ずいぶんとテンポの速いドラムをバックに、土砂降りのような音の奔流が耳から脳へと流れ込んでくる。ライブなら叩きつけられる音の激しさで体が麻痺してもおかしくないほどの轟音に、俺は自然と眉をひそめて音量を下げた。
いくら音大卒という肩書きがあろうが、専攻が違えば専門外の楽器だって出てくるのは止むを得ない。大体がクラシックを主流とおいているため、こういうハードロックは論外だ。ヴァイオリンが弾けてもギターは弾けず、六弦と四弦の違いをフィーリングでなく具体的にもいえない俺に、目の前のバカはよりにもよってアドバイスを求めてきてくださりやがったのだ。
バラードを中心に歌っていた古泉だったが、今回は新しい方面に食指を動かしてみようという大変チャレンジャーな事務所の事情により、ジャンル違いの曲を新曲として今度のCDにリリースするのだそうだ。いくら何でも俺に音源の担当は無理だと扇風機よりも懸命に首を振り続けた結果、ならばと譲歩されたのが新曲について評価を下すことだったのである。俺に負い目がないのにその交渉は理不尽かつ横暴とも言えるが、古泉のしつこさが犯罪を犯すストーカー(ストーカーも立派な犯罪だけれどもっ!)と紙一重なことを知っているのは俺と長門(歌という一部分のみにおいてはハルヒも知っているかもしれん)だけだ。つまり俺は古泉に根負けしたのだが、わざわざ傷を悪化させるようなマゾッ気は俺にないので敢えて公言すまい。
なんと言うか、コラムニストを食い扶持に定めておいて非常に情けない限りだが、俺は古泉の曲を聞いても何も言葉が思いつかなかった。感動したのではない。あまりに音の濁流がひどいので、ひっかかっていた点を上手くまとめようとしても次の音に押し流されていくようで、あまりに情報量が多く、処理しきれずにフリーズしたパソコンのように俺は反応できなかった。
とりあえず素人目の俺でもわかることは、


「お前、この手の曲はむいてないなー」
「ですよね」


古泉は笑いながら肩を落とすという、器用な真似をしつつ、ダンボールを畳んだ。
結局、俺が家を引き払って代わりに古泉が住むという話は、俺の家が防音設備じゃなかったり機材を入れる部屋がなかったり音源を担うことになってしまった俺も色々と不都合だという諸々の理由が明るみになったおかげでご破算になり、何故か互いの家を行き来するという微妙な折衷案でむりやり事なきを得ている。現在の古泉は荷物をまとめるだけに終わった徒労を片付けている最中だった。
古泉が撒き散らした問題は何ひとつとして氷解せずに山積しているのだが、長門が無言を徹しているなどまずなく、何らかの対策を講じてくれていることだろう。考えてみれば長門が俺の家に不備があるのに気づかないはずがない。もしかして長門は全てわかっていた上で古泉と俺のパイプを確立させたかったのではと思ったのだが、我ながら薄ら寒い思いをしたので目を瞑ることにする。
それにしても、あれからけっこう経ったというのにまだ荷物を片付けていなかったり、そこそこでかい家を持っていながら狭い俺の家に住むことを提案したりと、こいつは服装だけでなく私生活にすら注意を払わないタイプなのだろうか。そんなことはまァいい。


「こんな無理のある歌い方なんてしたら、喉駄目にするぞ。歌手生命ぶった切られたくなきゃ、もう無茶すんなよ」
「…心配していただけるのでしょうか」
「馬鹿言え。今やお前は俺の本業を差し置いて収入口ナンバーワンだ。お前がクビになったら俺が路頭に迷うと思え」
「ははは。それで、他は?」
「時々不協和音が混じるのはわざとか?」
「さあ…曲の方は今回長門さんが依頼して一任という形なので…僕としては歌詞のイメージと合っていたので口を挟みませんでした」
「歌詞のイメージ、ね…」


机に置かれた紙面をつまみ、しげしげと見つめる。読めば読むほど寒気のする、狂乱の恋を穿った譚歌だ。確かに濁々と流れて頭を埋め尽くすあの音はイメージとしては適しているかもしれないが、俺はどうにも好きになれない。いつも穏やかで暖かい詩を作っている古泉ではないような倒錯した内容に、俺は、顔をしかめる。


「どうしてこんなお前らしくない激しい曲調を選んだ」
「らしくないですか?今回出された事務所の要望に限りなく沿えたと思うのですが…僕はけっこう気に入ってますよ」
「ああそうか、事務所か…」


紙とMDのイヤホンを置いて、高い天井を見る。
古泉の声質は俺からしても良いものだと思う。だが、深みのある古泉のそれはスラーやタイなど声を伸ばしてこそ、緩やかな曲調こそ似合っていると考えていた。テンポの速い曲はそれだけでほとんど余韻を残さない。だから古泉も無理をしたのだろうと推測するのだが。


「いっそ英語で歌えよ」
「僕、英語の発音はあまり良くなくて…」


ダンボールから手を放し、古泉は差し向かう形でソファに身を沈める。何か言いたげにこちらを盗み見ては控えめに自分の足元へ目線を落とす繰り返しを何度かして、古泉は困ったように笑った。
嫌な予感がするが、それ以上に気色悪い。


「…何か言いたげだな」
「ええ、まァ。この曲でPV…プロモーションビデオを製作するらしいのですが、少々問題が」
「普通に歌っちゃいけないのか?」
「演出で必要な人材が」
「嫌だぞ」


古泉は泣きそうな顔をした。…何だか前にもあったような光景だな。


「これ以上注目を集められるなんて死んでもごめんだ!」
「お願いです!後生ですから!」
「その科白は一体何度目だ!あ!?ただでさえこっちに来るときとか神経使ってんだぞ!」
「だから、その必要を和らげるためです!PVの話題性が高まれば少なくともあなたの家周辺で騒ぐ輩も減るでしょう!」
「それはPVに出る人間と俺が同一人物でないことが前提だろ!同一だと知られたら俺はもう普通に生活できん!」
「聞かれたら僕が証言します!出演した人と音源担当者は別人だと!」
「馬鹿正直にそう答えたらもうそれは同一人物ですって認めてるようなもんだ!」
「口を滑らせるつもりはありません!」
「信じられるか、この前科一犯め!」


隣にあったクッションを投げつける。古泉に当たったそれは跳ねてMDと紙を散らかして、俺の視界から消えた。
プロモーションビデオに出演する人間は、度を越えたファンからの刺激を受けないよう、子供か特徴的でない外見で選ばれるか、日本人の目からは見分けがつかない外国人であるのが大抵の場合だ。残念ながら俺はその条件に当てはまってしまうが、朝比奈さんにはもう既に古泉の音源を担当しているとバレてしまっているし、第二第三の朝比奈さんが出ないとも限らない。俺は冒険家じゃない。そんなリスクを進んで受けたくない。
以上のことを懇々と説くと、古泉は目に見えて落ち込んでしまった。しかし俺の安全を優先してくれたのだろう、明らかに気落ちした声で 「わかりました」 と古泉が言ったとき、勝ったねと笑ったのは秘密だ。


「他に友人がいないものですからあなたに頼んでみましたが…甘えすぎですね。すみません」
「長門じゃいけないのか?」
「確かに彼女なら過剰なファンレターにも対応できるでしょうが、マネージャーと知られると別のバッシングも受けそうで…」
「例えば?」
「節操なし、とか。そういうのに過敏なんですよ」


まあ、聞いてて良い気分はしないな。というより、是非ともその過敏さを俺にも適用して欲しいものである。


「抱きしめて歌うという演出なので子供でも可能か訊いてみます」
「俺を抱いて歌うつもりだったのかよ気持ち悪い」
「あなたが了承してくだされば、の話でした」


断ってよかった俺(しかし、何だか面白くない気がするのは何でだろう)。















後日、俺も製作に携わったため、発売されたCDが届けられた。
プロモーションビデオには、ビスクドールのように小奇麗な日本人でない女の子を後ろから抱きしめ、古泉が歌う様があった。小さな子供を抱いて切なげにせわしく歌うその様子は詩の通り確かに倒錯的で、あまり好きではないその歌をああなるほどと溜飲の下がる思いで聴いた。相手が男でも破綻していたが、こっちの絵面の方がより錯綜した歌を助長させる。
煩わしいだけだった音の濁流と中途半端に曲に合う映像に、俺ははっきりしない気分のまま心穏やかに目を閉じた。
どんな歌であれ、俺は古泉の声だけは好きなんでな。















ラヴコール/ラヴソング
(あいしていますあいしていますあいしています)
(どうかきづいて、)





(080516)