激しさだけが闘いの凄さを示しているわけじゃない。そういったのは誰だったか、あれ、僕はそんなことを言いたかったんじゃなくて。




勝鬨風邪




重い沈黙が部屋を鬱蒼と漂う。
とてつもなく愉しそうな顔をしている人間が少なからず一人はいるのに、部屋の空気や雰囲気はこの上なく重い。
新八は冷や汗を掻いていた。体は熱り、頭は重く、全体的に倦怠感が重力よりものしかかっている。完全な熱風邪であるが、背中をずるずる這う嫌な汗は決して熱のせいではない。
新八はにやにやと笑うこの、人としては問題だらけの警官を見て硬直した。姉に額へ当てられた、濡らした手拭いは新八の熱を絶好に吸い取り、疾うに温くなっている。気持ち悪さのそれすらも新八の嫌な汗を止めるには役不足のようである。


「……………」
「……………………」


今まさに、人としては問題だらけの警官こと沖田は新八を見下ろしながら笑っていた。中腰という些か辛い体勢にも顔色ひとつだって変えないのは、一重に鍛練の賜だろう。少し、悔しい。片や新八は顔を青くして沖田を見上げている。


「………………」
「…あの、」
「何をして欲しいんでィ?」


新八は喉を詰まらせて黙る。自分の中でまだ明確な形にしていない内に沖田の制服を掴んだまま。うむむ、と唸り、新八は布団を頭から被る。布団の上から沖田の笑い声が降ってくる。


「……………」
「………………」


また重い沈黙の空気。もしかしたらそう感じているのは新八だけかもしれないけれど。沖田が忍び笑う空気が更に新八を居堪まれない気持ちに追い詰める。


「…何であなたがここにいるんですか」
「おいおい、仮にも袖を借りてる奴に恩義を感じねぇのかィ?」


小さく、「すみません」 と謝りながら新八は恐る恐る沖田の袖から手を引いた。もとい、引こうとした。新八の、引こうとした手首が冷たい手に阻まれている。


「…沖田さん?」
「薬はねぇのかよ」
「薬…病院には、行けなかったんです。保険証持ってないし、あんな仕事してるのかわかんない職場だから、申請できるかも…姉上が薬局で買ってくれた薬飲んでます」
「あっそ」


布団が上半身まで取り払われ、手拭いが乱暴に桶へ放られる。水が畳を濡らすのを見て(「僕は見てない。僕のせいじゃない」)、新八はやたら冷たいため息を吐いた。


「生温ィ。んなもん頭につけてんな」
「だって…」


生唾が喉をずるずると下る。新八は沖田から顔を背け、盛大に咳き込んだ。ちなみに沖田の手からは解放されていない。


「で?新八君」


振り向いた先の沖田は、素晴らしく良い笑顔をしていた。新八の背中に、これ以上になく大量の冷や汗が這っていった。


「なぁんでいつまでも袖掴んでんのかねィ?」
「あ、あの、ご迷惑でしたか…?」
「そうじゃねぇよ。何かして欲しかったから、手を掴んだんだろィ?」
「いや本当に」
「新八君」


また息を呑む。喉がぐう、と鳴る。
警官はかくあるべしというマニュアルが例えばあったとするのなら、この人はいくつ当てはまるだろうか。ひとつも当てはまらないのはそれで悲しいことだけれど、当てはまるのならそれも奇妙なことに思える。寧ろ怖い。
新八は布団を摺り上げようとしたが、沖田に両手を掴まれてしまった。冷たいとさえ感じる掌に新八はため息とは別に、思わず熱っぽい息を吐いた。


「エロい顔」
「病人にそんなこと言いますか普通」
「病人襲うなんてことしねぇよ。安心しなせぇ」
「発言自体に不穏なことが見え隠れしてんですけど」
「新八君が大好きですぅ」


呆れても、新八は沖田を見るしかなかった。顔などしかめたら、そのまま目を閉じ眠ってしまうと思った。薬の効果だとわかっているのに、余計なときに効きやがって、と恨み事しか出ては来ない。


「…いなくなると思ったんですよ」
「俺が?」
「いや、気が付いたら掴んでたんで、きっと人の気配に反応しただけだと」
「お前興醒めするようなこと言うなよ、野暮だねィ」
「すみません、僕嘘は嫌いなんで」
「嘘吐きは?」
「嫌いです」


沖田は顔をしかめた。新八はしてやったりと笑った。曲折した、嘘吐きという言葉に意図されたのは間違いなく沖田自身のことだろう。当の沖田は新八の頭を軽く叩きながらぽつりとごちた。


「ちぇ、風邪引いて大人しくなったと思えば」
「なってますよ、大人しく」
「嘘吐きが」
「でも、風邪引くと弱気になるらしいです」
「は、」


皮肉気に沖田は笑う。新八は瞬きをして、目を閉じた。


「いなくならないで下さいね」
「どこが大人しいんでィ」
「目覚めたときに、沖田さんがいなかったら寂しいから、いなくならないで下さい。お願いです」
「仕事サボれってかィ?」
「ええ、僕のために」


沖田が笑った。喉を引きつるような声だった。頬がひやりとした沖田の両手に包まれる。熱りを通り越して湯だった体には海へ一石投じたようなものだが、浮沈していた意識は僅かに定まった。


「起きたら覚悟しとけ」
「やぁですよぅ」
「据え膳何たらだろィ」
「僕も男ですけど」


新八はぱかりと目を開けた。眼前に沖田の顔がある。


「起きてないのに」
「聞かねぇ」
「風邪感染りますよ」
「仕事が休めらァ」


がっちり固定された顔は沖田から目をそらすことを許されない。新八は、もう、とため息を吐いて、目を瞑った。沖田はどこもかしこも冷たいのだろうか、やはり口唇も冷たかった。


「…僕、嘘吐きは嫌いですけど、好きな嘘吐きは一人だけいますよ」


沖田はそれに何も応えなかった。「おやすみ」 の声をまどろみながら聞き、次に目が覚めたときは沖田の代わりに、姉がいた。