毛利
(non title)

他人を理解しようなどと、絵空事を我に論じるようならば、我はいっそ一人で良い。そんな俗説、耳にもしたくない。


長曽我部元親
Re:

…誰もそんなことは言ってねぇだろ。





*




五月晴れの清々しい朝のこと、元就は有難い晴天に恵まれた今日を有り難む習慣をも忘れて玄関先で自失していた。


「よう、元就。良い天気だな」
「お、おはようございます元就殿」


元親のがたいの良い体躯に埋められている玄関口の僅かな隙間に、幸村が些か申し訳なさそうに縮こまっていた。現在午前九時半を回る頃。昼中の時間帯が好きな癖に朝はあまり早くない上にかなり食べる速さの遅い元就が漸く朝食を食べ終わり、さて腹ごなしに散歩でもしようかと思った矢先の邂逅である。何より朝っぱらから見たくもない顔により出鼻を思いきり挫かれた元就に、散歩に出る気力はほとほと尽きたと言って良い。あまりの脱力感に顔をしかめることも忘れた元就に、元親はにこにこ快哉な笑みを浮かべている。元就にとって腹立たしいことこの上ない。


「…な、…にをしにきたこの穀潰が!」


ひ、と幸村は肩をすくめるが(反射だろうか、佐助が彼を叱る様が容易に想像できて頭が痛い)、元就の怒号に慣れている元親は、憎たらしいことに笑って「 朝から怒んなって 」と余裕綽々に元就をなだめる立場に回っている。誰のせいだと思っているのやら。


「俺もちょっとお前に用があったから来たんだけどよ、戸口でこいつがインターホン押すの迷ってたの見つけて連れてきた」
「鐘も鳴らさずにずかずかと入ってくる貴様の方が常識を忘れているようだな」
「このような早朝に申し訳ありません、元就殿」
「お前は気にするな。今日は猿飛はおらぬのか」
「…? 今日は平日ですので佐助は大学に行っておりまする」
「あ、嗚呼、今日は平日であったか」


元就は内心で自分の失態に舌打ちをした。幸村や自分はともかく、ほとんどが社会的立場を確立しているのだ。それを失念していた元就は落ち度だと叱咤をする。


「それで、今日は如何にした」
「え、と…昨日佐助と喧嘩をして…飛び出したまでは良かったのですが知り合いもあまりおらず…その、家まで知ってるのは元就殿だけで…」


最後の方は聞こえなかった。まるで母親を目の前にしてしどろもどろに言い訳を繰り返す子供のように、項垂れている。叱られた犬のような成りならば、しょげたれた耳と尾が見えるだろう。元就にも申し訳なさそうにしているのは、後ろめたさがその胸にあるからだろう。


「あの…邪魔なればお暇しますが…」
「構わぬ。今日は暑いだろう。入るが良い」


一歩身を引いて彼らを中へ招いてやる。
何故か捨て置く気になれなかった。哀れむこともないが、自分と似たような境遇であることに僅かばかり親近感を覚えるのだろうか。下らない感傷だとわかってはいるけれど。


「どうした長曽我部」
「…いや、お前ってきついけど年下には温いよな」
「……所望ならば今すぐ貴様を叩き出してやるが?」
「いや、遠慮する」


にやにや笑いながらも後に続く元親は、元就がいくら眉を寄せようとも怯みはしない。会わない間に随分とふてぶてしくなったようだ。元就は不愉快気に鼻を鳴らした。




*




冷たい茶がないと言うと、真っ先に元親が不平を言った。


「お前ってずっと熱いの飲んでるよな。体感温度おかしくね?」
「喉元過ぎれば熱さも忘れる。貴様には特別熱いものをやろう」
「いらねぇいらねぇ。氷入れてくれや」
「自分で入れてこい」


幸村は軽く会釈をして、臆面もなく湯呑を仰いだ。元親はうげ、と顔をしかめる。


「熱くね?」
「熱いには熱いでござるが…元就殿の仰有ることも一理あると思うたので」


ぐびぐび喉を鳴らして、幸村は茶を飲む。佐助がやかましく世話を焼く気もわかる気がした。彼は人を疑うことを知らない。少し信憑性を混ぜた口任せなでたらめも、彼にとって真実になるのだ。無知よりも恐ろしい。


「ていうか猿飛と喧嘩したのか。珍しいな」
「珍しい?しょっちゅう喧嘩しておりまするが」
「へぇ?前見たときはそんな風に見えなかったけどな」
「あのときは何分緊張してた故…」


はにかみながら幸村は俯く。今も打ち解けたとまではいかないのか、幸村は手持ち無沙汰に湯呑をいじった。
元就は目端ばかりの俗物を厭い、目を背けてきた。しかしこの男は何を憂いて逃げたのだろう。疑うことを知らず(それを愚かしいと人は云う)、人の嫌なところを目の当たりにした数もそう多くなかろうこの男は。


「ふぅん?」


元親は片肘をつき、行儀悪く格好を崩す。これも、人との距離を測り違えない賢人である。しがらみなく思ったことを言うように見えるが、その実、自分が知っている類の痛みには聡く、慮る人間だ。だから彼の元には人が集まる。


「なあ毛利、空いてる部屋ってあるか?」
「奥の私室以外なら全て空いてるが…」
「なら俺と幸村一日置いてくれよ」


突飛な申し出に驚いたのは屋主の元就ではなく幸村だった。


「これ以上元就殿にご迷惑をおかけするわけにはいきませぬ!」
「ならすごすご帰って猿飛に叱られるか?」
「う、うう!」


意地の悪いことを言うものだ。元就は二人の遣り取りを傍観しながら茶をすすった。
元就自身は誰がこの家に泊まろうと、実害に及ばなければ、奥の私室に立ち入らなければ、あまり執着はしない。人任せを潔しとはせぬが、代わりに自分に関わらなければ是非を下さない矛盾した人間だった。


「お前たちがどうするかは任せるが、長曽我部、貴様仕事はどうした」
「お陰さまで自由気ままにやらせてもらってるさ。跡取りが確保できたからって、ウチの親父は少し甘いからな。そういや幸村、お前親とかは」


かつて自分も訊いた問答を、今は元親が繰り返した。元就は密かに眉を寄せ、幸村を見る。本人が気にしていないようなので、敢えて黙って見ている。幸村はにこりとも笑わず言った。


「多分どこかにおりましょう。某もう何年も会ってはおりませぬ。兄もおりますが都心に越していったので…」
「悪いこと聞いたか?」
「慣れれば何とも」


それが如何に悲しいか、わかってはいないだろう、こいつは。元親もどう返して良いかわからず固まっている。


「じゃあ今はどうやって暮らしてんだ」
「住んでる家は変わりませぬが、一応父の知り合いに諸々の権利は譲渡されてるでござる。今はその方に養ってもらっている情けない有り体でござるが…いつか恩情を返しとうござりまする」


僅かに喜色を漂わせる幸村に、少なからず安心する素振りを見せる元親。どうやら温情あるその人物は悪人というわけではないようである。並々ならぬ敬意がこもった幸村の眼差しを見て悪い気分はしなかったが、些か度を越している気配すらある。


「ふん、まあ良いわ。それよりこれからお前たちはどうする?」
「とりあえず泊まるのは決定ってことでー…」


幸村は僅少眉を寄せたが、反論をしない辺り諦めて決心したのだろう。彼に何か思うところがあるのか、後で佐助に連絡を入れようと元就は携帯電話の所在を思い出した。


「いくら自由だからってそこまで甘えるわけにもいかねぇから工場に顔出してついでに荷物取ってくるわ。幸村の下着とかも用意してやるよ」
「そこまで世話になるわけには!」
「良いって良いって、人の好意は素直に受け取っとく方が世の中上手く渡れるぜ」


幸村の目尻がありありと紅潮する様を、元就はじっと見ていた。羞恥か照れか、よくわからない。


「んじゃ、夕方にな」
「嗚呼、我は午後から医者だ。その後になら構わぬ」


元親の顔が硬直した。