惜しめ全力で。




たんか




暑い。この上なく暑い。
地球の表面が蒸発しているのではないかと粉うほどの足元から昇る熱気にあてられる。蝉は少ない生命を謳歌し、木々は影を作れども冷やしはしない。限界を疾うに越え、ただ鬱陶しいだけの暑さに倒れてしまいそうだ。
外出なぞするんじゃなかった。涼を求めて冷房の効いたどこかに逃げようと家を出たのが間違いだった。どうせ逃げ場がないのなら余分な体力を使わずに家で苦しんでいれば良かったのだ。そうしたら、少なくとも路上で倒れそうになるまで意識が朦朧とするようなことはなかったのに。
真田はため息を吐いた。それさえ暑い。いっそ倒れてみようか。親切な誰かが介抱してくれるかもしれない。しかしそれでは後見人に申し訳が立たない。呆れられたら立ち直れない。
お館様、この幸村、何としてでも息災で帰宅してみせますぞ。
顔を上げた瞬間、鰻登りだったやる気が一気にその勢いをなくした。


「あれー?アンタ」
「慶次殿…」


苦手とする学友が目の前のコンビニから出てきた。真田は自然、顔をしかめる。
人柄は悪くはない。寧ろ良い方だ。しかし惜しむらくは、その欠点。恋をすることが人生の醍醐味だとでも言いたげな、自分の持論を押し売りするところを併せると、全ての美点が帳消しになる。まるで真田以外の全ての人間が恋をしているような口ぶり、それが気に入らない。同年代で一際奥手な真田に恋の手解きを施そうと躍起になればなるほど真田の眉間は険しくなる一方だというのに、この男はいつになったらそれに気付いてくれるだろうか。


「何死にそうな顔してんだよ」
「…死んでないでござる」
「いや、死にそうな顔だよ」


前田はまだコンビニの冷房の余韻に浸っているのか、真田に比べて若干暑さに参っていない。そのまま熱中症で倒れちまえと真田は胸中で悪態を吐いた。


「それにしてもあっついなー。蝉も人も恋の季節到来だな!海でアバンチュール!」
「あばんちゅーるが何か某にはわかりませぬが、慶次殿は恋慕の話以外に話題がござらぬのか」
「良いじゃねぇか!人生で最も生きてて良かったと思える瞬間だぜ?もっと人生楽しめって!」
「…………」


これだ。これが曲者なのだ。真田は苦々しく前田を見た。
真田の持論は、恋など愛などに現を抜かせるほど温いものなどつまらない人生だと胸を張って言える。個人的に言わせてもらえば、真田の人生は彼の後見人に大きく影響されている。彼次第。以前そう言うと前田は酷く顔をしかめて可哀想な人だなと言った。その瞬間前田のポジションは真田の中でワーストに入った(ちなみに今のところ一位は不動で伊達である。団子を食われた恨み、忘れるものか)。


「ところでアンタ汗だくで何してるの?」
「慶次殿には関係なきことにござる」
「つっれないなぁ。アンタ二重人格?前は佐助とか言う奴ににこにこしてた癖に」
「佐助は某の幼馴染み故、気構えなき気安い友にござる。慶次殿とは人徳も違うというもの」
「なんかすっげぇ刺々しい感じがするんだけど」


真田は顎を伝う汗を拭った。体の水分が凝縮されたこの汗が、とても憎たらしく見える。


「暇なら俺の家来ねぇ?」
「慶次殿…の?」
「アイスあるんだ。食いにこいよ」
「アイス?」
「おう。かき氷が良かったらそっちもあるぜ。氷はあるから」
「かき氷!」


迷わず食い付いた真田は、目の前でくすくす笑う前田に気付き、口をつぐんだ。
なんという失態。くらりと目眩を起こす。


「宇治金時?苺?ハワイアンブルーに蜜柑に小豆にメロンもあるぜー。幸村は何れがお好みだ?」
「う、宇治金時。じゃなくて」
「なら早く行こう。俺アイス食いたい」


腕を掴まれ、引きずられるようにして連れ立つ。握り込まれた前田の掌が嫌になるくらいに熱くて、真田は何度も瞬きを繰り返した。目眩が酷くなる。
彼が良い人と、わかっているのだけれど。嫌味のない親しみしか込められてない笑みに、なびく長いポニーテール。良い人と、わかっているのだけれど。
真田は困惑した。







真田は思わず拳を握った。いつでも相手に飛びかかれるようにである。後ろにいた佐助が息を呑む雰囲気が伝わる。


「良いねぇ、アンタ。手負いみてぇ」
「黙れ」
「なあ、恋してみろよ。世界が変わって見えるんじゃねぇ?少なくとも、一人しか絞っていない今よりは、」
「黙れ!」


佐助が呼び止めるのも無視をした。
無性に腹が立った。侮辱されるよりも、恥辱されるよりも心臓が暴れた。こめかみと耳の裏が脈打つ。どくどくどく、


「何もそこまで歯ぁ剥き出しにしなくても良いじゃねぇの」
「某に構うな」
「構うな、ねぇ…アンタが慕情を寄せてるその人にも、そうやって言えるかい?」


目を眇めたくなるような白が広がり、拳に何か当たる感触が、




「大丈夫か?」


じりじりじりじり、蝉が鳴く。耳の裏に汗が落ちてきた。
心配そうな顔の前田が覗き込んでいる。


「何でも、ござらぬ」
「そか。熱中症かと思ったんだけど、そんなら大丈夫か」


にこりと笑われる。真田は熱気を帯びた息を吐いた。
なんという白昼夢、白日夢。頭がいかれているにもほどがある。何故、あんな嫌な場面を。時を巻き戻されたような、旅行後の時差ぼけのような、焦点の曖昧さに目眩がまたくらり。
繋がれていた手はほどけていた。汗が滲み、湿っぽくなった掌に髪から滴った汗が滑り込む。
目眩が酷い。


「ま、ちょっと疲れたみたいだから休んでけよ。俺の部屋涼しいぜ」


冬は極寒だけどなと言う前田に真田は漸く家に連れて来られたと気付いた。
ごく普通の一軒家。小さな庭に生えている木に停まる蝉を見つけた。表札に、大理石の石で前田とある。


「何なら一緒にかき氷作るかい?」
「…某無器用でござる」
「かき氷作るのに器用も無器用もあるもんか」
「良いので?」
「良いさ」


前田は笑う。よく笑う男だと、真田は自分を棚に上げて思う。
思えばお互いの印象は最悪ではなかっただろうか。信望するもので互いに一時いがみあったのだ。確執があったことは間違いないのに、この男はよく笑う。おおらかなのだろう、器量が大きいのだろう、人柄が良いのだろう。何より、笑顔が魅力なのだろう。
昨日の敵は今日の友だとはよく言ったものだ。