死にたがり病発令!総員は可及的速やかに待避されたし!




若し若し注意報




焼夷弾が彼の口から落とされて逸数ヵ月、長門さんより連絡を受けて僕は奔走していた。彼の行きそうな場所を僕の知っている限りの範囲ぎりぎりで手当たり次第、虱潰しに探す。といっても僕が知っている彼は飽くまで上っ面を薄く舐めたような書類を通したものと、ほんの少しの間有した共通の秘密だけだ(しかも後者は僕と彼だけのものでない)。僕は僕自身で体験した彼という存在の少なさに愕然とする。


『あーあ、最近ホントつまんねぇな』


誰でも一度は口にしたであろうこのありきたりな言葉を、涼宮ハルヒに巻き込まれた形で非日常的な出来事に次々と出くわすようになった今の段階で、本当につまらなさそうに彼は言ったのだ。これが一体どれほど衝撃的なことか、彼の懐の広さと許容範囲を知る者にしてみれば侭ある光景であっただろう。しかし彼女、涼宮ハルヒと関係し、彼女の持つ神がかり的な能力やそれを取り巻く人物のカテゴリを知った上で、彼はその言葉を言って退けたのである。あまりのショックに朝比奈さんがお盆ごと湯呑を落としたほどだ。


『つ、つ、つまらない、ですかァ?』


彼女にとって、涼宮さんの持ち前の積極性(またの名を強引さと言う)に付き合わされて入ったこの同好会のような場所で、日がな倒錯的な衣装を強要させられている時点でかなり穏やかではないはずだ。彼もそれを知ってか、朝比奈さんの思うような意味ではないですよと笑って応えた。
(けれど僕は知っている。彼の目に浮かんだ澱んだ色は、過去に僕が味わったことのある虚無感を湛えている。)
涼宮さんがいなくて良かった。彼女が彼の言葉を聞いたなら、間違いなく春先の二の舞いを踏んだだろうから。
その日の帰り道、僕は彼に探りを入れてみた。


『もうすぐ連休ですね。あなたは涼宮さんから召集がかからなかった場合、やはりご家族の皆さんと過ごすのですか?』


彼は呆れたようにため息を吐いて笑った。その仕草に僕の胸は鈍い音を立てる。彼の笑顔があまりに疲れているように見えたからである。


『あまり意味のない問答をしてくれるな古泉よ。ハルヒに限って、個人で連休を満喫するようなことにはならないだろう。やれやれ、たまには家で良い兄でもしてやろうとか、最近じゃ簡単に考えられないな』


彼は僕と同じだった。彼自身が平凡のままでも、否応無しに非凡へ成り変わってしまった環境を抱えた彼は今や平凡とは言い難い。それでも彼が一片たりとて彼女を恨んでいないことに、じわりと、過去へ置いてきたはずの恐怖が迫り上がった。何も知らない彼。何も知らなかった僕。明らかに彼の方が不遇であるのに、彼はそれすら飲み込んで、こう言うのだ。つまらない、と。


(こうもつまらないとな、古泉。俺はハルヒの力が本物かどうか疑っちまう。春に朝倉に襲われたり、世界が一時壊れかけたという得難い経験をしても、だ。一番影響を受けてるお前に言うのも何だけど)


僕の耳には、彼の言葉がこんな翻訳を伴って飛込んでくる。彼の感覚は疾うに麻痺してしまったのだ。(そして僕も。)
長門さんから電話をもらったのは、その日の内だ。彼は高架下へ飛び降りたそうだ。機関直下の病院に搬送された彼のあまりの愚行に僕は喚き立った。


『あなた一人の体じゃないんだ、どうか無茶をなさらないで下さい!』


長門さんの補助の甲斐もあってそれなりに無傷だった彼は、歪に曲がりくねった笑みでお前に言われたくないなと言った(『傷だらけのお前や、未来からの理不尽な命令に奔走している朝比奈さんや、こうして何も言わずに俺の手当てに徹している長門を黙って見ているしかない不甲斐ない俺の気持ちがわかったか!』 僕は謝りながら少しだけ泣いた)。
森さんはちょっとの小言とは思えない叱責で監督不行き届きの僕をなじった後、彼から目を放さないよう厳かに告げた。僕は涼宮さんと彼の関係を促進ないし調整する潤滑油ではないのですか。僕一人じゃ彼の身に余ります。溢れ出た不服は無理矢理飲み込んで、僕は完治したという彼の見舞いに訪れた。(朝方五時。彼が飛び降りたのは日が変わる少し前。長門さんはもういなかった。彼女は凄い)
彼は水を得た魚のように我の意を得たりと笑って僕に擦り傷ひとつない腕を振ってみせた。それから偶発する彼にとって下らない自殺ごっこは未だに続いていたりする。


「…探しました」
「そうか」


彼は町の外れにある小さな公園にいた。今回は学校をサボって、かなり大々的なストライキだった。いきなり半日以上失踪した彼に、涼宮さんは今も不安がっている。そんな彼女にどうせ彼は不思議の匂いがしたんだと言って誤魔化すのだ。彼女は安心したいがために些か無理のあるその言い訳を信じる。なんて滑稽な。
夕暮れで遊具も影も赤く染まる。彼の座っているブランコは、鎖すら真っ赤だった。断続した蛍光灯の擦れる音がする時間帯である。子供はいなかった。遠くで烏が鳴いている。


「今日はどんな死に方を試そうとしたんです?」
「何も。ただ、歩き回って疲れたからここにきた。思い入れとか、そんなのはないがな」


公園の匂いがしたから、と彼は言う。それがどんな匂いか僕如きには図り知れない。情緒不安定な彼は、日頃より増してとかく抽象的な物言いをする。


「もう止めにしませんか」
「何を」
「無意味な逃走劇をですよ」
「これは無意味か」
「意味がありますか?」
「…ない」


ないが、と彼は言い澱む。僕も彼も矛盾に気付いている。
逃走劇と銘打っている以上、観客も役者もそこにいるのだ。


「帰りましょう」


みな待っている。
彼は鼻をすすった後二つ返事に頷いて、僕にお構い無しで駅の方へ歩を進めた。
その背中を見て、僕はまだ彼は独りなのだと知る。




**


ただ彼は、仲間外れが落ち着かないだけ。




(071230)