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元親
(non title)

なあなあ、幸村に携帯やらねーの!?
連絡取れないと不便じゃね?


佐助
Re:

知らないよそんなの。
だって旦那が必要としないんなら意味ないじゃん。
いらないのに持たせても、どうせ洗濯物の中から壊れて出てくるのがオチだって。




*




この辺りではあまり見掛けない元就の家の長屋は、ある種とても異端で異質だった。大きさを誇るくせに、住んでいる人間の数はせいぜい一人。使われているかさえ疑問になるほど、その家屋はいつもひっそりとしていて、閑散としていた。街の喧騒から離れて、珍しい日本家屋も噂のひとつになるわけでもなしに、嫌になるほど静かなのだ。
元親は再び仰ぎ見ることとなった、荘厳で厳重な門扉を見て思った。どうせろくでもないものを食べているんだろうと、仕事の関係でもらった魚を袋に入れてぶら下げている。
高校のときから元就は永久凍土だった。人を寄せ付けず、少しも面白くないような顔で、卒業式の日には皆勤功労賞をもらっていた。そんな元就を、流石にそのときは学校に顔を出していた元親はよく覚えている。こいつ何が楽しくて生きているのだろうか、と。結局、今まで元親は元就の鉄面皮のような無表情か、怒鳴り散らしているときの赤ら顔以外お目にかかったことがない。敵を作り易い性格なのだから、もう少し愛想でも振り撒いてみれば良いのに。


「おう、けぇったぜ」
「あ、元親殿」
「どうせなら旨いもんのがいいだろ。ほら貰いもんの初鰹」
「ほう、確かに立派だが元親よ、うちには捌き包丁なぞない。貴様は普通の包丁でそれを捌けるのか?」
「んー…あんまでかくねぇし大丈夫じゃねぇの?頭落としてあるし」
「ふん」


元就は、何とも面白くなさそうな顔をした。


「なあ幸村ぁ、ちぃっと聞きてぇんだけどよ」
「? はい?」
「いんや、昨日家出て今日俺に会うまでどうしたのかなって」
「? あまりうろついて道がわからなくなるのは困るので、近くの公園で寝たでござる。ベンチは何やら男女の先客がおりました故、木の枝にて」
「あっぶねーなあ。落ちたらどうするんだ」


この際ベンチにいた先客の仔細や、枝がどれくらいの率でベッドとしての役割を果たしたのかは聞かないこととする。


「お前魚捌ける?」
「生憎切身を分けるくらいしか経験がなく…お役に立てそうもなく、面目次第もござらん」
「気にすることはない。家で切ってこなかった、気の利かないこやつが悪い」


ほらきた。
元就が幸村へ特に目にかけてやっている理由は、元親にとって推測するに難くない。人との接触を絶ち厭世的に暮らしている彼に己との境遇を重ね、尚且つ件の掲示板の管理人である元親が就職の途についていることを知り、それでいてさくらとして一役買ったことを後ろめたく思っている。馬鹿馬鹿しい感傷だ。そんなことを思うくらいならその生活態度を改めれば良いのに。


「しょうがねぇな。じゃあこの元親様が捌いてやろうじゃねぇのよ」


そして、事情を知っていながら茶番劇に付き合わせ、彼に付き合っている自分も、大概馬鹿者なのだ。




*




「元就殿は、お体をどこか患ってらっしゃるのか…」


布団を運ぶ最中(何年も出していないようなこれを、外で叩いたときの埃の舞いようは異常だった)、独り言のように幸村はごちた。まだ少しかびくさい臭いの残る布団にむず痒さを感じながら元親は、ん?と彼を振り返る。


「某が来たことでご迷惑になっていなければ良いのですが」
「気にするな。あいつの脆弱さは前からだ」
「元親殿は元就殿と旧知でござったので?」
「まあなぁ。高校からの腐れ縁だ」


高校、と幸村は呟く。そう、高校。と元親は返した。彼には鬼門であろう。僅かに眉が寄せられたのを見て、元親は苦笑いをした。
あの頃は、本で言われるような、いわゆる『何でもできる』という気分にはなれなかった。ただ、クラスで騒がしく過ごす反面、地元だけでなく市外からきた生徒とどう接すれば良いのかわからず、軽い対人恐怖症になりかけた。ふと訪れる寂寥と付き合えもせず、煙草に手を出しもしたときを今から見れば、馬鹿なことをしたもんだとかびくさい空気を吸う。
あれが青春なんて言葉を適格たらしめているのならば、あんな不味い高校生活などいらない。だが彼はどうだろう。良くも悪くも仏頂面だった彼は。


「突っ込んだこと聞くけどよー、お前って高校嫌いなん?」
「いや別に?」


元親はますます首を傾げた。元就があれだけ意識して世話を焼くのだから、後ろ暗い何かがあるのかとてっきり思ったのだが。


「じゃあ何で学校行かねぇのか…って今の失言だったな。忘れてくれ」
「気になるのはもっともでござる」


幸村はにっと笑って言った。


「実は某、政宗殿と同じ高校に在席しておりまする」
「こりゃまた唐突だな。こないだが初対面じゃねぇのか?」
「いえ、初対面は中学の時分でござるが、政宗殿も某のことだとは思ってますまい。ただ、お互い名前を教え合い、話したのはあれが初めてでござる」
「でも高校行ってたときくらい顔見るとかあったんじゃねぇの?擦れ違うとかして」
「一度、遠目で拝見したことがありまする。それから学校には行っておりませぬ」
「なんだそりゃ」


まるで政宗がいるから学校には行かないと含意でもしているかのような、
幸村は頷いた。


「政宗殿に申し訳なさすぎる故、某学校には行けませぬ」
「はあ?」
「元親!」


鋭い声より早く、腰に痛みが走る。背中越しに見ると腰からは不健康に生白い足首が伸びていて、それを辿ると背後に立った元就に行き着いた。


「てめぇ!何すんだっ!」
「我のことを謗る前に、貴様の無神経さを真田に謝るが良い!」


ぎりぎりっ、と元就の歯ぎしりが元親の耳に飛込んできた。眉間の皺は鉛筆が挟めるほど深く、さっさと謝れと見下す(元就は元親との身長差を物ともしない高圧的な視線をよくする)目はかなりきつい。爆発二歩くらい手前。
元親は不意に元就の頭を撫でてやりたくなった。


「真田、布団など後でも良い。時間も頃合いだし、貰い物で良ければ羊餡でも食わぬか」
「よろしいので?」
「こういうときは遠慮をするものではあるまい」


元就は他人を恐れている。疾患として気遣われるのをひどく厭い、今の不便な状態で十分だと強がり、孤独に甘んじている。けれど、我が身のことのように幸村のことで怒るのは、それは、元就自身がこのまま惰性で生きるような自分を赦せない何よりの矜持を指摘されて破裂した癇癪と同じようなものだった。
やっぱりお前、ひとりじゃ生きていけないよ。
切羽詰まった彼を支えられるのは、何となく自分が良いと思った。