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大将
(non title)
幸村は元気でやっておるか?
佐助
Re:
もちろん。元気が有り余りすぎて煩いくらいですよ。
*
メールを送った後、佐助は携帯電話を畳みながらはぁとため息を吐いた。机に開かれた通帳を見る。きっちりと、今月分の幸村と佐助の学費と生活費が振り込まれている。
何だか悪いことをしているようで後ろめたい。当事者でないのに、それってどうよと思いはしてても、一応管理を任されている身なのだ。
幸村の、学校に行きたがらないという学費を側溝に捨てるような暴挙を知ったとき、良くも悪くも正しく、そして良き保護者である彼は何て言うだろう。いつも通り喝を入れるために殴る?それとも己に至らないところがあるのかもしれないと長考する?どちらにせよ、共に実行しても幸村が改心するかは果てしなく疑問だ。
そして。
手のつけられていない朝食がぽつねんと、冷えきった状態で朝に並べたそのままになっている。幸村が、昨夜に飛び出してから帰っていないのだ。携帯電話なぞまだ持ってないし、一体どこに行ったのかもわからない。それなりに、学校に行っていた頃は交友関係も築けていたのだろう。けれど押し掛けた人間を泊めるような寛容さまでには至る時間などなかったはずだ。
どこに行ったんだあの馬鹿!と発憤する反面、彼の性格を把握しきれていなかった自分を、目附役失格だと悔しがった。あんな活発な性格の癖に家に隠りきりだったから油断した。彼はある程度の行動力はある。かつ堪え症のない彼が佐助に言い負かされて大人しくしているわけがなかったのだ。幸村がついに 「佐助の頑固者!」 と自分を棚に上げて罵った後、乱暴に玄関の戸をぶち開けどこかに行ってしまったときも、ほとぼりが醒めたら戻ってくるだろうと軽く考え、呑気に夕食を作っていた昨日の自分をぶん殴りたい。
このまま帰ってこなかったらどうしよう。そこに至って佐助は青褪めた。幸村に何かあったら。事故や事件の巻き添えを食っていたら。
喧嘩のきっかけはほんの些細なことであった。流石にこのままずっと学校に行かないのはまずいだろうと、佐助が仏心のつもりで幸村に言ったのだ。
「いつまでも家に引き篭りっきりじゃ大将が死んじゃったとき一人立ちできないよ?」
彼ももう若くない。気丈だし、確かに同じ年代の他人と比較したらずば抜けて健康だけれど、年には勝てぬのうと寂しげに言った背中が数年前より曲がっているのを佐助は知っている。衰弱死なんてあっという間だ。それは幸村も十分知っていることと、佐助はわかっていなかった。無神経だと渋面を作ったのと、幸村が縁起でもないことを言うな!と泣きべそをかいて叫んだのは同時だった。軽率だったと今は自粛しているけれど、つまるところ佐助も幸村に忠言を入れられるほどの大人ではなかった。
誰もいない部屋で、日が沈んで空気が冷えてゆく中で、佐助の持っていた携帯電話が震える。
「…はい」
『…………』
「もしもし?」
『……猿飛か?』
「あれ、毛利さんじゃん。どうかした?」
元就が直接電話をかけるなど、今までなかった。特に、こと他人の声音にかけては、その内面に潜む感情を読み取ることに長けた佐助には。
『我が家に幸村がいる。今日は泊まるそうだが、さっさと謝りでもして引き取りにこい』
「え、旦那そっちにいるの、」
『そう言ったつもりだが聞こえなかったか?』
ずいぶんと皮肉げに言う。これでは作る敵の方が多そうだなと考え、また下世話なことを思ってしまったと顔をしかめる。
「わかった。明日の夜、迎えに行くわ。今日だけはよろしくね」
『ふん』
電話は、一方的に切れた。
電話を畳み、佐助は悶々とした。それじゃあ昨日は一体どこに泊まったんだ!
*
「ちょっと聞いてよかすがちゃあん」
金髪の、耳の横だけが長い髪を揺らして、かすがと呼ばれた彼女は振り返った。なかなか芯が強く、しかし時折可愛い仕草をする上に男を魅了する躯の持ち主であるから、巷では敷居の高い女としてそこそこ名高い。本人には想い人がいるから全く関わりのないことだが。
そんな彼女は佐助にきつい一瞥をくれただけだった。
「無視すんなよ傷つくじゃん」
「同じ専攻だからと、馴れ馴れしく話しかけるなこの薄ら馬鹿」
「ひっでー」
幸村が佐助を見たら何て言うだろう。女にうつつを抜かす軟派者とでも言うのだろうか。
「どうせ次フランス語っしょ?いいじゃん一緒に行こうよ」
「知るか一人で行け」
「ついでに昼一緒しようよー」
佐助はかすがに気があるわけではない。だから文句を言いつつも、かすがは佐助に甘んじて付き合う節がある。佐助もそれは暗黙の了解と得ていた。
「くそ、貴様との縁など高校で切れると思ったのに!」
「上杉さんとの縁もね」
ぎ、と殺意の混じった視線が向く。しまった、鬼門だったか、と口を噤んで苦笑いをひとつ。
何年越しの片想いだろう、彼女は。佐助が知っているだけでも四年は過ぎた。自分は長く続かせることができないと思っている佐助にしてみれば、途方もない時間である。
「…、前田はどうした」
「ん?あー…、うん、色々」
「なんだそれは」
かすがは胡乱げに佐助を見遣るが、何も聞いてこなかった。弁えをちゃんと知っているのだろう、佐助はそれが有り難かった。
かすが同様、佐助は幸村のことを慶次に話していた。慶次は件の喧嘩のくだりになると、 「そりゃあ佐助、それは悪手だよ、それは駄目だよ、」 と苦笑いしながら首を振った。横で聞いていたのかどっちつかずな態度だったかすがも、軽侮の目をしていた。
慶次は、佐助の知らない幸村を知っている。佐助のいない間の幸村を知っているようだった。いつかの買い物中に会った彼が、幸村に剣道はまだ続けているかと聞いていた。それは、佐助が高校に行っていた間の三年間に、佐助の与かり知らぬ中学生の幸村が剣道をしていたことを知っていたという口ぶりだ。
『旦那、剣道なんてやってたんだ』
『ん、まあな。今はやっておらぬが』
『そう、』
その後に慶次を睨めつけた幸村の目は、余計なことを言うなと含意のある色をしていた。
有耶無耶に誤魔化した幸村。剣道をしていたことをあまり知られたがらない様子だった。それはそれは、佐助にとってはあまりにも面白くない。
「そういえばな、心理科の奴が言ってたことなんだが」
「んー?」
「人間は誰しも鬱の気があるそうだ」
「へぇー、それはまた…それで?」
「ああしたくないとか、やりたくないこととか、誰だって当たり前にあることだが、そんな小さなストレスしか眼中になくなると、お前も気が滅入ったりやる気が失せたりするだろう?」
「あー、あるある、心当たりありまくり」
目下そんな状況。
「それが長く続くと、何もしたくなくなる。自分が介入して、もっと状態が悪くなると塞ぎ込むそうだ。どうだ?」
「…何が」
「今の真田にそっくりじゃないか」
佐助は、鼻に皺を寄せる。
どう考えたって、今の話から受ける印象と、幸村の日頃の状態とでは差がある。あのブッ飛んだ思考の持ち主がそんな潮らしいことを思うはずがない。
「…ないない」
「だからお前は前田に笑われるんだ」
また、軽侮の目。
俺が一体何したってのさと妙な罪悪感を感じ、佐助はかすがから目をそらした。
「いつまでもお前の知っていた小学生の真田のままだと思うなよ。中学生だって、それなりに変わるだろう」
外見だってずいぶん変わった。垢抜けた顔をして、佐助を抜かすことはないが、体も大きくなって、なんとなく思考も彼なりの道理や理念にまつわったものになっていた。もう、簡単に意見を翻すあの頃じゃない。一個人としてちゃんと立っている。
どうやって謝ろうかと考えながら、何だか鼻の奥がつんとした。