脳天を一気に突き抜けるかのような激しい震動。ぐわんぐわん頭の中で金たらいが耳障りな音を立てているのではないか。両目が一貫してすぼまったと粉う視界の不明瞭さ。
全てが全て、大打撃だったけれど、それでもかなり満足できた。やっと出会えた運命の子!…男だけど。
清々しい。天にVサインを突き上げたいくらいだ。感謝してるぜ恋愛の神様!こんな素敵な子をありがとう!




うずくま




最近各々の教室や中庭といった、屋上以外の場所で固まって昼食をとるようになった4人は、本日は天気も良いということで爽やかな五月風が吹き抜ける木の下を選んでランチョンマットを広げていた。
弁当なり市販のものをそれぞれ食べようとしている中、細やかな異変にいち早く気付いたのは長曾我部だった。


「今日は弁当じゃないんだな、幸村」


横で握り飯の包みを無器用に取っていた真田の手がぴくりと動き、凍結した。少し冷え込んだ空気を風通りの良さのせいにして、伊達はこっそり長曾我部の隣で弁当の蓋を開けた佐助を見た。いつになくむすくれた顔の佐助は無言で箸を取り出す。よくよく見ればいつも並んで座っていた二人は、今日は見事に対極に腰を据えて座っている。
堅い(いっそ泣きそうな)表情で握り飯に噛みつく真田を見遣って、いつもの、今日は何と佐助の料理のレパートリーを自慢する騒がしい声がないと寂しく思う。気付くのも早かった長曾我部は、しかしぶち壊して台無しにするのも早かった。


「なに、幸村佐助に何かやった?お預けなんだろ」


真田の顔は今やわなないている。泣き出したらどうするんだと伊達は長曾我部の足を踵でにじったが、屈強な長曾我部にはあまり効果はなかった。


「…佐助。やはり俺は納得いかん」
「駄目だよ」
「どうしてもか」
「どうしても」


真田が歯を剥き出したのを伊達は初めて見た。思った以上に凶悪なそれは佐助にがなる。伊達は佐助の方を見て、片手に不自由しているのに気付いた。右だけの手で弁当を黙々と食べている佐助の左手は、伊達の方からは窺えないが長曾我部には見えたらしい。顔を隠さずしかめた。
佐助の(何かはわからない)説得に諦めたらしい真田は親の仇を目にしているような醜悪な顔で握り飯を食べ、ゴミを力任せに袋へ突っ込む。取っ手がびり、と嫌な音を立てた。長曾我部が問掛けたにも関わらず肩を怒らせて走っていった真田を誰も止めず、伊達と長曾我部はちらりと涼しい顔で弁当を食べる佐助を見る。


「…何したんだよ」
「別に何も」
「何も、なわけねぇだろ。良く言えば温厚な幸村だぞ?滅多にキレない幸村があんなに怒ってんだぞ?」


悪く言えば感情の転換が激しい奴なだけだ。怒るのも早いが機嫌が直るのも早い。
伊達は長曾我部の真田への定評を自分なりに解釈して暖かい紙パックの緑茶を飲んだ。


「俺は何もしてないよ。寧ろされた方さ」
「その左手は幸村がやったのか?」
「違うよ」
「じゃその左手は関係ないのか?」
「今日ゲーセン行かない?」


無理矢理話題をそらされたことは火を見るより明らかだったが、長曾我部はそれ以上掘り下げて言わなかった。真田以上に佐助も不機嫌であることを、感じ取ったからだ。
長曾我部に頼まれた伊達は放課後にゲームセンターに行く旨を幸村に伝えたが、真田は浮かない顔で断った。想像に容易かった返答に伊達も強く誘わず、肩をすくめて「OK」と言ったきりその話は打ち切りとなった。伊達の反応に真田は、困ったように薄く笑って佐助に遅くなると伝えて欲しいと頼んだ。俺はお前らの連絡簿じゃねぇんだぜと意地悪を言うと、申し訳ないと真面目に謝られたので伊達もバツが悪い思いをする羽目になった。


「…ふぅん」


真田からの言伝を聞いた佐助の反応は、随分淡白なものだった。
街頭の喧騒とは種の異なったそれに包まれ、佐助はドラムのキーを叩く。小慣れた手先に感心しながら、伊達は長曾我部のでかい図体を探す。レーシングカーの座席に彼が腰かけたのを見届けてから伊達はまた佐助に目を戻した。


「珍しくねぇか?佐助佐助ってべったりだったあいつがお前に怒るなんてよ」
「伊達のダンナもしつこいね。俺は何もしてないってば」
「Really?」
「本当よ。つか旦那を止めた功績を讃えて欲しいくらいだよ」
「…止めた?」


佐助はちらりと伊達を見て、スティックを定位置に置いた。まだゲームは終わっていなかったが、やる気をなくしたようである。スピーカから聞いたことのあるような音楽が流れてくる。


「前田慶次って知ってる?」
「ん、んー、去年俺と同じ学年だった」
「…、そ。今日あの人と旦那の間でちょっといざこざがあってね。旦那が手出しそうになったから身を呈して止めたわけ。俺様凄くない?」


要所要所大事な部分が抜けている気もしなくもないが漸く佐助が口を割ったのだ。伊達は敢えて横槍を控えて先を促したが、佐助はもうこれ以上話すことなどないと言ったように鼻で息を吐いた。その顔は、少なくとも自分を称賛するような顔ではなかったけれど。伊達はゲームセンターを出るむすくれた佐助の背中を何も言わずに、長曾我部を引きずってついていった。


「…あ」


先行く佐助が渡る予定のない横断歩道で立ち止まる。発散しきれていない長曾我部のブーイングをあしらっていた伊達は佐助の視線の先を追い掛け、佐助と同じく「あ、」と声を漏らした。屋根の低い店から出てきたのは本の袋を脇に抱えた前田と大きなメロンパンにかぶりついている真田だった。まさに先刻剣呑だと聞いた二人の取り合わせを見た伊達は、あれのどこがいざこざ起こした連中だよと佐助に問おうとして黙った。


「…佐助…目が、怖い…」


長曾我部が佐助を見て呟いた。
佐助は真っ直ぐ前を見ている。歯を食い縛り、射殺せるものがあれば全て射殺す勢いで、店の駐車場で談笑する二人を。睨むより過激な方へ飛んでいる、メデューサも裸足で逃げ出しそうな佐助の眼力は例によって伊達や長曾我部は見たことがない。嬉しくない初封切りである。いつも瓢々として掴み処がない柳葉のような性格の癖に物の好き嫌いははっきりしている。視線の対象でない伊達は現金な奴と他人事に思った。


「……っ、あ、のやろう……っ!」


唸る。これ以上にないほど眉間に深い渓谷を湛え、鼻に皺を寄せた佐助はようやっと信号が青に変わった横断歩道を渡る。既視感を覚えた伊達は、嗚呼、と呟く。怒ったときの彼の雰囲気が、昼に佐助に牙剥いたときの真田に似ているのだ。ペットは飼い主に似るというのは強ち嘘でもないらしい。
今ならモラルそっち退けで人でも殺しそうな佐助に気付かない二人は、まだ笑ってる。その内前田は真田が後生大事に食べていたメロンパンを「一口ッ!」とか何とか言ってかじりついた。硬直したのは佐助だけではない。呆気に取られた真田は、もぐもぐ動く前田の口を見て、ついで自分の持っているメロンパンの減少具合を見て、ぶるぶる震え出した。


「食べ過ぎでござる慶次殿ぉ!!」
「ぶぉ!」


見事な上段蹴りが前田の顔面に綺麗に決まった。前田は自分の、そして隣に並んである自転車を巻き込んで倒れる。佐助が、真田は保護者から護身術を叩き込まれたと言っていたのを伊達は思い出した。


「け、慶次殿は加減という奴を知らんのでござるか!明らかに半分以上なくなってるではないかぁ!どうしてくれるぅ!」
「落ちつけ幸村!」


死人に鞭打ち、真田は鼻と顎を押さえて立ち上がる前田に更に鉄拳を加えようとした。佐助以外で唯一真田の鉄拳剛腕の逸脱さを知っている長曾我部は慌てて真田を羽交い締めにした。死人が出る。身内に殺人容疑者が出る。
こいつの意地汚さは子供並かと真田を覗き込んだ伊達はぎょっとした。がたいの良い長曾我部に両腕を持たれて宙吊りになっても懸命に足を振り回して、真田は行き過ぎた制裁を続行しようとしている。「返せ、某のメロンパン」と言っていることは限りなく幼稚臭いが、その顔は涙で盛大に崩れている。


「ついでに佐助に謝れ…っ!」
「ついでにかよ」
「つか友達の手アンタのせいじゃんか」


真田は聞こえていないようだ。いい歳した高校生の男が猫のように毛を逆向け大泣きするなと伊達は呆れた。


「某のパン弁償して佐助に謝れぇっ」
「はいはい旦那、新しいメロンパン買ってあげるし、学友殴ったのも大将には内緒にしてあげるから」


鼻をすすりながら真田は漸く長曾我部に降ろしてもらった。長曾我部がもう安全だと判断したのだろう。
泣き止んだ真田がはたと気付いたように言った。


「ところでなんで佐助達がいるのだ?」


説明する気力もない。