お逃げなさい。何もないところまで。




経験者はかく言う。




仕事の外回りだとか言って嘘吐いて、カフェテリアに行って珈琲牛乳を一杯(だって俺は苦いのが嫌いなんだ。ブラックで飲める人ってマジで尊敬する。何あの酸っぱいのか苦いのかはっきりしない黒の液体)。腹が暖まり、落ち着いたところで、さて会社に戻ろうとすると目についたのが立派な団地。ジェンガみたいに山に無理矢理建てたようで、景観はそう、棚田に似ていた。棚田を縦に伸ばしたようなの。
やたら日当たりの良さそうな白いジェンガを見て俺は、金持ちの豪邸みたいだと、腹を立てた(本物の豪邸なんて、見たこともないけどね!)。どこに殴り込みに行くのか、誰に怒鳴り込みに行くのか、曖昧かつ不明瞭なままの思考で俺はなんとその団地に不法侵入してしまったのだ!外面からして屋上が一番気持ち良さそうだと思った俺は、エレベータを使って最上階に行った。今時屋上を解放しているらしい、高いフェンス。そこは思った通り日が燦々と降り注いでいて、俺は上着を脱いでぐっと伸びをした。
うん気持ち良い。良いな金持ちは。
そして俺は固まった。


「君、誰?」


拳銃を突き付ける男とられる男。どっちも黒髪がとても綺麗で(一人青味がかっている)、どっちも拳銃という些か通常生活に不必要なものが堂々たるその姿を見せても全く動じた様子はない。あれ、もしかして見るの慣れてる人達なの?


「誰と申しましても」


名前を素直に言ったところで、初対面の人間にはそれは無意味に等しい。というか初対面の人間に一方的に自分の詳細を知られているなんて嫌過ぎる。
拳銃を持っている方が俺を睨んだ。わお美人さん。じゃなくて。


「とりあえず消えてくれないかな。今からこのパイナップルを公開処刑にするから」


公開処刑って、見る人がいて初めて成立するんじゃ、いや俺は人が死ぬのなんて見たくないけど。
パイナップルと呼ばれた男はクフフ、と変なふうに笑った。そういえば、髪型がちょっとそれに似ている。パイナップル、ね。美味しいよね、食べ過ぎると舌が痺れるけど。


「運も場所も悪いですね、そこの君。今から僕はこの鳥頭に公開処刑をされるようですよ」
「なんでそんな他人事なんですか」
「他人事だからです。君は頭が悪いんですか?」


うお、軽い差別用語!中学の頃から言われ続けたけど、流石に大人になってからは回数が減ったのに!


「ちょっと。さっさと消えないと君も処刑するよ」


理不尽!母さん、俺今まで理不尽な目にばかりあってたけど、ここまで理不尽なのは初めてです!
ていうか、何、この人達!普通に銃刀法違反な上に殺人未遂の未遂?ここはジャペァンじゃないの!?一応ある程度の治安は確保されるジャペァンじゃないの!?


「ち、ちょっと待って下さい。ヘルプミー!」
「本当に頭が弱いみたいですね・・・」


呆れるように言うなパイナップル!俺は今まで普通に暮らしてたんだぞ!いきなり拳銃とかそんなの出されても対処の仕様ってものが!


「と、とにかく落ち着いてですね…」
「僕もこいつも慌てた覚えはないんだけど」
「じゃあなんですか。普通の人は他人に拳銃をつきつけるなんてことを許容すると?」


それを強要されることこそ理不尽だ。少し叫んで冷静になったと見せかけて愚鈍になった俺の頭は、この人達の美貌はその分性格とか人格とかに酷く欠損を及ぼしているのだと結論づけた。嗚呼、凡百で良かった。人間失格にはなりたくない。じゃなくて。


「とりあえず俺の前で人殺しをしないでください!」


目撃者として調書は勘弁である。外回りでこんなところに普通来ないし、サボってたことが会社にバレちゃう。良くて減俸、悪くて解雇。再就職の難しい、風当たりの強すぎるご時世に、せっかく得た職場をこんな嫌な偶然で失いたくない。どうせ俺は自分本意だよ畜生。


「じゃあ早く消えなよ」
「うぅ、ごもっともですが見ちゃったからには気になるというのが人の好奇心というものでして」
「勝手だね。もう良いや、死ねよ」
「ダイレクト!」


男が拳銃をこちらに向ける。安全装置が外れる、かちゃりという軽い音が何故か男から数十歩離れたここまで聞こえた。
みみっちい人生を送ってきた俺の死に際は、けれど世間をちょっと騒がせる程度の怪死事件の被害者として飾られるのか。多分32面の新聞の小見出しは、『外回りに出たはずの会社員、集合住宅の屋上で死体となって見付かる!?』・・・嫌過ぎる。
男が緩やかに標準をこちらに合わせ(指先までの動作までもが優雅に見えるのだから神様って奴は二物が大好きらしい)、そしてパイナップル男は恍惚とした表情で「惚れました」って俺に宣う。ん、何かおかしくないか?


「・・・そこのパイナップル、今なんて言った?」
「惚れました!」


拍子抜けしたように男は視線を俺から移し、パイナップルを見た。パイナップルは両腕を左右に開き、俺を見ている。・・・えっと、この場合は俺って拳銃持ってる人の方を向けばトライアングル完成?絶対零度のデルタ地帯完成?


「自らツッコミという名の墓穴を掘り、危険を冒すなんて馬鹿な真似、僕には絶対できません!クレイジー!」
「それ惚れた理由!?なんかとんでもなくまともじゃないじゃん!もしかしなくても俺けなされてるし!」
「クフフ、惚れた相手となればそう簡単に殺させやしませんよ雲雀恭弥!」


パイナップルは盾となるべく俺と男の間に割り込んだ。っていうかあの人雲雀恭弥さんって言うんだ。性格に似合わず上品な名前だなあ。ってそうでもなくってね!


「それじゃ元の鞘だよ!」
「おや、慣用句はわかるんですね」
「けなしてるの!?けなしてるの!?うるさいな!どうせ通信簿にはアヒルが泳いでたよ!」
「そんな墓穴も素晴らしい!」


雲雀さんはゆらりと拳銃をパイナップルへ向けた。俺は更に前へ出て拳銃を額にくっつけた。雲雀さんは酷く癪に触ったような顔をなさった。嗚呼、せっかく綺麗な顔なのに勿体無い。


「邪魔立てすると殺す」
「どうせ見ちゃったからには俺だって五体満足だと思いませんよ。でも俺は武器装備反対です!平和主義者なんです!」
「反吐が出る」
「人が殺されるの、嫌ですもん!じゃあ俺から死ねばそれを見なくて済みますよね?」


両手で拳銃を額に固定する。雲雀さんはぱちぱちと瞬きをした。後ろでパイナップルが悲壮めいた声を出す。そんな声を出せるなら、せめて自分のために出せば良いものを。
俺は雲雀さんの目を睨んだ。雲雀さんは俺を見て、それから不意に顔を背けた。心なしか、目尻が少し赤い。あ、あれ?


「・・・人間どうせいつかは死ぬんだし、弾を君に使うだけで無駄だね」
「・・・はあ」
「でも、狙わせる場所は悪くない。一発で楽に死ねる良い場所だ。変な素質があるんだね、君」


よくわかんない理由で褒められた・・・!雲雀さんも拳銃を降ろし、指先を口に添えてはにかんでいる。僅かに紅潮した男を見るなど、これほど視力に悪く、精神に暴力的なことはない。俺はもしや、地雷を立て続けに二つも踏んでしまったのだろうか。


「僕と人生プランについて考える気はない?」
「ちょっと抜け駆けは許しませんよ!」


今日は厄日だ。お天気お姉さんの占いも、不運だなんて言ってないのに。
屋上に降り敷く太陽光がやけに眩しく、目に染みた。