哀川…潤さんが言っていた。僕は人を落ち着かせない性質だと。僕に関わった人は例外なく狂うのだそうだ。方向性を持って初めて僕は凶器になる。
僕は彼女の顔をぼんやり見た。
刺
殺
ベ
ク
ト
ル
哀川…潤さんが言っていた。僕に関わって狂わずに済むのは、同じ性質を持った零崎以外居ないと。同じ者同士で性質を相殺するそうだ。
ならば、これは何だろう。
「い、いぃ…」
別に僕の名前(というか綽名)を呼ばれているわけでは無い。第一、声は僕の口から出てきている。
「痛い。痛い痛い」
どうしようも無い痛みが体を苛む。
自分で指を折っちゃうことをしでかした僕が言うのもどうかと思うけど、けれど自虐行為をしたことがあるのに痛みを感じるのはおかしいと思われるのは、酷く遺憾で差別的だ。うん、痛い。
「おい、君は僕の指を反対側に折り曲げて、痛みに悶絶する僕を見て笑いたいのかい?君は今そんなに笑いに飢えてるのか?」
感慨も感情も失せた目をして零崎は僕の指一点を見ている。ただぎりぎりと指を握り(簡単な表現だが人殺しの腕力を甘く見てはいけない)血の気の失せていく指を敵意も無く殺意も無く情も無く友愛も無く他意も無く何も無く見つめていた。
「零崎」
「…………」
「零崎人識」
「…………………………」
「おーいゼロリン」
悲しい程の無反応。代わりに癌患者の進行具合と同じく順調に指は締め付けられていく。
痛い。いたく痛い。
なんちゃって。
「お前はダンマリか。ダンマリちゃんか。幾等僕が戯言遣いだからってずっと黙ってる奴と居るのは辛いんだぞ?そこんとこわかるかよ人間失格」
「うるせーよ。俺が黙ってても勝手にくっちゃべってる奴がよ、欠陥」
唐突に、本当に唐突に奴は口を開いた。あまりに唐突だったので僕はそろそろ感覚のなくなった指から意識を放して零崎を見た。零崎は不遜な顔付きで、まだ指を握っていた。
「…言葉が通じるなら聞いてくれ。指が痛いんだ凄く。だから放してくれないか、零崎」
「あーぁ、骨折一歩手前で止めてやろうと思ったのによ」
「………………」
今日のこいつはどこかおかしい。前から逸脱した殺人鬼だったけれど(そもそも殺人鬼が如何に逸脱しているのか初めに考えなきゃいけないけど)、馬鹿でチビで外見も突飛ないつものこいつはまあ、話は聞く奴だった(と思う)。
「…痛い」
「痛覚は欠陥じゃねぇか、良かったじゃねぇかよ」
今まさに使い物にならなくなりつつありますが。
聞かない。人の話を全く聞かない。
誰だこいつ。
「…赤色が言ってたんだけどよぅ」
「痛い。零崎痛い」
「それだと俺がイタイ人みたいな」
少し緩んだ奴の手から、僕は指を抜き出した。幾分か冷たくなった指は微かに緑の滲んだ灰色に変色していた。全ての血液を抜き取ったら人間は緑になるという逸話は、強ち嘘だらけというわけでは無いようだ。今度崩子ちゃんに教えてあげよう。(萌太君が嫌がりそうだ)。
「俺は狂ってるんだとよ。赤色が、お前に狂わされてるって、俺に言ったんだよ」
嗚呼僕の指があと少しで壊死しそうになったのはあの人のほんの一言がきっかけか。居ても居なくても多大な影響と被害を巻き起こす人だな。まあ、あの人は最強だからな。ヒエラルキーの頂点に立つひと。
零崎の手がまた僕の指(しかも同じ指!)に伸びたので僕は手を後ろで組んだ。漸く血液が戻り暖かくなりつつあるのに、再び骨折一歩手前まで本当にやられたら困る。姫ちゃんに笑われるし、崩子ちゃんに呆れられるし、萌太君に心配されるし、哀川さ・・・潤さんに殴られる。何やってんだと笑われてしまう。
所在をなくした零崎の手はぱたりと素直に板張りの床に落ちた。
「で?こんな暴挙に出た理由をそんなことの所為にするのか?狂ってると?君が?」
はっと僕は哀川さんの真似をしてシニカルに笑ってみた…ら、失敗してただ短い溜め息を吐くような感じになってしまった。
「否、自覚したら手を出したくなった」
零崎はきょとんとして僕を見た。そんなことで僕の指を折られて堪るか。
僕は哀川さ…潤さんの言葉を反芻した。
どこかにお前が顔を向けたら。
では僕は今どこに顔を向けているのだろうか。
「…、痛い」
零崎はまた僕の指を曲げていた。加減は無く、やはり骨折は確実な力が充分込められている。悪意は無くとも、そこはそれ、零崎一賊の本能と言うべき人殺しの才。
だけどね。
僕だって怒るよ、零崎。
『 お前を今殺すこともできるんだぜ? 』
哀川さんの声に、零崎を殴ろうとした手が、ふと速さを落とした。簡単に捕まった両の手から体温が侵食する。
「…わかったよ零崎。もう、好きにすると良い」
零崎は良しを言われた犬のように満面の笑みを浮かべた。