死が存外近しいところにあると識れ。




泣いた博愛主義者




さてさて、恒例の俺の圧倒的勝利を飾るボードゲームを間に挟み、いつも通り古泉が胡散臭い笑みで先攻後攻どちらにしますかと決定権を俺に委ね、いざ輝かしくも何ともない(何故なら古泉はこちらがいっそ涙ぐましくなるほどこの手のゲームに弱い)連勝にカウントされるであろうゲームを始めるかに思えたが。何故こんなことになっているのだろうか。


「…手を放せ古泉。今なら友人同士のスキンシップが行き過ぎただけだと思って忘れてやる」
「そのお気遣いは無用です。忘れて頂く必要もありません」
「ほう。なら、何を以ってしてこの暴挙に及んだか、是非聞かせてもらおうか」


口調こそ馬鹿丁寧だが、半笑いを浮かべる古泉の目は高圧的で冷たく、柔和な笑顔を張り付けている平素からは考えられないほどの威圧感を滲ませている。
俺は今現在に至るまで、そして現在進行形で古泉に胸倉を掴まれて本棚に押しつけられている。しかし、こういう暴利は飽くまで無人を見計らってやるもんじゃないのか?いくらハルヒが朝比奈さんを引っ張り回して不在とはいえ、まだ部室には置物の如く微動だにせず本を読み漁っている長門がいるんだぞ(長門は一度こちらへ視線をやった後、古泉が俺に危害を加えないと判断したのか、我関せず好きにやってくれといった感じで再びハードカバーの読破に没頭しているが)。そろそろ掴まれた場所から圧迫感が広がって胸がつかえるような思いなんだが、静かにキレてるこいつに苦情を言ったところで到底聞き入れやしないだろうなあ。


「やれやれ、一体何が不満なんだ」
「不満?不満だらけですよ」
「そうかい。じゃあ順当通りならお前の不満は俺に起因しているんだな?」
「そこまで理解できて、何故あなたは僕たちの意を汲んで下さらないのでしょうね。僕を手玉に取り、そんなに面白いですか?」


なるほど。どうやら古泉は大人しく機関の隗櫑に納まらない俺がいたく不服らしい。しかし、人権という言葉を考慮するのなら、それを強要することこそ非人道的だ。もっとも、否応なしにハルヒの影響に揺さぶられ続ける機関が良心的な非営利団体ならばともかく、急進派やら何やらと派閥の摩擦が多くあるらしい、とても現実味溢れる愉快な超能力者の集団なら、鬱憤が溜るのも頷ける。俺を吊るしあげる理由には、一片たりとて届かないけれど。


「だから何だよ。こちとら今まで自分の意思と選択が自由だったんだ。それをいきなり出てきてハルヒの玩具になれだぁ?ふざけんな」


言ってしまってから、古泉の顔からみるみる内に表情が抜けるのを見て、ひどく後悔した。
こいつはハルヒから超能力とは名ばかりの、神人を消す力を授かって以来、自由なんてあってなきに等しかったはずだ。それ以前のこいつは知らないが、倫理観を形成するに最も必要な時季に、機関の人間として上から押さえ付けるように再三言い含められていたやもしれんのだ。


「…、涼宮さんが、あなたを選んだ理由が心底理解できません」
「奇遇だな。俺もあいつの考えることが逐一理解できん」
「彼女を愚弄しないで下さい」


じゃあどうすればいいんだよ。
などとうっかり口に出してしまったが最後、古泉はきっと我が意を得たりと言わんばかりに機関からの要請をまくしたてるに違いない。
なあ古泉。疲れているのも、それでもハルヒを憎めずにいるのも、ハルヒの意志に沿わず機関を蔑ろにする俺に苛立つのも、全部古泉一樹だろう。ひょっとしたら古泉一樹なんて名前すらお前の本名じゃないかもしれないが、少なくとも今俺の胸倉を掴みかかっているのは、お前だろう。俺は顔も知らない機関のお偉方なんかじゃなく、目の前で怏々としているお前の頼み事にこそ耳を貸してやりたいのに、相変わらずお前は俺を毛嫌しているし、あーくそ、なんか面倒になってきた。


「いい加減にしろよ」


古泉は俺が胸倉を掴まれることに怒っていると勘違いしたのか、少し腕を緩めた。8センチ差が忌々しいが、今は踵が浮いた辛い状態が改善されたことに安堵するべきだろう。


「お前ら、いつかハルヒの力がなくなることを前提に、その日が早く来るよう努めてるんだろ。その日が来たら、遅かれ早かれ機関は自然消滅だろう?」
「……そのような方針を一応とっているみたいですね」
「なら、当のお前が機関に依存してどうするんだ。いつか空っぽの自分を嘆くことになるぞ」


機関がどれほどご大層な権力を持っているかなど、俺の関与するところではないが、いつまでもそこにあぐらをかいて良い道理はない。機関がなくなって、後ろ立てを失って、それでもお前は補助器具に頼って立っていた赤ん坊がいきなり立つことができると思ったのか。
俺は古泉の胸倉を掴み返す。今まで反応らしい反応をかえさなかった俺に、古泉は驚いたように目を薄く開いた。


「甘えるな」


例え神の力をなくしても、ハルヒはハルヒで周りの迷惑を顧みることなく少しでも自分の日常を楽しみのあるものにしようと奮闘するだろうさ。だからお前は、意見を述べるときに、「機関としては」「僕個人としては」なんて回りくどい前置きがいらなくなるくらいには他人との距離を詰めたっていいじゃないか。
俺の言葉に含有される深意を汲み取られたかは、古泉の「こいつ何わけわかんねぇこと言ってんだ」という顔から見て絶望的だった。




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そんなの、遠い過去でもちゃんと存在していた、普通しか知らないお前がかわいそうだ。




(080201)