呆けた方が楽だよ。呆けりゃ、死ぬとか、苦しいとか、虚しいとか。全部何も感じないで大往生だもの。(金で動く奴はクズ以下だって。どういう意味だろう?)
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経験というのは、どうやらその時分に受けた衝撃が強ければ強いほど記憶に残り易いらしい。
火傷の加減が酷ければ、火を見ただけで身震いしてしまうのではないか。一度溺れてしまえば以前は泳げたものの、二度と水に浸かりたくないと思うのも道理だ。
しかし戦の場合となると話は別だ。痛みや苦しみを経験した上でしつこく剣を握りたがる無神経さは、最早卓越した精神力があってこその賜だろう。そうしてあの人は、自ら進んで最前線へと繰り出す。敬愛して止まない一人のためにと。
「なあ佐助。俺はちゃんと戦えたか?」
初陣の折、敵との距離を測り間違えて踏み込みすぎた幸村は、負傷して陣内へ運ばれてきた。初めての戦で、武士の生命を絶たれるほどの大怪我をしてしまったのではないかと青褪めた顔で駆け付けてきた佐助に、幸村はこう言った。
幸い怪我は割りかし深い刀傷の二、三で、死ぬようなことでもこの先武士として生きていけなくなるようなことでもなかったが、心配を無下に扱われた佐助は当然良い気持ちがしなかった。
「何考えてんのアンタ。もっと上手いやり方とかあったでしょ」
寧ろ初陣と冠するには余りある働き振りを讃えたかったというのに、口を開けば小言ばかりだったのは、佐助も幸村と同じく幼かったからだろう。
嗚呼、生きてて良かった。
「お館様の御為になっただろうか」
幸村ははにかむように笑った。自分の傷の具合がどれほどまでかにも頓着せずに言う幸村に、佐助は見えない平手を食らわされた気分になった。
この人は自分(猛将真田昌幸の実子)の命をまるで土端に転がる石くれだとでも思っているのだろうか!それを、命を賭して守るこちらの思いを、一体何だと思っているのだろう!
「…アンタ、もうちょっと自分にも気を遣いなよ。そんな危なっかしい戦い方なんて見てらんねぇよ」
「俺が簡単に逝くと思うてか。そんなことはない。お前達に後ろを任せるからな」
何てことはないと言う風に、にひ、と歯を剥き出して笑った幸村は、戦場だというのに、この上なく餓鬼臭かった。
忍に背中を預けてくれると言うが、実はまだ幸村は忍隊を引き継いでいない。ゆくゆくは引き継ぐことになるが、所詮金で動く忍に何故そこまで信頼を寄せるのだろう。
「そ、れは、責任重大だこと」
「臆したか」
「べっつに?」
「うむ!」
一瞬返答に困った佐助に気付きもせず、満足気に頷き、幸村は佐助の肩を叩いた。ぺちん、と肌が鳴るほど強かったが、佐助はそれで充分だった。この先いくらこの人が厭おうが、死ぬまで背中を守ろう。
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「…っあー、そんなこともあったな…」
縁側で苦笑いしながら、幸村は串団子の乗った皿に手を出した。その手の甲を佐助の手が弾く。
「もう駄目だよ」
「いたっ!口より先に手を出すとは何事だ佐助ぇ!」
「何事も何も、アンタ実力行使しないと聞かないじゃない」
「ならばわざわざ全部某に団子を出す必要はなかろう!」
昔のように佐助へ俺と言わなくなったことに一抹の寂しさを感じながら、佐助は団子を頬張った。
「いーえ?俺が頂きます」
「な、あ、あああ!」
未練がましく佐助の腹へ消えていく団子を見る幸村。しかし、それを力業で取り返そうとしないのは、飽くまで佐助を尊重したい気持ちもあるから、だと良いと、佐助は口に挟んでいた最後の串を抜き取った。
「ったく、情けない顔しくさって。必要以上の働きをしたってこれで大人しくしてるんだから、これくらい目を瞑ってよ」
「…某何か佐助の気に食わないことでもしたのか?」
「そんなの昔っからだっつうの。嗚呼、思い出したら腹立ってきた」
大体、初陣であった一連の小さな騒ぎ(佐助にしてみれば一大事だったけれど)を忘れていたこと自体が腹立たしいのだ。じろりと幸村を見遣ると、納得してないと如実に語る目とかち合った。
「なぁに、その目。旦那の癖に。旦那の癖に!」
「なっ、お前こそ昔はもっと敬意のこもった潮らしい態度をしておった癖に!いつそんな厚かましくなったのだ!」
「残念、あんな猫被りなんかずっとやるわけないでしょ」
「ね、猫被りだと!?お前某をたばかったのか!この場にて成敗してくれる!」
「幸村様」
幸村は部屋の中を見た。天井から溶け、溜った泥濘のように、ひっそり佇む男が一人。才蔵、と小さく呟く佐助の声に、幸村の喜とした大音声が重なった。
「動いたか!」
「は」
「誰か!急ぎお館様へ早馬を差し向けろ!敵兵、水面下にて動きありとな!某もすぐに向かう!」
戦装束に着替えるべく、襖を開け散らかして奥に引っ込んでしまった幸村を呆然と見送り、はたと気が付けば部屋には既に才蔵の姿すら見当たらなかった。
置いていかれた。
「ああくそっ、旦那ぁ!アンタ服どこにあんのかわかってんのかぁ!?」
答えはないものの、幸村が知っているとは思い難い。佐助はため息を吐いた。
もう、彼の頭には戦で如何に信玄の役に立てるか、相手がどれほどやり甲斐のある相手かしか見えていない。刺激が強いものほど、彼の頭は容易く占められる。だから怪我や敵の生存よりも、信玄の誉れとして与えられる拳が、幸村の五感を震撼させるのだ。
盲ているのは疾うの昔に知っている。そして繰り返される過度な刺激に、いつしか佐助自身が忘れ去られやしないかと、くだらないことを恐れている。
ならば、自分をより鮮烈に、その胸に刻み込もう。
上塗りされ続ける悪夢の中で尚、焙れたように、ただぽつねんとでも構わない、自分が彼の中で確かに存在するよう。
最上級の恣意を込め
thanx;あゝ、されば