よりあまり交流はないし、第一好色な父が悪いのだと元服前には無理矢理割り切った。それでも自分が疎まれているのだと時折所作から伝わる感情は、幸村を寂しくさせた。
初陣前に父から呼び出された幸村は、家臣の誰もいない壇上で一人、蝋燭の火に照らされている父を見て、布陣の話ではないと悟った。どうせ自分が先駆けなどの大役を任される由もなければ、大人しく本陣で構えていろということだろうと、幸村は凡そを立てた。


「ご用でござりまするか、父上」
「先日お前の耳に妙なものを吹き込まれたようでな…斬り捨て置いた。憂き目に思うことはないと、一先ず言っておかねばと思うてな」


何のことだと今更問うことはなかった。父の、ばつの悪そうな気不味そうな顔をする理由など、ひとつしか思い当たらない。
憂き目に思っているのは何よりも父ではないのか、という揚げ足は、初陣を迎える昂揚で消し去った。何かに、ひどく失望させられたような嫌な気分になった。


「佐助」
「ここにいますよ」
「すまんな、繋ぎのお前にやる役目がなくなった」
「豪雪だもん。流石に旦那でも天災はどうしようもないでしょ。ところで何?」
「手当てをして欲しいのだ」


朝につくった水脹れの爛れた皮が破れて痛む。破ったのは他ならぬ幸村本人だが。


「右目の旦那が軟膏くれたじゃん」
「さっきの釣りで、またひどくなった」


人差し指の先、噛んだせいもあって薄っすら血がまた出ている。仕方無いなと間延びした声と共に、佐助が部屋の暗がりから出てくる。いつもながら何もないところから出てくるようなその所業は、一体どういった仕組みなのか摩訶不思議に思うが、けれど聞いてみたところで佐助が忍びの術を漏らすはずもないし、忍びになりたいなんぞと思ってもいない幸村にとってその情報は無益に等しい。見せて、と幸村の指をとった佐助が、ふと耳に口を寄せた。


「本音言っちゃうとさ、俺様このまま旦那がここに留まっても良いんじゃないかと思うんだよね」


反射的に幸村はもう一方の手で佐助の頬を張ろうとした。佐助はその前に幸村の両の手首を掴んで畳に押しつける。手首が鳴った。首の後ろがちりちりする。


「…何をいきなり申す」
「だってさ、戻ったら遅くなった理由をお偉い方に弁解しなけりゃならないじゃん」
「だから何だ。某にはやましいことなどない。このまま帰らなければ、それこそいらない謗りを受けるではないか」
「でも俺納得できないんだよね」
「好きに言わせておけば良い」


某の居場所はここにないと、声音こそ弱いものの幸村は佐助を力強く睨んだ。佐助は溜め息を吐いて手首を開放する。


「しょうがないひと」
「すまぬ」


首の後ろの重圧が、ふと軽くなった。赤くなった手首の具合を見ながら、ふと幸村は眉をしかめる。


「お前、今の話をわざと片倉殿に聞かせたな」


佐助はにやりと笑った。


「旦那の居場所になれる場所を、どうせなら増やそうと思ってね」


愚かな。
手当てを素早く始めた佐助に、幸村は項垂れた。
俺の居場所などあの人の傍以外いらないのに。







いきいそぐのではなく、しにいそぐのだ。