ほんの少しの偽りと愛情をあなたに。そんな唱い文句、反吐で返してやる。
牧師が殺害された日に、愛の力で告白!なんて冒徳的な!皆製菓会社の思惑に填りすぎ。
しむ
佐助はため息を吐いた。
一律に、女子というものはお祭り騒ぎが大好きなようだ。中でもこの時季ならではの、一大イベントの話で、今日の女生徒はひそひそひそりとお互い気持ち悪いくらい顔を遇わせて囁きあっている。
そういえば今日はバレンタインでしたね。
仄かな期待を寄せる一部の男子生徒諸君の中に該当しない佐助は、頬杖をついてそわそわと落ち着きのない教室を、鬱蒼とした気分で見つめていた。
チョコレイトなんて、貰い過ぎても鼻血出すのが関の山だよ。ていうか友達同士とか、だんだんバレンタインの主旨から外れてってない?
それでも居る奴は本当に居るのだ。ロッカーを開ければ必ず一個は入っている、登校した瞬間を見計らわれて次々と渡される、そういった、鼻血で失血するほどチョコレイトに恵まれる、神から美貌という二物を贈られる、不愉快な奴が。
昼下がり。屋上で、教材のひとつも入ってない鞄を広げて、貰ったチョコレイトの総数を競う馬鹿共を眺め、佐助は呆れながらフェンスにもたれかかり、カフェオレをすすった。
「勘定すると、元親よりも俺の方が多いな」
「馬鹿言うな。お前クラスの奴からおふざけで貰った奴も勘定に入れてるだろ」
「Ha!負け惜しみか?見苦しいぜ?」
チョコレイトの数如きで争うお前らの方が、よっぽどか見苦しいわ。
佐助は紙パックの中に空気を入れて音を鳴らした。
かくいう佐助も、貰ったことは貰った。「はい猿飛君」と渡されたチョコレイトのラッピングが、傍にいた伊達に遣られたものと大分違ったのは、彼女の中でのランク付けの象徴なのだろう。嗚呼、女子って残酷。女子のヒエラルキーの頂点なんぞには興味もないけれど、隣で勝ち誇ったような伊達の顔には、とにかく腹が立った。
長曾我部がつまらなさそうにしている佐助に言った。
「佐助は鞄持参じゃねぇのな」
「俺別に学校じゃなくても当てがあるもん」
「へぇー、どんな?」
「でっかいシフォンショコラ」
「どうせ誇張だろ」
伊達は気に食わなさそうな顔をした。これが現実だと知ったら、伊達はどんな顔をするのだろう。想像してみて、少し笑えた。それが更に気に入らなかったのか、伊達の眉間の皺が濃くなる。
「そういや幸村は?」
「さあね。多分今日は来られないと思うよ」
「なんで?」
「バレンタインだから」
伊達が笑った。
「まさか女子に囲まれてchocolateに埋もれてんじゃねぇだろうな」
「んー、どうだろう」
「寧ろチョコ欲しさにあちこち奔走してるんじゃねぇ?」
自分だけが知っていれば良い。佐助は思った。そして、幸村の好意は佐助にだけ向けられていれば良い。そうはいかないことくらい、佐助は諦めているが、ちょっとした子供まがいの独占欲が芽を出す。
「じゃあ幸村にこのチョコ分けてやるか?」
義理もあるのだろうが、本命も入っているのであろう、それを無下にできるのは神から二物を与えられた者の傲りだ。佐助はそう理解している。
二物組は鞄のファスナーが閉まり切らないほど入ったチョコレイトを持ち、屋上を後にした。
今日の幸村はそう簡単には見付かりやしないだろう。いや、逆を言えばかなり見つけ易いのだが、幸村を中央に据えられたそれに、伊達や長曾我部は目を向けることはないのであろう。日頃の彼とあまりに逸脱したその風景を、二人は恐らく知らない。
佐助がそれを知ったのは、少し昔のことである。
小学校の時分、昇降口で幸村を待っていた佐助は、その光景に口を開きっぱなしにしていた。そのときの間抜けた顔を幸村に笑われた羞恥を、今も忘れられない。
「さぁてと。じゃあ、馬鹿二人組の間抜けた顔を、拝みに行くとしますか」
自分と同じ目に遭えば良い。
意地悪を考え、佐助は空になった紙パックを空中に放った。紙パックは軽々しくフェンスを越え、階下の植え込み、或いは茂みの中に紛れて見えなくなった。どうせ配分された掃除当番が片すだろうと無責任なことを思い、佐助は腰を上げた。フェンスが軋んだ。
「…It’s vision…?」
呆然とする伊達と放心する長曾我部の後ろ姿を見つけて、佐助は更に向こうの叙景に目を向けた。
予想通りの光景。幸村は違反の赤色の(彼によく似合う)パーカーの、ポケットでは飽き足らず、フードにまで戦利品を収納し、両手で一山のチョコレイトを抱えていた。見た目からして、長曾我部や伊達の競っていた数を悠に凌駕している。
「幸ちゃんこれあげる」
「こんなに!かたじけない!」
「あたしも」
そして、まだ増える一方のようだ。
佐助はポケットから折り畳んだ大きめの袋を取り出した。棒立ちになった二人を押し退け、幸村に袋を広げてやる。
「見ろ佐助、今年も皆チョコレイトをいっぱいくれた」
「はいはい、アンタが年上に凄く好かれ易いことは餓鬼のときから知ってるから」
「見てろ。去年よりももっと大きいシフォンショコラ、作ってやる」
嗚呼残酷なのは女子だけではなかった。少なからずひとつは本命が含まれているはずのチョコレイトで、幸村は佐助にくれるシフォンショコラを作るのだ。
「あ、元親殿、政宗殿」
「…」
「前の佐助みたいな抜けた顔になっておられまするぞ!」
「…ぶはっ」
佐助は小さく笑った。
相変わらず唖然とした顔で、チョコレイトではち切れそうな鞄を持って、神から二物を貰った二人は幸村の手にある袋に納まっているチョコレイトの山を見ている。
ざまあみろ。
天の神からの二物に、凡庸は勝てるのだ。
「旦那の甘味好きを侮っちゃ、いけないよ。この人、料理は壊滅的だけど、その分お菓子はプロ並だから」
「料理の話など関係ないではないか!」
幸村の作ったシフォンショコラを、分けてやっても良いと思った。それくらい、二人の顔は間抜けな顔だった。過去の自分を越える、間抜けな顔だった。
寛大な今日は、聖なるバレンタインデイである。