※大坂夏の陣前後 幸村生存説捏造 死ねた注意
大坂で、ひとつの首級が挙げられた。信じたくはなかった。
終わりは
赤
だった
徳川家康が本陣に迫った真田幸村から辛くも逃れ、東軍側の辛勝に終わったのは、蝉の沸き立つ夏の日のことであった。
徳川の首を前にして、口惜しくも撤退せざるを得なかった西軍の真田幸村が、首となって家康の前に引き出されたのを目の当たりにしておきながら、政宗はその光景をどうしても信じることができなかった。
閉じた口から、鼻から、穏やかとすらとれる濁った目から流れていた血はもはや凝り固まり、血涙を流すその顔は反して苦しげではない。首を切られる瞬間に、そのような穏やかな顔ができる幸村を、政宗は知らない。諦めたように首を差し出す幸村など、知らないのだ。
これは誰だ。
首が持ち運ばれた後も、その残像から目を逸らせずに、政宗は戦慄した。
「どう思う、小十郎」
「どう、とは」
「お前の知ってる真田は大人しく首を切らせてやるgentleな奴だったか?」
血が沸騰するような高揚を分かち合う間柄だった幸村は、立てなくなるまで槍を振るい続け、腕が上がらなくなれば相手の首を噛み千切らんとし、体が動かなかったら敵を睨みつけながら果てるような強情な人間だった。こんな大人しく殺されるのを甘受するのは幸村ではない。
「…おい、忍を動かせ」
「政宗様、今は戦の後でみな疲れております。少し時を置かれますよう」
「Shut up!さっさとしろ」
「政宗様…」
「真田隊の大半は忍だったな。身代わりがいてもおかしくねぇ。あの首が真田本人のものか、体の方を調べさせる」
幸村は西軍に、政宗は東軍に、組織に呑まれていった。誰にも邪魔されずに、二人で決着をつけることができない状況にしたのは、お互い様であった。やるせなさに唇を噛み締める。
「白黒つけずじまいなんて冗談じゃねぇ」
言葉をぶつけるべき相手はこの場にいないのだけれど。
Case1.
「後悔してるかい?」
何を。
勝負を脇に置き、敵に回ったことか。
あれを手にかけるのを誰かに譲ってやったことか。
声の方へ顔を向ける。風来坊がそよ風に長い後ろ髪を遊ばせて、穏やかに笑っていた。その顔にどこか哀れみと慰めが浮かんでいるのが癪に障った。
「人なら誰だって経験するよ」
だから何だ。
もうすぐ戦が終わる。総大将の采配に不服がないとは言わない。あれを終わらせるのは俺で、もしかしたら俺を終わらせるのがあれだったかもしれないのに、その瞬間の機会を永遠に取り上げられてしまった。他でもない他人の手で、ということに、腸が煮えくり返りそうになる。鎧の上から腹を掴んだ。
俺はおかしい。
「大丈夫。アンタはおかしくない」
狼煙か残り火か、黒く濁った煙がいくつも空へ向かって悠々形を変えながら昇ってゆく。あれらの火元のどれかに、あれが身を焦がしているのかもしれない。そう思うと、何やら心苦しい。
何が大丈夫なもんか。こんなに苦しいのに。
花のような秀頼様をお連れして、鬼のような真田幸村様が島津へ逃げた。
戦の仔細は知らねども、戦の行方を知っている町村の間に、このような噂が流れていた。
確かに淀君の死体はあっても秀頼公の死体はいくら捜しても見つからず、数ある大名が東西と二分に決してゆくその只中で島津は中立を保っていた。結局幸村の体では可も不可もなく曖昧なことしかわからなかった政宗は幸村の死を信じず、その噂も半ば真実ではないかと笑っていた頃、それはやってきた。
「ご無沙汰しております、政宗殿」
編み笠を傾け、それは笑った。黒の法衣と薄汚れた袈裟に身を包んだその出で立ちに見覚えはないが、笠の下から覗いた頭は、どこか既視感を抱いた。
髪はざんばらに短くなっており、顔は何があったのか尋ねるのも憚られるほど傷だらけで、政宗の口から出せる特徴はほとんど死滅していたけれども、まとう雰囲気はあまり変わらない。
「お前…」
「おや、この顔を忘れられたか?政宗殿も冷とうなりましたな。それとも、早くも白痴になられたか」
「…言ってろidiot」
あの戦から既に幾星霜の月日が流れている。それでも体は、息をするのと同じくらい自然に命の削り合いに興じたあの頃を、忘れることはできない。
「Deadmanがふらふら出歩いてんじゃねーよ」
そう言って頭に拳を叩き込んだ。
Case2.
己の忍が膝の上で泣いているのを見下ろすのは、さぞかし奇妙な光景なのだろう。昨夜の自分の痴態醜態に戸惑っていた主に、佐助はふと笑みをこぼした。
生きて、とすがった。
アンタは生きて。アンタは生きてお館様の代わりに、これからの世を見なきゃいけない御人だから、こんな所で死なないで。
主は、幸村は明らかに困っていた。佐助の言ったことにも揺らいでいるのだろうが、何より幼い頃から共にいて一度も見たことのなかった涙を、今更拝んでいるのである。
佐助の涙が幸村の膝を濡らした。
「佐助、俺は…」
嫌だ嫌だと首を振る。続く言葉が佐助の涙に否定的であるのを知っているから。
「佐助…」
仲間も多くが死に絶えた。さすがに、相手方へ死体を晒すような不手際は犯していないが、幸村を守る忍が大半死んでいることに、佐助は恐怖した。
佐助は武士と忍という互いの身分を忘れて幸村の膝の上で咽び泣いたあの夜の回想を無理に打ち切り、後ろにいる子供に恭しく手を差し伸べた。
ああ、血煙に霞む戦場が見える。
「さ、行きましょうか秀頼様。この真田幸村が命を賭して秀頼様をお守りしまする」
(信じたく、なかったよ)
暗転。
(080611)