ひたひたと忍び足で降るような雨音に、ふと顔をあげる。窓の近くでちょろちょろと雨水が排水溝を下る。硝子の表面を流れる雨粒で不明瞭になった窓の外を、佐助は見た。洗濯物を取り入れるべく、読んでいた雑誌を放り投げ無言で部屋を出る。胸中では雨に対する不平を漏らしていたけれど。
取り入れた時は既に遅く、少し秋雨に濡れた洗濯物にため息を吐いて、それから乾いているものを床に捨て置く。後で畳むためだ。
まるで主婦めいた慣習で如何せん高校生男児らしくないのだが、幼馴染みで友人の一人が佐助に世話を焼かせるものだから、悲しい哉、板についてしまっている。
その友人は、ここから然程遠くない所に住居を構え後見人と一緒に住んでいる。二人共々揃いも揃って家事が駄目なのだから、一体どうして今まで生活していたのかと疑問に思う(特に、いい歳した、後見人)。
ズボンの中に入れていた携帯電話が、ぶるぶる震えて佐助にその存在を示す。色気もへったくれもない己の下着を投げ捨てディスプレイを覗くと、件の友人。珍しく電話だ。
「はいはい、もしもし?」
電話越しに騒ぐいつもと変わらない彼に、知らず、佐助の口元も綻んでいた。
りっとる
2リットルペットボトルの飲料を手土産に真田の住む家に行った佐助は、とりあえず半眼を作って彼の部屋に溢れている友人らを見て言った。
「…これ、本当に勉強会?」
夏休みの宿題が終わらない(この時点で規格外)真田と長曾我部が伊達に勉強の教授を頼み込み、けれど伊達の教え方は英語しか上手くないから佐助も加わって欲しいと真田に言われてきたのだが、しかして彼を出迎えたのは全く酷い有り様だった。
小さな四角いテーブルに教材は開かれているのだけれど、彼らの体は14型のこれまた小さなテレビを向いていた。長曾我部は呆然とした面持ちで佐助を見上げていたし、伊達はテレビと佐助を気まずげに交互に見ていたし、真田は指と指の隙間からテレビを見ていたらしくその格好で佐助を見て理解不能な異国語(とでも言うのか。佐助には心当たりもない言語だったけど)を連発している。そして、ブラウン菅に映されているのは、誰が持ってきたか知れないアダルトビデオ。佐助はこめかみを親指で強く押した。
佐助のその態度に何を勘違いしたのか、皆一様に、けれど口々に言い訳を言い始めた。
「ち、違うぞ佐助!見損なうな!これは…そう!これは長曾我部殿が持ってきたもので…!」
「Yes、こいつが折角持ってきたんだから見ようとか言うからよ、勉強が一時中断になったんだ!」
「おおい、俺だけが悪者!?そういって政宗なんか誰が出演してるのかとか確り確認してたじゃねぇか!しかもお前、『健全な男なら興味はあるだろ?』とか言って幸村焚き付けたし!」
「なっ…、それはこいつが見たそうな顔してたから!」
「伊達殿!?某がいつそんな破廉恥極まりない顔をしたと申すか!」
「つい先刻だよ!元親のパッケージ覗いてたじゃねぇか!」
「んだよ、どいつもこいつもよぉ!結局持ってきた俺が悪いみてぇじゃねぇか!言っとくけど見たくねぇなら再生ボタン押す前に言えってんだよ!見たからにゃてめぇらも同罪だからな!」
いつの間にか論点が『佐助への弁解』から『誰が悪いか』に変わっている。勿論佐助にとって誰が悪いかなど関係ないし知りたくもない。誰が持ってこようと長曾我部の言った通り、等しく同罪である。佐助は喧々囂々、騒ぐ友人らの様子に深々とため息を吐いた。
否、皆男だから良いけどね。
女がいたらそれはそれで大変だ。アダルトビデオに見入る女を想像して、佐助は顔を歪めた。
「…別にAV見てたからって、軽蔑しないよ」
真田は安心したせいか、要らないことをぽろりと言った。
「さ、佐助もこういうのを見たことあるのか…?」
途端水を得た魚のように、伊達と長曾我部が顔を突き合わせてにやりと笑った。旦那余計なこと言わないでよ!と苦虫を噛み潰した佐助の心中を知らずか、真田は控え目に、けれど確かに興味を持った目を佐助に遠慮なく向ける。そしてそれを挟んで悪い顔をする男が二人。
「そういや佐助、あんまそういう雑誌持ってるの見たことねぇよなぁ」
「たたねぇのか、雑誌とかで発散する必要がねぇくらい女に会ってるのか、どっちだよ?」
「何で二択なの?!別に俺だってそういうのは人並みだよ!ただ開けっ広げにしてるアンタらとは違うだけだからね、失礼な!」
「は、破廉恥である!」
「ちょっと旦那!?」
エロビデオを見ていた奴の言う台詞か。顔を真っ赤にし、口をぱくぱくしている幼馴染みのあまりの言い様に、佐助は彼の後見人を恨んだ。
何でこんなストイックなまでに育ったのだこいつは。
あの豪快な男は真田に物欲俗欲を教えていなかったのか。否、あの男はそもそも色欲云々があるのだろうか。シャウトで発散してそうだなあのおっさんと佐助がぼんやり現在逃避をしていると、真田の顔がくしゃくしゃ歪んだ。
「俺に秘め事とは水臭いぞ佐助ぇ!」
「は!?旦那何か勘違いしてない!?」
「内緒で伴侶を作るなど水臭い以外何物でもないでござる!」
「は、伴侶?話飛躍為すぎだから!飛びすぎだから!」
いくら佐助でも酷いとすねた真田は膝を抱えてぷいとそっぽを向いてしまった。伊達と長曾我部が佐助をなじるように含み笑った。正直佐助にはいい迷惑である。
いい歳した男が下の話に花を咲かせることも些か寂しいが、仮に佐助が彼女を作ってもそれを報告する義務は果たしてあるだろうか。そんな馬鹿な義務があって堪るかと佐助は独りごちた。
しかし困ったものである。幼馴染みだからか佐助は真田の気質をよく知っており、こうして背中を向けて完全にすねた態度を見せたときの真田の機嫌は、そこらの慰めではそうそう直らない程斜めっている。それこそ佐助の財布の中身を全て真田の好物の甘味に変えないと直らないくらいには。
手元にある、なだめるには役不足な飲料を見下ろし、佐助はため息を吐いた。
「旦那ぁ、別に俺様彼女いないよ?フリーだよ」
「それ言うのも何か切ないよなぁ」
「うるさい乳首。誰のせいだと思ってんの」
フォローのいれようもない問答を長曾我部とうっそり繰り返した佐助は、改めて真田の背中を見る。赤いパーカーに後ろだけ長い髪がひょろりと流れている。まるで浮気したと勘違いした彼女をなだめすかしているようだ。
「Hey幸村、こんな浮気猿捨てちまえ」
「ちょっと何あらぬことを刷り込んでるの」
「そうでござるよ伊達殿…まるで某が佐助の伴侶になったみたいでござる」
いい加減彼女イコール伴侶という突飛な思考は止めて頂きたいのだが、今訂正を入れるとまた変な誤解をされるような気がする。真田への解説はまたの機会にして、目下調子をこいている伊達の制裁でもしようか。
そう思って佐助は止めた。折角伊達との会話に真田が応じる程機嫌が上向いたのに、水泡に帰してしまうかもしれない。癪だが伊達に感謝すべきだろう。
垂れ流されていたビデオを出して長曾我部に投げつけ(その際自分の家で見ろこの乳首と悪態を吐くのは決して忘れない)、持ってきた飲料を出す。
「はいはい、勉強するんでしょー?要らないものはしまって集中しなきゃ駄目だよ」
勝手知ったる他人の家、と佐助が台所へ人数分のコップを探しに行くと、後ろから真田がついてきた。
「佐助佐助」
「何?ついてきちゃったの?」
「本当に、本当に伴侶はいないんだな?」
いつまでも疑い、食ってかかる真田に佐助は苦笑いをひとつ。茶化すなとはねつけられ、渋々と佐助は言った。
「当然でしょ?まだ旦那から目が放せないんだから、そんな暇無いっての」
「む、子供扱いをするな!」
「すみませんね」
むきになるそういうところが子供だと敢えて指摘はせずに、佐助は真田の髪を掻き混ぜた。後ろから怒鳴る真田に、佐助は当分真田のお守りをしなければならないことを知る。
驟雨はまだ止まない。