なんでだ。
なんでだなんでだなんでだ!


「僕は正直あなたのことなんてこれっぽっちも好いていません」


そりゃ良かった。男から行き過ぎた好意を賜るなんざぞっとしねぇぜ。だがな、比べるものを提示もしないでこれっぽっちなんて表現は些か的を外しているような気もしなくもないんだ。まあ俺が文系でお前が理系だという微細な問題(または差異?)に過ぎないのだけれど。


「涼宮ハルヒの鍵であるところのあなたがとても憎い。そもそも、こんな力を無自覚とはいえ、くだらない理由で僕に与えた彼女も疎ましい」


そうかい。
親切心に忠告しといてやるがそれを機関とやらの上役には言うなよ。お前の話を聞く限り、ハルヒを神に仕立て上げて組織まで作っちまうくらい見境ないからな。心配?自惚れんな。


「人の陰口は、言うのも聞くのも気分が悪いもんなんだがな、ハルヒを好きになれないのは、薄っぺらながらもお前の事情を知ってる俺にも侭わかるさ。しかし俺を憎いってのはなんだ?お門違いなんじゃないのか?」
「いいえ、あなたは涼宮さんのフラストレーションの筆頭だ。あなたの一言が彼女は傷付け、そして閉鎖空間を発生させる要因なんです」
「あ、そ。興味もないな、そんな話」
「だから僕はあなたに話しました。周囲の感情を知ったところで内面は揺るがない強いあなただからこそ」
「…」


買い被り、という言葉を知っているだろうか。生憎俺はそんな多くの人間が理想とする高みにいる人間ではない。やる気もそこそこ、明確な夢も何もない、ただの学生だ。


「買い被りだ古泉。他人の感情が自分の力でどうにかできるもんじゃないことは、お前が身を以って知ってるはずだろ?そんなの誰だって知ってる」


周りの人間が自分に某かの好意を持っているぬるま湯の関係の居心地の良さは俺も知っている。だけれど、人一人の行動に限度があるのを熟知している現在、いくら古泉の大仰な雄弁があったとしても、自分がそのような高尚な人間には到底思えない。つまるところ、俺はぬるま湯の関係とやらをそれほどに欲していないのだ。面倒なんだ。そんな関係を築くことすら。なあ古泉、お前も機関も同じだよ。自分でない誰かを雲の上の人間にして、それで一体どうなるってんだ。俺はただのありきたりな怠慢好きの学生だぞ。俺に何の価値を見つけたんだ?


「お願いです。今から言うことは、これだけは、信じて欲しい。他でもないあなたに」


ぞぞ、と背中を寒気が走る。今直ぐにでもこんな馬鹿、殴って殴っていっそその秀麗な顔の原形も見られないくらい殴って、ついでに記憶が飛べば御の字なくらい、椅子の背で頭を叩けたら良いのに。こいつが、うんざりするくらい、お願いしますを繰り返したりしなければ。


「お願いです、」


なあ古泉。何でお前こんなに一生懸命なんだ。俺に弁解したって仕方ないだろう。何でお前こんなに怯えてるんだ。俺がなんか悪いことしたみたいじゃないかこの絵面。
嫌なら振り払えば良い。簡単だろうが俺!



























何かがおかしかった。月並みに言う、言葉にできない何かだ。
恥ずかしながら世辞を言う機会など、生まれて彼是幾年で全くなかった俺は、あまり自由にできる言葉を持ち合わせていなかったのだ。必要とすら思ってもいなかった。なので今非常に窮している。


「ちょっとキョン、アンタ古泉君に何かやったの?」
「何かとは何だ。明確に言え」
「わからないから聞いてんのよ!」


ハルヒがヒステリック気味に叫んだ。相変わらずの癇癪を撒き散らしているようだが、謂われのない誹謗を受けるのは、こちらとしても望むところではない。しかも今は朝の僅かな時間を勉学に費やす最も無駄な時間だ。授業の寸前まで勉強をするなど気が狂ってしまう。というわけで俺は寝る。放せ。


「古泉がなんだ。気になるなら放課後本人に直接聞けよ」
「聞けるならとっくに聞いてるわよ!本人がいなきゃ聞き様もないじゃない!」
「だからって何で俺に聞く」
「だって、何だかんだ言ってもアンタたち仲良いじゃない。団長としても団員間の仲が良いのは鼻が高いわ!」


力説息巻くハルヒに背を向け、机に突っ伏す。
なんだって論点のずれ始めたハルヒの力説を親身になって聞いてやらねばならないのだ。古泉と俺にはただ単にハルヒの能力という共通項目があり、また、それが周り(と言っても古泉の身分はハルヒ以外の団員全てに知られているので、あまり意味がない)に言えないような、ともすれば夢見が過ぎると言われ兼ねないことなので、沈黙を選んだ共犯めいた不思議な連帯感があるだけである。それ以下もそれ以上も俺は望んでいないし、古泉の奴も機関の任が滞りなく進めば良いのだろう。でなくても俺に何らかの害がなければ良い。俺は自分に正直な人間でいたい。


「ちょっとキョン、聞いてるの!」
「が!」


きゅう、と首が絞まる。シャツを掴むな!危うく昇天するところだったろうが!


「何しやがる!」
「質問に答えなさいよ!古泉君、何かあったの?」
「知らん!あいつが一体なんなんだ!」


ハルヒの目が一瞬丸くなり、微かに萎んだ。


「本当に知らないの…?」
「知らん。というか最後に古泉に会ったのは金曜だ。そして今日は火曜。土曜の集まりに来なかったのは意外だがな、あいつだって人間なんだ。学校休むこともあるだろ?」


イエスマン古泉が例え微々たるものだとしてもハルヒの機嫌を損ねるような愚行をするとは考え難い。ならば閉鎖空間での戦闘で負傷したか、やむをえない事態になったに違いない。
ハルヒは不満そうだったが、気乗りしない小さな声でうんと呟いた。


「で、古泉が何だって?」
「古泉君、昨日今日と無断欠席してるらしいの。連絡しても出ないって」


いくら成績優秀でもそりゃ不味いんじゃないか。というか、機関とやらは、森さんは、そこらへんのフォローはしてくれないのか。
予鈴がなった。慰め程度でなけなしである授業の用意をしなければ。



























「ねぇ、わかってますか?」


んなの知るか。
狭い、狭い私室だった。腰の低い卓とシングルベッドの間隙に体を割り込ませるようにして、俺は仰向けに寝ている。俺のちょうど臍の辺りで奴が馬乗りになっていた。
やめろ。やめろよ。なんなんだよ。俺が何したっていうんだ。
不覚にも、俺はつい泣きそうになった。けれど飽くまで盛り上がったのは気分だけで、上手く心と連結していない体の方は、からからと渇きっぱなしだった。目の奥の神経が引っ張られるように張りつめていて、痛いというより痛痒い。
奴は薄暗い部屋で爛々と目だけ輝かせ、とても獣染みていた。気味が悪くなるくらい静かだが、本当に獣だったら、生臭い、荒い息が食い縛った歯から漏れ聞えていたかもしれない。
、と唐突に考えて俺はまた泣きそうに気分が盛り上がった。食物連鎖のヒエラルキーから脳味噌の発達のみで抜け出た人間は、抗い呆気なくも滅んでいく運命にも関わらず、結局のところどうしようもなく例外もなくケダモノなのだと思い知らされた。
放せケダモノ。


「あなたはわかってない。あなたが世界にとってどんなに価値があるか、わかってない」
「…」
「わかってますか?涼宮さんの欲求不満により発生した閉鎖空間の中で神人に蹂躙されている街は、僕たちが防ぎきれなかったときに実現する世界の成れの果てなんです」


退け、重いんだよ。


「涼宮さんの不満の大半は、目下あなたに起因している」


だから何だ。


「崩壊を決行するのが涼宮さんなのは変わりません。けれど、世界を壊す実権を握ってるのはあなただ」


証言台に立たされるまでもなく死刑宣告をされたような気になった。ちょっと待て。俺に発言権はないのか。
古泉の指が俺の首筋を何度も行き交う。特に頸動脈を重点的に。俺はため息を吐いた。


「それが言いたかったが故の行動なのか?ハルヒの命令とは言え見舞いにきた俺への仕打がこれなのか?優しさの押し売りをするつもりはないけどな、他人を引き倒して馬乗りになって、首を掴むお前がよくわからん。そこは人間の急所だぞ?」


お前はそんなに俺を殺したいのか。


「殺したいです。あなたを殺したい」
「今なら心置き無くやれるじゃねぇか」


皮肉げに笑ってやると、古泉はくしゃりと顔を歪めた。


「あなたを殺したら、神の怒りを買います」
「相変わらずハルヒに頭が上がらねぇみたいだな」


古泉は苦笑いを溢すが、手は首から外されていない。少し力を入れればたちどころに俺の首はへし折れるだろう。
なあ古泉よ、俺は俺を殺してそれからのお前が(お前を取り巻く環境が、)変わるとは思えないんだ。自転する地球が逆回転になるわけでもないし、太陽が消失するわけでもないし、全世界の治安が最悪に落ち込んだりするわけでもないし、俺がいなくなってもSOS団は存続すると思うんだよ。


「本当に、あなたはわからずやだ」


俺が「顔が近い」と注意を喚起する間もなく、泣きそうな顔をして、古泉は俺に接吻た。泣きてぇのはこっちだ、ばか。



























周囲は、ハルヒに選ばれただのハルヒの鍵だの好き勝手に言っているが、正直なところ俺にとってそんな言葉はちっとも有難いなんて思える代物ではなかった。情報なんたらヒューマノイドインターフェースである長門や数年(若しくは数十年?)先からやってきた可憐な朝比奈さんや、世界全土広しと言えどもその数は十人という貴重な超能力を持つ人間を末端としてこきおろす機関から急遽転校を命じられた古泉に、何やら同情を禁じ得ない。ご足労様、生憎ハルヒはともかく俺は何の力も持たない凡人だよ。こんな俺にも情報処理を要するなんて大変だ。何せ凡百は古泉とその背景にある機関のお墨付きである。
あーあ、どこで狂っちゃったかね、俺の輝かしき普遍な人生は。


「その本、そんなに面白いか?長門」


微かに、本当に微かに長門の頭が揺れた。一応首肯、となるのだろう。横文字が並んでいる本の題名を読めば『sleeping beauty』あの憎き記憶の引金である原文だった。そういえば朝比奈さん(大)にも白雪姫と暗喩された。もう少し具体的に示唆してくれても、いや、示唆してくれたところで俺は実行できただろうか?全くもって忌々しい。


「後悔してますか?」


してるよ。物凄くな。
ニヤケスマイル常時装備のイエスマン古泉は俺の隣で並んで歩いていた。目の前は言わずもがな女性陣が些か早歩きで進んでいる。長門はどこに目をつけているのか、ハードカバーの本を読んだまま、澱みなく歩いている。おい危ないぞ。


「お前は、ハルヒがお前に惚れた方が好都合だと、思うのか」
「まあ、観察したり御し易いと画策しないではありませんでしたよ」
「それは、機関の話だろう。そこにお前の一個人的なものはないのか」


古泉はただ笑う。俺は突如こいつに情けなさを感じてため息を吐いた。如才なさげに微笑んでいる奴の、核は一体どこにあるのか。


「元よりそんなものはありませんよ。僕は機関に救われた分、服従を求められていますから」


何とも悲しい話だな。


「少なくとも僕は今の現状がとても楽しく感じられますよ。学友というものは良いですね」
「その達観した物言いと男にとって嫌味としか思えん顔がなければもっと友達が増えるかもな」
「そういうわけにはいきません。彼女が求めているのは飽くまでミステリアスな転校生です」


そこにお前の一個人的なものはないのか、と問いそうになって、また同じ質問を繰り返していることに気付いた俺は口を噤んだ。


「良いんですよ、僕は今のままで充分満足しています。当たり障りない学校生活を送り、放課後はあなたとボードゲームに勤んだり、時々涼宮さんの突飛な思い付きに頷き、土曜にみなさんとまた集まって、」


それで。
その先の言葉にならないそれをどうにか口に出そうとして苦悶した末の結果なのか、求めるように掠めた指先に目眩。お前のチョイスは最悪だ、古泉。
とりあえず、まだ当たっている爪先を振り払うかどうか、思案している内に坂が終わりを告げた。




ふれたつまさきはどうしようもなくをはらんでいた