がたん、と店の戸口の方でけっこう派手な物音が聞こえ、俺はつい目を覚ました。寝ていた俺が覚醒するくらいなんだから、近所にも迷惑千万なくらいの騒音だったに違いない。なんだ、誰か死体でも捨ててったかと嘲弄半分に思うがこのあたりの治安はそこまで悪くなかった。
先日までは。
しかしこの近辺の用水路に死体がひとつ浮かんでからは、ここら一帯もお茶の間で出不精がちな主婦の好奇心をくすぐるワイドショーの一端に組み込まれていたため、俺の妄言もいまいちなりきらない。
と、戸口に向かうと、そこには血をガラス張りの扉になすりつけるように背中を当てる人間が座り込んでいた。死体ではない。死体ではないが、もしかしたら片足くらいは棺桶に突っ込んでいるのかもしれない。うわ、洒落にならねぇぞ、と俺は扉を開けた。それに合わせるようにして人間が倒れ込んでくる。ずるり、と力なく弛緩しているそれが更に濃厚な死の恐怖を連れてくる。
よく見たら人間は男で、しかもなかなかのハンサムガイである。頬に傷のあるヤのつく職業に就く方々だろうか、顔は良いのによくわからん損の仕方をしているな、と考えてから、俺はやけに冷静にその美形くんを家に引き入れた。うちの前で血まみれになって倒れられて、誰かの親切で警察に連絡がいったら、いくら無関係を主張しようが、厄介になるのは目に見えている。一応この店は俺に譲渡されたものだが、便宜上まだ預かっているようなものだ。
美形くんを引きずると、線路のように、血がずるずる尾を引いた。こんな状況でも寝起きで働かない頭を抱えている俺は、到底この男を持ち上げるまでにコンディションが整っていないので仕方ないのだが、それでも薄闇にすら目立つ赤黒い道に眉をひそめた。
ある程度男を中まで運ぶと、穴のあいた腹を見た後で、蹴って背中を見る。よし、背中にも穴があいてる。弾は体の中に残っていないようだ。素人目に傷をいじくっちゃ不味いだろうからこんなところで摘出なんて真似をしなくて助かった。口元に血がついているところから、内蔵を傷めて吐血したようだが、そんなもん俺がどうにかできるレベルじゃない。とりあえずリネン室からタオルを多めに持ってきて背中と腹に宛てがう。
さて、救急車は何番だったかな。普段使わないからまるで慣れない(使わないにこしたことはないのだが)。
「手に持っている物を置いてゆっくり手を挙げろ」
ダイヤルを検索していると、背中にごりっとしたものが当てられた。タウンワークを置いて静かに両手を挙げる。
そうじゃん。傷はどう見ても銃創で、じゃあこいつも似たような飛び道具を持ってないかと言ったら必ずしもそうとは限らない。どうして持ち物を確認しなかった、俺よ。
「腹に穴あけたまま立ち上がって良いのか。その穴にピアスでも通す気かよ」
「どうせ手当てはします。二、三質問をしますから、偽りなく答えてください」
高圧的な口調が一変、柔らかな敬語にシフトする。腹に穴があいてるっていうのにやけに無理をするな。死ぬなら俺の迷惑のかからない余所で死んでくれ。
「あなたの身分は保証できますか」
「この店自体が俺の身分証明みたいなもんだ」
「みせ…?」
「ここ、一応パティスリー。派手な音が聞こえたから出てみれば半死人がいたんだけど」
つまるところお前のことだ。
美形くんは俺の背中に銃を押し当てたまま、 「パティスリー?」 と間の抜けた声をあげた。洋菓子専門の直営店だよ。
「いえ、知ってますけど…僕はそんな場所にいた記憶なんか、」
「店のど真ん前にいたから中に入れたんだ。でなけりゃ誰がお前みたいなやばそうな傷負ってる奴に関わるか。聞きたいことはあといくつだ?俺はさっさと血の後始末をして寝たいんだ。明日もいつも通り営業する予定なんでな」
血がそこら中に飛んでいる店になんか猫も寄り付かんだろうよ。
背中からゆっくりと銃が離れる。俺は思い切って、えいと振り向いた。
奴は目を閉じていても美形だが、目を開いた今の格好も、あどけなさが少し増したにも関わらず、やはり美形だった。神様って奴は本当に贔屓が得意だと、つくづく思い知る。
「僕の他に、誰かいたりしませんでしたか」
「さあな。いたかもしれんし、いなかったかもしれん。血まみれの人間を目の前にして、悠長に周りを見れる余裕は持ち合わせちゃいないんでな」
「そう、ですか……」
「傷は」
「え?」
「傷はどうだって聞いたんだ。素人目に見てもヤバイ傷だ、さっさと治療してくれるところに行ったらどうだ」
「僕がここにいたら迷惑ですか…と、愚問でしたね」
なんだそりゃ。まるで俺の言い方が悪かったみたいだ。そういうわけで言ったんじゃないんだがな。ずいぶん後ろ向きな奴だ。
別に引き止めたいわけじゃないので、その言については何も言わないで、ため息ひとつ寄越して水に濡らしたタオルを床に投げつける。びちゃ、とタオルが床の上でのたくった。
良かった。存外早く拭き終わりそうだ。
内心ひどく混乱していた俺はどうやら少し余裕が出てきたようで、ならば銃弾を浴びたこの不幸な男に僅かばかり余裕の恩恵を与えてもバチは当たらんだろうと自室へ行く。
「ほら、包帯やる。そのタオルも使って良いから止血しろ」
「あ、どうも………理由は聞かないわりには、すぐに追い出さないんですね」
「本当は聞きたいことだらけなんだがな。失血で気絶した人間を放り出して死なれても寝覚め悪ぃし、お前見た感じけっこう大丈夫そうだし、あれだ、銃向けられたら怖いだろ」
「怯えているようには全く見えませんでしたが」
怖いに決まってるだろ。ただ俺は、顔に出にくいだけだ。
理由なんて別に聞かなくったって良かった。どうせ用水路に浮いてた死体だってそれ関係だろう。目の前で人死にがあれば足がすくんで動けなくなるくらい話は別だが、今まではあくまで対岸の火事だ。せいぜい、テレビの視聴者よろしく、ゆったり事を構えるくらいさ。
「俺はとんだエゴイストだからな。自分の目が届くところの被害は極力控えたいんだ」
「そういうの、平和主義って言うんじゃないですか?」
「いいだろ」
俺が笑うと、本日一番に不幸であろう美形くんもにやりと笑った。
何だか一緒になって犯罪を犯した気分だった。
(080725)