「ごちそうさま!」


お愛想!のやけに高い声は、彼の食事の終了を告げると共に、その店の経営生命に斧を振り下ろす合図となる。




中りや尽せん




「雲雀さん、もう一軒梯しましょう!」
「やだよ何で僕が」


酔っ払いの多くなり始めた時間帯、一際テンションの高い一行を自宅へと急ぎ帰るサラリーマンらは迷惑そうに一瞥した後自らの外套の襟を掻き合わせた。
温暖化でクリスマスはおろか正月ですら雪が降るかもわからないこのご時世、されど気温だけは右肩下がりに落ちてゆく。そんな中、雲雀はうんざりしていた。何って、目の前のこの男に。
やけに上機嫌で雲雀の服を掴むこの男は、何を隠そう雲雀の大学の先輩である。そこそこの中堅レベルである大学にどうして入ったか理解できないほど、頭も取り柄も何もかもさっぱりな寝癖頭のひどいこの男の名は沢田綱吉と言う。かたや雲雀はというと、複数の人間が寄り合うことを極端に嫌う変わり種で、非道いときには鼻に皺を寄せてその集団を蹴散らす行き過ぎた暴力兼孤独愛好者なのだが、何故接点のせの字もなかった沢田綱吉とつるみ始めたのかは、例え記憶力に自信があろう雲雀でも覚えていない。もしかしたら、きっかけすらなかったのかもしれない。
雲雀はぼんやり前をゆく沢田綱吉を見た。背は残念なことに平均に届かず、髪質が硬いのか整髪料もびっくりの直立を誇る頭、何より若干高めな(というと語弊があるのだが、単によく通るアルト、くらい)声を裏切らない童顔ぷりは本人のトラウマらしい。これが卒論の〆切も間近な24歳の男とは、つくづく人間の遺伝の神秘は測り知れない。とにもかくにも内外共にぱっとしない沢田綱吉をいつもなら相手にしない(どころか叩きのめす)のだが、こと食糧に関して沢田綱吉は抜け目も何もあったもんじゃない。やれあそこの通りに新しい店ができたの、やれあそこの店に珍しい陳列棚が入っただの、彼のそういう情報は、もしかしたら巷を流れる口コミ(若しくは中高年の女性の、実しやかな噂話。沢田綱吉曰く、女性はそういうものに特別敏感に反応するセンサーが体に埋め込まれているだとか。誰そんな誰も信じなさそうなこと言ったの。君それを本当に信じてるのと胡乱気に彼を見返すと、ウィンクとおっ立てた親指が返ってきた。彼の思考回路は時々よくわからない)にも劣るともつかせないタイムリーな確実性がある。そういった類の情報を捉えた沢田綱吉は、平素普段の消極的な態度はどこへやら、よりにもよって雲雀を無理矢理同伴に仰せつけて自らの足で煌々ネオンの瞬く店を練り歩くのだ。現在も引き続き嬉しそうな顔で、振り払っても振り払っても雲雀のダウンの袖を放しゃしない。
今この時点で三軒目。雲雀はお冷やと軽いつまみ以外を口にしていない。何故なら沢田綱吉の本命はまだ先で、今までいた三軒は彼にとってただの完全なる『前座』なのだ。沢田綱吉のペースに合わせていたら、胃が潰れてしまう。


「次はどこ。いい加減にしないと肋の粉砕骨折だけじゃ済まさないよ」
「次で最後ですってば!焼き肉です!」


しめはやっぱり石焼きビビンバでしょうとハイになって言う沢田綱吉に、焼き肉が本命じゃないのかと突っ込むのを雲雀は止めておいた。前回は六軒の前座ののち、雲雀が付き合いきれなくて勝手に帰ったのを思い出したからである。不毛だ、何もかも。


「何でも、激辛メニューが人気らしいんですよ」


ふざけるな。そんなものを食べたら舌がばかになる。頭に浮かんだこれも不毛なのでスルー。
暖かい暖房の風が、顔を撫でる。細長い縦長のプラスチックには、今日入っている忘年会の予約がずらり。そういえばこの季節だったかと感慨に耽る雲雀を余所に沢田綱吉は二名で!と空気を読まない発言をひとつ。後ろからどついてやった。
首根っこをひっ掴むように沢田綱吉を抱える雲雀は、とても先輩を扱うような所作には見えない。抱えられた沢田綱吉は壁際が良い!と先ゆく店員を無視して目を輝かせる。今だ店員、この馬鹿を追い出せ。しかし雲雀の密やかな願望も虚しく変わった髪型をした店員は、これまた変わった忍び笑いを溢して焼き肉屋にはそぐわない洗練されたリードで雲雀たちを席に迎える。


「ドリンクバーをご所望でしたら、入り口付近にありますのでそちらへどうぞ」
「ん、ドリンクバーはいいです。俺ウーロンひとつとここからここまで一人前ずつ!あとサンチュ五人前」


説明の最中なんだから聞いてやれよ。
雲雀はちらりと店員を窺った。店員は一気に縦一列分の注文を宣った沢田綱吉に目を一瞬丸め、そうなりますとサンチュの枚数がかなりかさばってしまいますがよろしいですかとにこやかに言った。
青味がかって艶のある黒髪が印象的な、受け易い顔立ちである。左右きっちり分けられないのか、ぎざぎざ走る分目や多年草の南国フルーツを彷彿とさせる髪型のセンスは如何なものかと思うが、物腰柔らかな態度がまた女性に騒がれるに違いない。たばかったような物言いに聞こえるため、何となく気に食わないけれど。


「雲雀さんは?」
「…塩タンと上カルビのタレ一人前」


沢田綱吉の注文した品を思い返してみるだに、思わず胸焼けを起こしてしまいそうな雲雀である。


「激辛、激辛」
「辛口の駄菓子すら食べられない癖に、どういう神経してんだい君は」
「お菓子の相場は甘いものでしょう」


雲雀は首を傾げた。余談ではあるが、雲雀の実家で菓子と言えば煎餅やあられの類である。


「聞きたいんだけど、いつも沢田ってどうしてそんな食に関する金回りが良いの」
「金回りが良いわけじゃないですよぅ。俺このためだけにバイトしているようなものですもん」


男がもんとか言うな。というかそれはいろんな意味で駄目だろう。雲雀の胸中を知ってか知らずか(多分後者)、沢田綱吉は悩ましげにため息を吐いた。


「ああ、夏休みに行った長野で飲んだ湧き水は美味しかったなあ…」
「長野まで行ったの君!?」
「もうペットボトルの水は飲めない」


くてん、とだらしなく体を横に倒し、恍惚とした表情でうっとり語る沢田綱吉であるが、実は舌の感覚が極めて優れているとかいう、そんな裏設定はない。特技と言えば、少しクセのある連中を引き寄せるだけの(そのクセのある連中に雲雀自身が勘定に入っているとは露ほどにも思うまい)、ただ、衣食住の内でやたらと食に重きを置いている、怠慢大好きでちょっと美味しいものを食べたいとか考えている呑天気な学生だ。それを知っているからこそ、雲雀は彼に付き合っている自分が腹立たしいのだ。


「当店自慢の唐辛子メニューでございます」


先程の店員が、清々しい笑顔で台座を引っ張ってくる。障子の敷居から僅かにこちらを窺う女性客の相手でもしてやれば、少なくともその無駄な美貌が還元できるのにね。雲雀は押し寄せてくるニンニクと唐辛子の臭いに不快気に眉を寄せた。服に臭いが染み付くことは既に確定事項のことのようだった。


「食べましょうよ雲雀さん」
「先に食べてれば」


第一、雲雀の頼んだ品はまだ来ていない。


「おや、こちらのお客様は辛いものが苦手ですか?」


なんでしたらスープなども揃えてございますがと小馬鹿にしたような響きを捉え、雲雀は店員を睨みあげる。プレートに、六道骸とある。不幸も真っ青になって裸足で逃げ出すような縁起の悪さである。よくよく見れば、雲雀よりも少し若い。


「暇じゃないなら、早く他のテーブルに手を回せば?」
「これはこれは。ご不興を買わない内に、忠告に従うとしましょうか」


いっそ腹も煮沸しそうなくらい、不遜な態度にうって変わった骸を睨めつける。日頃から使っている武具でのしてやろうかと考えて、さんざ身に染みている沢田綱吉の食に対する並々ならぬ執着心を改め、軽くその靴先を踏みにじった。雲雀の売り言葉にそう返したものの骸は、代わりに蹴りを入れつつも気持ち悪いくらいうっそり頬を染めて、真っ赤な真っ赤な肉を攻略し始めた沢田綱吉に見入っている。
しまった、こいつもクセのある連中か!
後先考えずに遂にトンファーを持ち出した雲雀と骸を見据え、沢田綱吉は首を傾いだ。


「石焼きビビンバ、追加していいですか?」


どうやら彼は彼なりに、しめは石焼きビビンバという自分の言葉を忠実に遵守しようとしているようである。