今日の朝食はいつもと少し違った。
沖田の見解はただそれだけだった。
ざらついた舌先
豪快に飯を掻き込む隊士らを近藤は満足そうに見て言った。
「今日はなぁー、何かよくわからんが食堂のおばちゃんが家から新鮮な具材を持ってきて腕を奮ってくれたからな、有り難く食えよてめぇらぁ!」
隊士が諸々の反応を返す中、沖田は冷めた気分で味噌汁を啜った。
いつも通りの味噌の味、いつも通りの汁の中身。
どこが変わったのか皆目わからない。沖田は首を傾げた。
近藤や作ってくれた給仕のおばちゃんには悪いが、特に何かに感動することはなかった。仕事をするためには朝食を食べることが必要不可欠なだけで、事務的に腹に物を入れることに慣れてしまった沖田にそんなものを求めること自体が間違っているのかもしれないが。
風味だの濃厚な味だの知ったかぶりをしてまでして沖田は自分を良く見せようなどとは思わなかった(何せ沖田は既に多くの隊士の信頼と恐怖を勝ち取っている)。
茶碗にこびり付いて剥がれない米粒を忌々しげに睨み、沖田は席を立った。
未だおばちゃんが持ってきた具材についてウンチクを垂れている近藤に複雑な感慨で目を向け、沖田は巡回という名目で屯所を出た。
堪らなく暇だという、今の現状に沖田は酷く不満だった。大敵の土方を暗殺する計画は破綻だらけ。そればかりか近藤に仲が良いなどという遠慮したい誤解を招く羽目となってしまった(元より誤解なんて自身にとって都合の悪いものだけれど)。
何も起こらないまま午後になり夕方になり、沖田の苛々は最高潮に達していた。
このうえなく街はのどかで平和だったからだ。警察の身としてはその方がいいのだろうが、沖田個人としてはあまり歓迎できない状況だ。
今日は攘夷志士の活動は成りを潜めているようだ。
何が攘夷だ。こちとらいつ出現するかわからない奴らの為に休日なぞなしも同然に働いているというのに。
聞こえて来たタイムサービスの放送に、沖田は朝のむかっ腹を思い出した。
どうせ腹に入れれば皆同じだというのに、何故わざわざそこまでして美味いものを得ようと躍起になるのか、沖田には全く以って理解できない。そして、恐らく永遠にできないであろうその気持ちを、沖田は惜しむようにはなれない。
レジに並ぶ中高年層の人間は、あの、押し合い圧し合いの中を超えてきた猛者であろう。その顔はどこかしら満足げに見える。
何勝ち誇った顔してんだか。
沖田は軽く口角を上げて嘲笑った。
そんなたかが食材如きで何故人間の群れの渦中に飛び込んでいくのだ。気力、徒労の無駄である。
「あれ、沖田さんじゃないですか。お仕事中ですか?」
たった今九段の見せから出てきたのは、万事屋の新一とかいうガキだ。こいつも自分とあまり変わらないというのに何専業主婦みたいなことをしてるのか。
裏切られた感じがして、沖田は新八の向こう脛を靴底で蹴った。新八はあいたっと悲鳴を上げ、恨みがましく沖田を見ると、沖田の予想に応えて文句を迸らせた。
「いきなり何すんですか!」
「別に」
いつもの小馬鹿にした様子が皆無の苛々した沖田を、新八は珍しそうに見た。
「どうかしたんですか?何かちょっと」
「別に」
新八の言葉を遮り、沖田はつっけんどんに言い放した。それに新八はかなり気を悪くしたようで、隠すこともなく顔を顰めた。
「機嫌が悪いのは勝手ですけどっ」
新八は言った。
袋を荒々しく揺する。中に入っていたものがゆらゆら、ゆらゆら。沖田はそれをじっと見た。
「僕に当たるのは…って、沖田さん?」
あまりにじろじろ見てしまったのだろう、新八はまた沖田を覗き込んだ。今度は懐疑の感情を以って、怪訝そうに。
沖田はさり気なく視線を戻したが、新八はそれでも沖田を見た。
「沖田さん、ひょっとしてお腹空いてるんですか?」
指摘された途端、幽かに鳴った腹を忌々しく思い、しかしそれを悟られないように新八を見返した。じりと新八が気圧されて後退する。
嗚呼、とにかく腹が減った。
とてつもない長い沈黙の末、沖田は何かに打ち勝って(その何かとは明快には表せないものである。沖田の中の些細な羞恥とか勤務中だとかその他諸々)、首が折れるようにかっくりと頷いた。新八はぱっと顔を明るくして言った。
「じゃあ、ついでに僕が作りましょうか?」
「…ついでに?」
新八はこくりと鷹揚に頷いた。
「姉上の明日の朝ご飯を作ってあげるのです」
くすぐったそうに新八は笑い、袋を目の高さまで持ち上げた。中には具材が所狭しと詰め込まれている。
「今日、野菜のタイムサービスとセールがあったんです」
成る程彼も猛者というわけだ。沖田は人の混雑に揉みくちゃにされている新八を想像した。似合っているような似合ってないような。
「僕もお腹が空いた所為か、たくさん買ってきちゃったんです。一人分くらいなら大丈夫でしょう」
「はぁ」
沖田の気の無い生返事を是ととったのか、新八は沖田の服の裾を掴んで家はこっちですと率先して歩き出した。今更断るのも面倒で、沖田は好意に甘えることにした。
一駅程の距離を連れ立って歩き、足が軋み始めたときに新八があの家ですと言った。そこそこ大きい道場に沖田は感嘆の溜め息を吐いた。
「お前はいつもこんくらいの距離を歩いて?」
「そうですよ。上司は交通費を払う余裕がないですから」
寧ろ清々しい程あっけらかんとして新八が言うのを沖田はじっと聞いていた。
鼓膜を易しく叩く新八の声を綺麗に無視して沖田はここまで来てしまったことを後悔した。どうせこいつもありきたりな味の料理を作るのだろう。沖田は半ば諦めていた。
「じゃあ縁側にでも座って待ってて下さい」
「へいへい」
先程よりも更に気の無い生返事にも新八は気づかず、意気揚々とお勝手に引っ込んでいった。
沖田は時折吹く風を煩わしく感じ障子を閉めた。ごそごそと何かを出す音の後、とんとんとリズミカルな包丁の音が聞こえて来た。沖田は障子に映った木の葉の陰をじっと見た。耳に吸い込まれてゆく単調なリズムを意識しながら沖田はゆっくりとまどろみ、そして寝入った。
それから目を覚ましたのは直ぐだと思われる。
室内には甘い匂いが満ち始めていた。むくりと体を起こすと腹に掛かった薄布が同時に沖田の上から滑り落ちた。新八が料理の合間に持ってきたのだろう。
「あ、おはようございます、沖田さん。もう出来ますけど食べられます?」
「…俺、どれだけ寝てやした?」
「ほんの数十分です」
新八は再び台所に入った。かちゃかちゃと食器を取り出す音が流れてくる。沖田はぼうっとそれを聞いていた。
「沖田さんたちがいつも食べてるものに比べて粗末ですけど」
出されたものはとても沖田たちが食べているものに似通っていた。こんなものだと無理矢理納得して、気が進まない乍らも箸を持った。
新八が心配そうに見てくる。正直こんな状態では望みもないと思った。
「…………」
「な、何か食べれないものでも…?」
沖田は行儀悪く端を口に入れたまま、したの上で炊き込みご飯を転がした。飲み下し、新八を見る。
「お前……、いつもこれをあいつらに食わしてんのかィ?」
「え?あいつらって」
「チャイナとか旦那にとかでィ」
新八は小さく頷いた。沖田の中に沸々と羨ましさが沸いて来た。
「ずりぃや」
沖田は物心ついたときから今まで、作りたての手料理など終ぞお目にかかったことはなかった。こんな暖かいものというのも知らなかった。
「俺ぁこんな美味いもん食ったことねぇ」
「それは不幸」
新八はこぽこぽと沖田の湯呑に茶を煎れた。簡潔な返答に沖田は不服を思ったが、何も言わなかった。
「ごっそさん」
「お粗末様でした」
「…帰りまさァ」
最後の茶を飲み干し沖田は立ちあがった。玄関まで新八が沖田の後ろをついてくる。
「沖田さん、道中お気をつけて」
「あい」
まだここを訪れよう。沖田は思った。
また、美味い飯を食いに、今日で随分印象の変わった新八を、もっと知る為に遭いにこよう。
沖田は味をしめた薄い自身の唇を一舐めした。