あ?
俺は思った。
先月。俺が情けなくも夏風邪でダウンした先月。何月だっただろう。
先々月に確かハルヒが夏休みを待てず、古泉を連れて小旅行に行ったのが、7月だったよなあ。なら、風邪ひいたときはは8月だったよなあ。
中学生って、夏休みだよなあ。古泉って、帰宅部だったような…
なんか、古泉、普通に制服着てなかったか?
Good bye,my majesty!
旅行で休み、風邪で休みとシフトをダブルパンチで変更し続けたために、今までの分(店長の信用とかも含む)バイトに明け暮れていた俺に、ハルヒが声も高らかにのたまった。
「今度のオープンキャンパス、我がサークルも新しく入ってくるジャリ共にその存在を知らしめるため、休日返上で参加するわよっ!」
ボイラーに手を突っ込まなかっただけ俺を褒めてくれ。
オープンキャンパス。俺としたことが去年もこいつに振り回されて、その上散々責任のありかをなすりつけられたあの悲惨な一日を忘れていた。しかも今回は矛先の半分以上をハルヒの着せ替え人形と化して引き受けてくれた朝比奈さんがいない。長門で気が済んでくれるか…最悪休日なのに朝比奈さんを召喚してしまう事態になることも考慮せねばなるまい。いや、いくらハルヒでもそこまで自由気ままに振る舞わないはずだ。そうだと信じたい。信じさせてくれハルヒ。
しかしハルヒ、仮にも先駆者として新しく入ってくる学生をジャリ呼ばわりは如何かと思うぞ。
「んっふっふ、このSOS団団長の眼鏡に適う根性のある新入生がいるかしらね」
聞いちゃいねぇ。
「というわけでキョン、来週の日曜日は朝から夜まで空けときなさいよ!終わったら盛大に打ち上げやるんだから!飲むわよー!」
このついていけんテンションはどうにかならんのか。少しも収まる様子なくはしゃぐハルヒに、俺はため息を吐いた。
ん?朝から夜まで?
「おいおい、古泉がいるから無理だって」
「なら古泉くんも来たら良いじゃない」
「アホか。古泉はもう学校始まってんだぞ」
「むー。じゃあ家で留守電させたら良いわ。古泉くんしっかりしてるんだから、別にキョンがそんなに気にかける必要はないと思うけど。古泉くんだって、日頃キョンがいて晴らせない鬱憤を抱えてるかもしれないわよ?」
「俺がいて晴らせない鬱憤ってお前な…あいつが夏休みの間も俺はずっとバイトで家にいなかったんだが」
「ああ言えばこう言う!とにかく団長命令よ!絶対来なさい!」
そんな無茶な。
断固抗議を申し立てたいところだが、ちょうど店長がハルヒにホールを指示した。ハルヒは黙ってさえいれば顔は一級品だから、さぞや客寄せパンダになってくれるだろう。黙ってさえいれば。しかし俺にしてみれば、理不尽なハルヒの要求に異議を言う機会を奪われたようなものだ。
きっとハルヒの中では既に俺が打ち上げに参加することが決定しているに違いない。自分都合な解釈を納得する速さは、谷口以上だ。時間を置いて後から反論したところで、ハルヒが折れるとは思わない。無断欠席すると後が怖いので、最早俺に残された選択肢はひとつのみ。
俺はまた、ハルヒの我が儘に付き合わされることになるのだ。
「オープンキャンパス?」
「ああ…だから来週の日曜は多分帰ってくるのが遅くなる。飯は作って置いておくな」
「あなたの大学って、確か…」
「駅ひとつ向こうのだが」
古泉はくるりと目を丸めた。
最近は朝食では飽き足らず、夕食も作ると言い出した古泉。森さんの代わりに保護者を代行している俺としては、自立の志の現れならばまだ親の脛をかじって良い年齢なのにと手のかからなさに安堵して良いのだろうが、兄弟然として欲しい身にとって、あまり頼りにならないかと何だか少し寂しかったりする。
ともあれ、バイトから帰ってきた俺は、古泉と台所に並んで夕食を作っていた。
「変な時期にオープンキャンパスなんてするんですね」
「変、か?そりゃ夏休み中にやるところも多いだろうが、けっこう今の時期や来月もあるところはあるさ」
「へえ、あなたも行ったんですか?オープンキャンパス」
「いんや、あまりよく見ると悪いところが見えたり入学した後に構内を回る楽しみがなくなっちまうからさ」
「はあ、」
変な価値観をお持ちで、と古泉は小さく呟いた。おい、そこ、聞こえてるぞ。
「では高校入試のときも?」
「ん、まあな。って、お前は俺と同じにする必要なんてないぞ。お前はお前で好きにすれば良い」
「言われなくても真似する気はありませんよ」
おや?何故そんな淋しそうな顔をするんだ、古泉よ。
「知りません」
なんだよ可愛くねー。
xxx
さて前に高校生が校外模試でうちの大学に来たときは、流石にネクタイ着用義務があったが、今回は普通に私服で良いのだろうか。夜は幾分涼しくなったと言えど、まだまだ日中は残暑の厳しい9月である。冷房の利いている構内ならまだしも、長袖にネクタイ姿で外に放り出されてしまえば、たちどころに心身干からびてしまうだろう。いつもと変わらないシャツを羽織る。
古泉は珍しくまだ寝ているようで、部屋に篭ったままらしい。夜更かしでもしたのだろうか。体調が悪いのかもしれないので、消化の良いスープを作って置き手紙を書いておく。
ポケットに入れた携帯電話が震えた。長門からである。用件を栞に書いたりとやけに古風な連絡手段を採る長門がメールをするとは、とても貴重なことのように思える。
『朝比奈みくるが涼宮ハルヒによって呼び出された。あなた以外の人間は既に全員来ている』
ああ、何というか、つくづくハルヒは予想を裏切らないな。悪い意味でだが。
きっと朝比奈さんは訳もわからず呼びつけられて、早速ハルヒの着せ替え人形になってらっしゃるのだろう。所構わず屋外だろうが朝比奈さんをひん剥くハルヒを咎めるようなことを、長門は読書にかまけてしないだろうから、俺が行くまで朝比奈さんへの被害は止まることを知らないに違いない。早い所出かけねば。
「行ってきます」
少し翳って薄暗い部屋から返ってくる言葉なんてなかった。
ベスパに乗って大学に行った俺を待っていたのは、満足げなハルヒと、半年以上前に着せられたバニーをまた着る羽目になって、半泣き顔をしておられる朝比奈さんのいたいけな姿だった。
「こらハルヒ!たかがオープンキャンパスに、もう卒業した朝比奈さんまで呼ばなくても良いだろう!大体朝比奈さんは社会人なんだから、色々疲れてるかもしれんのだぞ!少しは慮ったらどうなんだ?」
「良いじゃない!卒業したってみくるちゃんはうちの団員よ!今後の活動に関わる権利なら大いにあるわっ!」
「関わる権利云々じゃなくて無理矢理関わらせてるだけじゃないのか?」
「何よ!アンタだってみくるちゃんのバニー楽しみにしてたんじゃないの!?」
反論できずに俺は唸った。確かに楽しみにしていた節があったことは否定できない。
ハルヒは勝ち誇ったように胸を張って笑った。余談であるが、ハルヒも朝比奈さんと同じデザインのバニー姿をしている。
「さあ宣伝よ!我がSOS団が如何に偉大か見学者のジャリ共に教えてやるわ!行くわよ」
ジャリ呼ばわりしてくれるな。こんな傍迷惑な宣伝があって堪るか。ビビって学生が逃げちまってるじゃないか。
俺の進言を聞かない内に、ハルヒは本を持った長門を引っ張り、キャンパスツアーの受付に並ぶ学生の群れに飛び込んで行った。俺の言葉に耳を貸さないのはいつものことなので、俺は諦めてため息を吐く。あいつが誰かに注意されたとき、俺を巻き込まなければ一番良いんだがな。
「すみません朝比奈さん…」
「ううん、いきなり着替えさせられたのにはびっくりしたけど…。お久しぶりです、キョンくん」
はんなり微笑む朝比奈さんは、相変わらず庇護欲を掻き立てられるくらい麗しい。ちょっと胸の谷間が際どいが、直視しながら話せるほど俺はこんな刺激物を見慣れちゃいないので、それとなく視線を外す。朝比奈さん、何故かあまり恥ずかしそうにしていないが、もしやこの倒錯的な衣装を強要されることに慣れてしまったのだろうか。
「7月の小旅行以来ですね。会社とか、新しい環境には慣れましたか?」
「え、あ、うん…」
曖昧に言葉を濁す朝比奈さんの顔は晴れない。会社付き合いが上手くいっていないのか、新しい環境に疲れたのか。
社会人も色々大変だなと俺はふと入り口を見る。
「あれ?」
見慣れた顔がこっちに来る。
あいつ、何だってここに。
「こんにちは。今朝はありがとうございました」
「古泉…」
「あなたの大学に少し興味がありましてね、見学に来てしまいました」
「おま、中学生だろ。見るのは構わんが本当は高校を見るべきじゃないのか?」
「良いじゃないですか」
俺は古泉の姿を見る。高校生として見るには申し分ない身長だし、着ているかっちりした服装も落ち着いた気配も、寧ろ中学生に見えない。本当に見学者として乗り込んできたらしく、胸にはそれ用のシールが。どこか釈然としないわだかまりが胸に残ったが、まあいいかと溜飲を下げる。
そういえば古泉と朝比奈さんは二度目の対面だったな。
「朝比奈さん、覚えてるかもしれませんが、」
「古泉くん、でしたよね。こんにちは」
古泉は柔らかく微笑んでいる朝比奈さんを見て、僅かに顔をしかめた。
「社会人の朝比奈さんが、なぜここにいるんです?」
は?
朝比奈さんを見ると古泉の方を見て、固まっていた。
それはそうだが、お前だって似たようなもんだろ。
古泉は、どちらかというと、にこやかな顔をしながらいつも人を拒絶する勢いで当たり障りない相関を作り上げていくようなイメージがあるのだが、初対面に等しい人間にここまで慇懃無礼な振る舞いをするのか?そりゃ友達なんてできねぇよ。
家に帰ったら今の態度をきっちり注意しておかなければ。保護者代行として、兄貴分として!
五ヶ月。
(朝目を覚ましたら、朝食が作られていた。早くに出て行った彼が、自分の分を作りついでに置いて行ったのだろう。悪い、勝手に作っちまったと書かれた手紙は、その素気なさが彼らしくて、彼に行ってらっしゃいと言えなかったことが少し口惜しかった。
超能力者として力が目覚めてからは家族と引き離され、毎日独りで味気無い食卓につき、閉鎖空間が頻出していたときはろくなものが食べられなくて、だから彼の作ってくれたスープは、大雑把だけれど何だか優しい味がした。
彼に一目お礼が言いたくて、大学に行った僕は忘れていた。彼の側には神や、僕と同じ目的で神と彼の動向を監視する組織がいることに。
浮足だっていた僕は馬鹿みたいだ。)
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(080913)