グランコクマは水の都だった。
清らかな水が街のいたる所にある噴水から湧き出て、涼しげな空気を運んでくる。
水道代はなきに等しいんだろうなとずれたことを考えるルークは、どこか疲弊した気分で広い王宮を見上げた。

 

 

 

ごうごうと滝がうねり落ちる壮大な景観を背景に、マルクト帝国皇帝は座していた。
マルクト帝国皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト9世は、皇帝職に就く人間の中では比較的若く、若輩者に分類されるであろうが、民草から賢帝と慕われるほどに良き政治を執っているらしい。即位して三年という短い期間に、預言を妄信していた先帝時代の悪習を悉く取り除いた手腕は、確かに評価されて然るべきだろう。
仕事を脱け出したり、私室に家畜を溢れさせたりと、些か困ったことをしでかすのが玉に瑕であるが。


「お前たちか、俺のジェイドを連れ回して帰しちゃくれなかったのは」


幼馴染みの第一声に、ジェイドはひどく青褪めてみせた。
この皇帝が如何に遊び心満載でその言葉に他意がないとも知っているし、ジェイドの性格を知りながらジェイドが皇帝の男娼と勘繰り揶揄する命知らずがいなければ、ここまでジェイドも過剰反応したりはしない。しかしジェイドを揶揄って遊べる剛毅な神経を持ち、尚且つジェイドに反撃を許さない強者がこの場に存在するのだ。
後ろで同行者らが、あーあと同情するような視線をジェイドの背中に投げかけた。そこまで思うのなら、このポジションを変わって欲しい、切に。
けれども、恐らく格好の獲物が転がり込んできたととても楽しそうに笑っているのだろうとルークに目をやってみれば、意外なことに、今までにない静かさでこちらの様子を見ている皇帝を観察していた。
その目は、単に皇帝がルークの玩具たりうるのかを考えている目で、大抵初対面の人間に向けるのだが、如何せんヴァンやフリングス少将をじっと観察していたルークを知る者はおらず、いつにない静寂を湛えるルークに免疫のない、だがルークの傍若無人さを知っている同行者は、何をやらかす気だとびくびくしている。
相手は皇帝。権力の象徴とも言える人間だが、ルークはルークでこの世の理を平気でねじ曲げる外道であった。


「…お初にお目にかかります、ピオニー皇帝陛下。わたくし、キムラスカ国王によりアクゼリュス親善の大使を任命されました、ルーク・フォン・ファブレと申します。この度はアクゼリュス崩落の件に置きまして、カーティス大佐よりご報告を受けておいでと存じますが、今一度お耳に入れたきことがあるためにまかり越した次第でございます」


膝をつき、腰を低く落として朗々述べるルークに、皇帝は感心したように目を眇めた。


「その件については、その方が超振動でパッセージリングを消したことで誘発したという話が出ているが、貴殿本人はどのように受け止めている?」


ルークの顔に、我が意を得たりと浮かんだ笑顔を見たのはジェイドだけに違いない。皇帝とジェイドの相関を勘繰られる方がマシなほどきな臭いな気配が、流れてゆく話の方向から立ち込めているような気がした。
早くもジェイドの背中に汗が垂れ始める。


「その前に確認させていただきたいのですが、もしやキムラスカから宣戦布告を受けているのではないですか?」


明後日の方向に話が飛んだルークの言葉に、同行者(特にナタリア)が目を丸める。けれど、意味合いの違うざわめきが控える重鎮らの間を走った。
皇帝は剣呑な雰囲気を滲ませてルークを見た。


「確かに。アクゼリュスと共に消失した親善大使一行の中に、王位継承権を持つ公爵子息や王女がいたことで、マルクトの陰謀ではないかと責任の追及の意味も一端はあるらしい……しかし、何故それを貴殿が知っている? 貴殿以外にその情報を知っている人間は、そちらにいないようだが? よもやキムラスカの謀というわけではなかろうな」
「ああ、それはございません。生憎わたくし、崩落するとわかって殺すつもりで親善大使を立てたキムラスカという国を信用してはおりませんので」
「な…っ、それはどういうことですのルーク!」
「黙れ王女。俺は皇帝と話している。話が混乱するから、口を開くな」
「ちょっとルーク! その言い方はあんまりじゃない! キムラスカはナタリアとあなたの祖国でしょうっ?」
「そうだよルークぅ! それにアニスちゃんたち、宣戦布告なんて話聞いたことないのに、何でルークだけ知ってるのさぁ!」


ルークの顔が、ひどく醜く歪んでいく。凶悪な表情が片鱗を見せ、まずいと危機感を抱いたジェイドが注意を喚起するより早く、ルークが鋭く叫んだ。


「サウンドインバリデイト! ハイド!」


途端に、発言したナタリア、ティア、アニスが、べしゃりと地面に這いつくばった。悲鳴をあげたようだが、何故か声は彼女らの口から出てこない。同じくガイも何か言おうとしたのか、しかし彼女らの惨事を目のあたりにして、開きかけた口をそのまま開閉している。あと一歩のところで運良く免れたガイに舌打ちして、ルークは彼女たちの背中を順番にのしのしと踏んでから、優雅に皇帝へ頭を下げた。


「御前失礼いたしました」
「あ、あ…いや、今何をした? 譜術…ではないだろう?」
「ああ、俺、超振動が使えなくなった代わりに別のことができるようになりまして」


小さな音をたて、ルークの手元に青白く発光するパネルとコンソールが出現する。控えていた兵士が、何事かと身構えた。


「何だ、それ?」
「データベース…万能辞書? みたいなモンです。項目としては、人の目に触れた預言やこの星に住んでる生物の出生・秘密などなど。ある程度なら強制的に命令したり、持ってるものの情報を書き換えることもできますが」
「本物か?」
「皇帝陛下の初恋はカーティス大佐の妹ですね? 彼女は現在既婚の身ですが陛下は忘れられずに未だ正妻を迎えていないとか。議会の老人方が頭を痛めていますよ。それから私室にブウサギを大量に飼ってらっしゃって、世話係の方がもう増やさないでくれと密かに願っているとか、カーティス大佐が幼い頃に妹に悪魔呼ばわりされて本気で凹んだことがあったとか、カーティス大佐が軍部に入った一年後に共同寄宿舎で…」
「もういいです! 充分です! だからこれ以上人の恥部の一人暴露大会は止めてください!」
「やあ、カーティス大佐も青かったんですよね、あの頃は!」


堪えきれずヒステリックに叫んだジェイドを笑うルークの目は、一欠片だって朗らかに緩んでいない。HAHAHA、と声をあげるルークに何か危険を感じたのか、皇帝は少しのけぞった。


「で、キムラスカで親善大使に任命されたときに詠まれた預言がどうも故意に削られたみたいで、全文を詠んだらまあ、アクゼリュスの崩落が書かれてました、みたいな?」
「みたいなってあなた…」
「それでキムラスカは信用できないと?」
「はあ、まあ、決定打はそれです。他にも、出奔まがいなやり方で城を脱け出した王女を迎えにこなかったとか、親善なのに護衛が少なすぎるとか、瘴気の危険性や予防策を前以て言わなかった・考えていなかったとか、長年仇敵同士だった国が和平の翌日に親善を決めてたとか、宣戦布告の理由に親善大使の他に王女の名前が挙がってたとか、普通に考えておかしいだろってところが多々多々あったんで」


皇帝がジェイドを睨んだ。報告にあった政治に疎いという性格と、全く違うではないかと責める目だった。
しかし、今のルークは異世界のルーク・フォン・ファブレの意識だと、どう説明できようか。間違いなく狂人扱いされてしまう。


「セフィロト破壊については、確かこの国に第七音素が計測できる装置があったはずなので、それで確認してくださいよ。っていうか、何の根拠があって俺だと思ったんですかねぇ、陛下?」


またしても睨まれてしまった。
書類へ断定的にそう書いてしまった迂濶さと短慮さを、ジェイドは今になって後悔する。


「あ、そうだ陛下にこれあげます。陛下はジェイドを牝馬にしているんでしょう? ジェイドがいない間はこれ見て楽しんでください」
「ちょ、何を…っ」
「牝馬って……冗談だったんだがなぁ…」


ルークが懐から出した紙にとてつもなく嫌な感じがして、ジェイドは慌ててルークに手を伸ばした。しかしルークはにやにや笑いながらその腕をかいくぐり、皇帝の胸にやや皺が寄った紙切れを押し付ける。
最早不敬だと取り締まる人間はいない。哀れにもルークがどれほど危険か、知ってしまったようである。
皇帝は折れた紙を広げてしげしげと見つめた後、哀れむような笑い飛ばすに飛ばせないような、半端な表情でジェイドを見た。


「お前…これは本当にあったことなのか…?」


見せられたチラシには、自分とヴァンのソフトSMの様子が克明に描かれていた。
妙にリアルで絵には見えないからこそ、笑えない。


「…ルーク…これは一体何ですか…?」
「え? 最近お前俺におちょくられなくなったからって調子乗って、またうだうだうるせぇからさ。ベルケンドから今まで通ってきた街のチラシを、全部それに変えてきた」


あの髭面の牽制にもちょっとは役立つかなって思ってさ! と満面に笑うルークは、今度こそ朗らかである。けれどジェイドはそれどころではなかった。
それはつまり、キムラスカやダアト、挙げ句母国マルクトにまで、ジェイドの覚えのない醜態が晒されているということで。故郷のケテルブルグにその波が行っていないことに心底安堵したが、それもこれからのルークの胸三寸であるのが恐ろしい。


「あ。対象は気まぐれに陛下も入りますんで」
「……頼むからよしてくれ…」
「ご冗談を」


笑って即答するルーク。
疑われたことを大層根に持っているらしい。その延長線で、皇帝にまで恨みを買いそうだとジェイドは思った。
この分だと、当たり前のようにガイやナタリアやティアやアニスも対象になっているのであろうが、今後顔を晒して街を闊歩できなくなるので、本当に勘弁して欲しい。それに気づいてガタガタ震える彼らと一緒に、後で土下座でもすれば、更なる恥の上塗りは免れるだろうか。
…きっと嬉々として実行するだろう。彼はアッシュ(というより自分)の顔以外が屈辱に歪むのを見るのがとても好きだから。
踏んだ尻尾は蛇や竜というよりも邪神のようである。


「あ、そうだった。ガイが何でもマルクトの貴族らしいんで、鬱陶しいから返還しときます。陛下って公に口に出すほどジェイドとか綺麗な顔好きでしょ? 首輪でもつけて、自由に飼い慣らしてください。牝馬として」


その無情な言葉に、ガイと皇帝がそれぞれ胸に染みる思いに目を覆って涙した。

 

 

 

同じ頃、リグレットが険しい顔をして持ってきたとあるチラシに、ヴァンはいい加減白髪になりそうなほど凄まじい心労を湛え、頭を抱えて机上に突っ伏した。











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(090203)