嘘をつーくーきさーまらの舌なんてちょん切って捨ててやるー
間延びした声が響く。
潮風に長い髪を遊ばせ、陽気に歌う歌のチョイスはやっぱり若干ホラー系。その足元には簀巻きにされた鮮血のアッシュが諦めたようにぐったりしている。さながら海岸に打ち上げられた海草だ。髪の色が真紅でなければ、より真実味が増すだろう。反抗して反抗して、簀巻きのままびっちびっちと体を跳ねさせて体いっぱいで抗議していたアッシュは、どこ吹く風とばかりに相手をしない青年に疲れたらしく、うわ言で 「好きにしろ」 とどこか投げ遣り。今更である。
機嫌が良いのか笑顔で(怖い歌をくちずさみながら)海を眺める青年と、ぐったりしているアッシュの面立ちは乗せる感情こそ違うがひどく似ていて、カイツール検問所で持ち上がったレプリカ云々に一層信憑性が重なるのだが、何故だか言い出せないでいる。本人がレプリカだろうが気にしないと気遣う前に豪語したからだろうか。言ってもどうせ何も変わらないだろうと徒労を嗅ぎ取っているのかもしれない。
ちなみに反対側の足元には悪夢にうなされているような様相を呈しているヴァンが転がっている。時折 「メシュティアリカ、枕が臭いなどと言わないでくれ」 と呟くたびに、ジェイドの後ろにいるティアがイイ顔になってゆく。
正直、とても怖い。
「俺がするのは陛下へ謁見の手続きを申請することまでだ。本当は使者が親書をずっと携えなかった時点でカイツールにつく前に消滅させてやろうと思ったのだがな。今の使者殿に対する信用はマイナスだぞ」
「重々承知です。感謝します、ベルガ少将」
「ふん。貴様らが我が軍ならば、その腑抜けた性根を叩き直してやるのに、惜しいことだ」
バチカルに近づくにつれ、青年の体が大きく膨らんで見える。海を眺めるその顔はキラキラと輝いている。
「……楽しそうですね」
「自国に帰ってきたのを喜んで何が悪い。ここは自陣だからな。気を張らねばならない相手もいまい」
「………ああ、そういうことですか」
「察しが悪い。マイナス1965点だ」
「…………何点満点ですか」
敵国の軍人だからと監視していたのはジェイドだけではないらしい。寧ろ、部下がいない今、ティアやガイを含めれば監視の目の数だけは向こうが多い。
「さて諸君、我らが誇るキムラスカ王国へようこそ」
その顔は歓迎を示すはずの言葉を裏切っていた。
軍港ではゴールドバーグとセシルがいた。
ティアは素直に軍人に着いてゆき、同じくヴァンも青年の指示で連れていかれた。まだ目を覚まさず、 「メシュティアリカぁぁああ」 と呟くのは軍人としたどうかと思う。
青年は慣れた様子で敬礼する。
「ご足労おかけします、セシル少将」
「災難でしたね。報告書をまとめて提出した後、ファブレ邸へ足を運んで下さい」
「…奥様ですか。お倒れになったのなら何か滋養に効くものを手配しますが」
「心配には無用です。顔を見せて差し上げなさい」
「了解」
敬礼の後に青年はアッシュを引きずって馬車に乗り込み、昇降機へ向かった。
捻れる音が乱れ 乱れ ら ら
手と手を取り絡ませて描く
淫ら斑何度目があなたぁ
けせら せら せら 何ゆえ笑う
数え歌はぁ なりやまぁぬ
角や人の靴に頓着せず、引きずられたアッシュはしこたま其処かしこに体をぶつける。嫌がる犬の散歩の如く強引な歩みに、目撃した貴族や警備する兵がぎょっとして青年とアッシュを見た。
どんな公開処刑だ。
青年が向かったのはファブレ邸ではなく、どうやら自らの宅らしく、さっさと中に入ると風呂を手配して、アッシュの拘束を解く。
「何を…」
「一先ず体を清めてその服を捨てろ。俺が本当にレプリカなら、恐らく体のサイズは似たり寄ったりだろうから、俺のものを使え」
「な、おい!?」
「鮮血のアッシュはヴァンの洗脳を受けて特務師団長に任ぜられたファブレ公爵子息ということにでもする。これでヴァンを査問にかけられる」
「お前は…」
「だいたいあの髭鬱陶しいんだっつうの。俺はルーク・フォン・ファブレじゃねぇっつってんのにグダグダグダグダと…あー、ぶっ殺してぇ。豚ごとぶっ殺してぇ」
本音がだだもれだ。
気が付けば人を食ったような笑みはなりを潜め、アッシュとよく似たしかめつらをしている。
こっちが地か。
何だか裏切られたような気分だ。と、思った途端に青年はまたあの笑顔をした。
「さあ、奥様に会え。会って、鮮血のアッシュを自分の手で殺しやがれ」
服をひん剥かれて風呂に叩き込まれる。今まで引きずられて乱れた髪に櫛が入り、貴族服も無理矢理着せられた。本当に体のサイズは気になるほどの差異はなく、無表情でそれを眺めていた青年と、殊更相似性が際立つ。
青年は着飾られたアッシュを見て、はん、とつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「レプリカ…レプリカ、ね。ずいぶん便利な技術だ」
「…何が言いたい」
「いや、軍に転用すれば実用が可能かと思ってね。公爵の後を継ぎ、元帥に就かれるのでしたら、お耳に入れることもありましょう。さあご案内致します、『ルーク様』」
「……その顔やめろ」
これから引き回しの刑にされる(実質は似たようなことを既にされたのだけれど)気分で青年を見ると、そんな倦怠感をも見透かすように青年は笑っていた。
その後、この嫌味が大半の諧謔を最後に、青年は数名の部下を連れて馬車でファブレ邸へ供をした。口もきかず、笑いもせず、他の兵と同じく周囲へ警戒の目を向けながらアッシュの傍を一定以上離れなかった。話しかけるつもりは更々ないが、急に静かになった青年に居心地の悪さを感じる。
ファブレ邸へ着くと、青年は部下に馬車で待機しているよう指示をした。
「お前も貴族なんだろう。護衛は良いのか」
「先触れをしましたので私がくることは承知されているはずです。無粋な輩を連れてこれば、白光騎士団、ひいては公爵様へ無礼を働いたことになります。不慮の事項を除き、私が邸内で剣を抜くこともまた、万が一にも絶対に有り得ません」
「…その口調は何とかならないのか?」
「今は一先ずどちらでもない曖昧な状態なのでお話の相手をさせていただいているだけで、鮮血のアッシュではなくルーク・フォン・ファブレ様に戻られたら、軍会議以外の場で部下であり爵位も低い私から声をおかけすることはできません」
冷たく返され、アッシュは頷く他何もできなかった。
戸をくぐればすぐ近くでティアやガイ、何故かジェイドやアニスやイオンまでもがいた。そして、アッシュが一人ダアトにいたとき、片時も忘れなかった婚約者も。
後ろで青年が即座に膝をついた気配がした。
「ルーク!」
「ナタ、リア…」
「ああ、ルークですのね! よくぞ…よくぞご無事で帰還を果たされました…!」
言葉が上手く出ない様子で頬を紅潮させ、ナタリアは涙ぐんだ。こんなにも喜ばれ、アッシュは複雑な思いを抱えながらも嬉しさが込みあげる。
一頻りアッシュに視線を注いだナタリアは、後ろで膝をつき、頭を垂れる青年を見て、悲しそうに微笑んだ。
「…あなたも、お顔をおあげになって、ルーシス」
「は」
顔をあげ、立つことを許された青年の顔は無表情で、今更ながらにその人形らしさが双眸に増す。アッシュはそれに違和を感じた。
「──叔母様がお待ちしておりますわ。早く見舞って差し上げて。ルーシス、あなたもですわよ?」
「かしこまりました殿下。ティア・グランツ、ついてこい」
「はい!」
一礼して、ティアを連れて先へ進む彼を尻目に、アッシュはナタリアへ問う。
「あれは、お前に対してずっとああなのか?」
一転、ナタリアは苦笑い。
「ええ。ベルガ家に入ってからは一層、身分を慮るようになり、今ではわたくしの許しを得るまで目も合わせませんの」
「普通ならそうだが…」
「ルーシスは、ファブレへやってきて一年ほどあなたと同じような教育をされたのですが、軍に入ると言い出して…王籍と名前の抹消を願い出る代わりに名前を変え、ベルガ家に預けられてから、ずっと軍事に従事しておりましたのよ」
「…………」
内心はどうであれ、彼は己がファブレ公爵子息ではないと知っても平然としていた。況してや人間でないとわかっても、その上で『便利』だと言ってみせたのだ。強靭な心持なのか、そうなるまでにずいぶんと苦渋や辛酸を舐めてきたはずだ。自分と同じように。
ナタリアは、帰ってきたアッシュも含め、どう思ったのだろう。
「自分はルークになれないから、ナタリアとの約束も履行できない。俺に政治の才能はないからって、笑ってたんですの、彼」
彼女の前で、笑えて、いたのか。
胸中を更に複雑にしたアッシュは、ガイを伴って部屋へ行った。ナタリアはジェイドと話があるそうだ。
ガイはタルタロスで合流してからこちら、様子を見ていたが、ずいぶんとあの青年に傾倒している。熱烈な勢いで口に出すだけに、その思いは偽りではないらしい。若干イきすぎな気もしなくもないが。
「長らくご無沙汰しておりました…父上、母上」
「だから、さっさとヴァンをギロチンにかけた方が良いと思うんですけど」
戸から聞こえた声にアッシュは固まった。
「いや、しかしユリアの血が」
「ああ、譜歌ですか? ならさっさと拷尋して象徴でも何でも聞き出せばいいでしょう。ユリアの血統ならばティアがいますしね」
「ルーシス様がお望みなら、いくらでも情報を集めますけど…」
子孫を残すなら、ルーシス様との子が良いです。
部屋に立ち入ると、ティアが顔を真っ赤にして、青年が生温い顔になっていて、父が困惑げで、母が気丈に笑っていた。どこから突っ込むべきだろう。
「…………」
「おおルーク、こちらにおかけなさい」
「はあ…」
「お前からも言ってやってくれ。ルーシスを改めてファブレの次子として召し上げようかとシュザンヌと話しておったのだが…」
「影武者ならまだしも、レプリカがファブレの養子になるなど、ファブレとキムラスカの権威の失墜と不信に繋がります。いいじゃないですか、このままただの将官で。死んでも死体は残らないし、利用のし甲斐はいくらでもあるでしょう」
やさぐれた顔の青年が椅子に座り、茶をすすってる。お前、ファブレへの無礼を懸念していたんじゃないのか。
「んなもん体面だけどうにかすればいいんですよ、ルーク様」
「…身も蓋もないな」
「で? ルーク様は戻られるんでしょうね? でなければ鮮血のアッシュとして裁かれ、不名誉な名前を残すことになりますよ。処刑すんのはもちろん俺で」
「………わかった」
元々ファブレに未練はあったし、予想外とはいえ結果的に元の鞘に収まれたのだ。
厚かましいと思うなかれ。アッシュの常識は既に至るところで擦り切れている。
「お前はどうするんだ」
「ベルガ家の一員のままですよ。当然でしょう」
「ルークは今まで一人っ子だったから、兄弟が欲しいですわよね?」
「俺の話聞いてましたかシュザンヌ様」
「まあ、そんな他人行儀な呼び方をしないでルーシス。母上と呼んでちょうだい」
「無作法は周りに示しがつかないので遠慮致します」
母が濡れた目でアッシュ否、ルークを見る。彼を引き留めるよう催促してくれという眼差しを、今まで散々親不孝を重ねた身としては断れない。
「おい──」
「それ以上言ったら簀巻きにして海に沈めますよ、ティアとガイが」
「……無理です母上」
「そうです。だいたいルーク様は今までレプリカにお立場を占有されていたんですから、そんなものがファブレに居座るなんて無理です。ルーク様のお気持ちをお察しください」
「そこらへんはもう別に…っ!」
思いきり踏まれた。
とはいえ、この青年がアッシュと中身まで同じかと訊かれれば断固否で、最早別人の域である。自ら降って一軍人として昇ったのだから立場云々も通用しない。もしかして、ルークの反対が最後の砦と思ってるのか。そんなにファブレが嫌なのか。
ちらりと見たら、超イイ笑顔が返ってきた。
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