口の端にちゅう、と音を立てて口付けられる。むずがるような声が鼻から出たら彼は満足したように笑った。
思えば前途多難な道のりだった。あまり積極的に恋愛をしない自分は当初から彼のアプローチに負けていた気がする。(例え下心がなくても)同性間の接触にもびくびくするような奥手の中の奥手を、ここまで接触慣れさせるのはやはり骨だろうと他人事ながらに思う。自分も正直立て続けに舞い込んでくるトラブルに参っていた。自分の何がこんなに彼を駆り立てるのか真剣に悩んでノイローゼ気味に陥り、しまいには寝込んだ自分に彼が見舞いにくるという二次災害まで呼び込んで、無限ループになっていた。半ば反射的に人格崩壊を留めようとしたのだろう、何回言われたかわからない「付き合ってくれィ」についうっかり頷いてしまったことが敗因だった。さようなら常道。
彼は自分を腕で囲いながら言った。
「あーあ、お前とセックスしてぇ」
はて、セックスって男ともできただろうか。
翆児は今日の夢を見る
新八は悩んでいた。悩み過ぎて禿げになりそうなことをも悩んでいた。朝起きて抜け毛の数を調べるくらいの余裕も今は無い。人間にも生え替わりがあるらしいから、別に取り敢えず保留にしておいても良い問題のような気もするけれど。
ううん、と唸る声が室内一杯に木霊する。ちなみに浴室なのでよく響く。
新八は悩んでいた。肩まで湯に浸って頭を掻きむしって苦悩していた。今の状況に落ち着く以前と同じく、いやもしかしたらそれ以上。また精神科に係らなければならないのかと思うと併合作用で胃痛も起こる。そろそろがたが来てもおかしくないこの頃だ。
「うぅぅう…」
唸る。しかし打開策は模索中、思案中のままである。
どこかの馬鹿が欲張ってもっと進みたいなんて言うからこんなに悩むわけで。受け入れるにも限界があるぞこの野郎と、新八は部屋でテレビを見ているであろう諸悪の根源に悪態を呟いた。
今、新八も男である以上興味が無いわけではない、性的知識について悩んでいる真っ最中である。相手が女の人ならばこうは悩まない。精々単に自分は上手いか下手かと首を傾げるだけだろう。しかし相手は自分と同じ男で、その上なんか自分は受け入れる側な模様(雰囲気的に)。下品な話だが男の下半身の穴はひとつしか無いわけで、消去法でやっぱりそこに陰茎を埋められるわけで。
大きさ考えろよ馬鹿。
恥ずかしいので顔を湯につけて言う。無意味な気泡がぶくぶく泡立った。
「痛い、よなぁ…」
女の骨盤は受け入れるために男より広い。だからくびれのように体の凹凸ができてくるのだが、生憎生殖器官の異なる男はナニを埋められる心配なんか生物化学上露ほども無い。男と性行為に励む非生産は、どうやら効率を図る今の時代にも更に不必要さを増すばかりだ。
骨盤を押し広げる痛みは、やる方もやられる方も半端無いという。一部では吐いたり漏らしたりもするそうだ。その痛みを想像するだけで怖い。
新八は自分の下半身を見た。だらしのない陰茎がぶら下がっている奥に、問題の穴がある。新八は無理無理無理無理!と首を振った。入れられるものは指なんかではないのだ。体積は指の比ではない。こんなの指一本入るかわからないのに入るわけないじゃん。まだ襲ってきてもいない未知の圧迫感に、新八は息を詰まらせた。
相手が爆弾発言を落としてから逸数週間。新八は今も油断を許されていない。
「…ていうか、まだ貞操も捨てきれてないのに掘られるのもなんか悲しいな…」
自分の出会いの無さを呪う。
風呂から出ると、テレビを見ていた沖田(諸悪の根源又はドS)がこちらを振り返った。
「随分長風呂だったじゃねぇかィ」
「ええ、まあ…」
悶々と自分の保身について考えてましたよと新八はテーブルの上にある眼鏡を見た。テーブルはテレビの前にある。
「眼鏡取って下さい」
「俺テレビ見てるのに」
「あ、そ」
相変わらず我が道を行く人だと嫌味を溢して、テーブルに手を伸ばす。
「そういや新八」
「はい?」
「同性間のセックスについてお前どれだけ知識ある?」
思わず手元が狂った。眼鏡がテーブルの下へ滑り落ちる。
よくわからない言葉を連射しながら沖田を振り返ると、彼の魅力(?)である感情のない目が新八を見ていた。
まさにたった今それについて考えてたんですけど。
新八は沖田から目をそらせないまま首を振った。
「お前痛いとかしか知らねぇだろィ?」
「いいい痛いの以外になんかあるんスか?」
あったら間違いなく泣く。新八は痛みに殊更弱かった。
「あー…、お前潤滑油知ってる?」
「料理に使う奴ですか!?」
「うん、大分違う」
新八はさっと青ざめる。料理に使わない油の使い途が全くわからない。
「どうせお前のことだから、無理矢理突っ込まれるくらいしか思ってねぇだろィ」
「もし違うやり方があったとしても、あなたは無理がお好みみたいですが」
「違いねぇ」
整った顔が笑みに歪む。何故か醜悪なまでの美貌は彼の気性を呆れるくらいよく表していた。
仕方ないので眼鏡を拾うためにテーブルへ回り込む。フレームもレンズも大事ない。眼鏡をかけることで視界は驚くほど鮮明に。眼鏡って偉大。
「欲求不満なわけ。俺は」
「よっきゅうふまん…」
つまりは、たまっているのだろう、色々と。で、自分はどうしろと。奉仕でもしろと。そんな理不尽あって堪るか。
「土方さんでもからかい倒せば幾分か気分はすっきりするんじゃないですか?」
「まだないかィ」
「予定は。ないですね」
それっきり、沖田は押し黙ってテレビに顔を戻した。きもちイイのにと呟いた彼の言葉にぎくりとした新八の予定は、案外早く崩れ去るかもしれない…。
(061204)
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