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猿飛佐助
(non title)
どういうつもりであんなの企てたか、聞いて良い?
毛利さん
Re:
あやつの心積もりなど、我が知るわけなかろう。
*
佐助はぱちんと携帯電話を閉じた。短くため息を吐く。
アドレス交換しようぜ、という元親の言葉に、それぞれの反応を示しながら携帯電話を出したのは、幸村を除いた全員だった。幸村はともかく元就が銀の携帯電話を出したのは佐助にとって意外で、この人俗世と関わるの嫌いそうだな、と当初抱いた高尚な坊主のような印象を慌てて修正した。
女子高生でない佐助らがアドレスひとつに騒ぐのは何やら空寒い気もしなくもないが、その輪に入れずぽつねんと佇む幸村に寂しさを感じなかったと言ったら嘘になるだろう。それほどに、佐助たちを見ていた幸村の目は、懐旧さえも滲んだ遠いものになっていたのだ。お前は携帯持ってねぇの、と言った元親に笑って「 日頃出かけることのない某には無用の産物でござる 」と辞退した幸村は佐助でさえ胸の痛むような寂しげな顔をしていたように見える。
「結局、お前は自分が労人だと名乗らなかったな」
帰り際、幸村は佐助に言った。
元親と慶次は下り線なので反対のホームにいる。佐助や幸村や政宗の姿を見つけると、人目も憚らずに両手を振った。それに軽く手を振り返しながら適当にあしらおうとした佐助は、ぐりんと幸村を見た。
「旦那今なんつった?」
「は?労人だと名乗らなかったなと言ったんだが」
「誰が?俺が?」
「他に誰がおる」
気付かなかったのか、と逆に問われて、佐助は妙な脱力感に見舞われた。一人壇上の猿芝居も良いところである。じわじわと羞恥が佐助を苛んだ。
「…いつから?」
「何と無く口調とか…誘ったときはもうはっきりしたな。ついてきてくれと頼んだとき、お前は『嫌だ』じゃなくて『いい』と言った。当事者は某なのにまるで自分のことのように」
「も、もう言わなくて良いから!俺様が墓穴掘ったってことは充分わかったから!」
これ以上自分の間抜けさをひけらかされて平然と開き直るほど、佐助は馬鹿になりきれない。少し離れた場所に立っていた政宗が、Ha、と空気を吐くように耳を押さえた佐助を笑った。政宗は途中で環状線に乗換えるのだそうだ。
「情けねぇな、保護者が丸め込まれちゃ、」
「うるさいな」
どうも佐助は政宗と折り合いが悪いらしい。幸村が殴られた件で随分お互いに敵意を持っている。
「大体俺はまだアンタのことを許した覚えはないよ」
「お前に許されるようなことをした覚えもねぇけどな」
「このガキ年上をお前呼ばわりかよ」
幸村は口を挟まない。ただ複雑な顔をして二人を見ていた。
*
籠から溢れた袋をハンドルにぶら下げ、佐助は惣菜目当ての主婦が賑わう狭い商店街の中で自転車を押して歩いていた。
ここは大学から比較的近い商店街である。ここから家まで、決して近いとは言えないが、電車で通うと帰りがけに夕飯の用意が買えなくなってしまうのだ。必然的に夕飯の時間が遅くなってしまうがそれはもう詮無きことである。幸村に空腹をひたすら耐えてもらうしかあるまい。
その帰途に、高校がある。後見人の話によれば幸村が通う手筈になっていた学校だ。なかなか生徒数の多いこの学校は屋上にプールのある少し変わった学校で、夏になると異様な熱気に包まれるという。設備がまあまあ良いことを売りにして毎年生徒を呼び込んでいるらしいが、真相は入った者にしかわからない。この慶次の情報が確かなら、それはそれで探り甲斐のある楽しそうな学校だが、何で幸村は行くのを嫌がっているのやら。まさか制服が嫌だとかそんな小さなことを気にしているわけでもなさそうである(この学校の制服は無難に学ランやブレザーで、服装に関して佐助が呆れるくらい無頓着な幸村が学校を嫌がる理由には遠く及ばない)。
部活を終えた時間帯らしく、些か疲れた顔をして生徒たちが、自転車やら徒歩やらバスやら、思い思いの帰路に着くために校門から出てくる。薄闇で、しなびた街灯が不規則がちに点滅する中で見るその様は、ゾンビかキョンシーの群れに見えなくもない。
それに佐助は違和を感じた。彼らの着ている制服、どこかで見たことがあるような…
「あ?」
「あ」
そうだ、オフ会のとき、こいつは制服を着てきやがったんだ。一見どこの学校も同じに見える学ランを纏った政宗に、誰だ学ランなんて見分け難いもの考えた奴、と佐助は額を掌に押し遣り、項垂れた。残念ながら、幸村がこれを着て見せてくれたことは一度だってない。
「何でお前がここに居んだよ」
「相変わらずその憎たらしい口はよく回るね。俺様がどこにいようとアンタには何の関係もないでしょ」
ばち、と首元に電気が走ったような錯覚を覚えた。政宗は実に不愉快そうな顔で佐助を睨めつけた。佐助も負けじと睨み返す。交錯する敵意を遮らないように、哀れにも生徒たちは縮こまって逃げるように帰ってゆく。
「いちいち保護者面してあいつの前に立つなよ、見苦しい。あいつのこともろくに知らない癖に」
「悪いけど、昨日今日旦那と知り合ったばっかの癖にしたり顔しないでくれる?アンタに旦那の何がわかるっていうのさ」
「したり顔してんのはどっちだよ。中途半端に知ってるだけで全部わかった気になんなよ」
「何も知らないよりはましだと思うね。少なくともアンタより」
どちらも、どれだけお互い不毛過ぎる話をしているか、気づきもしない。あるのは幸村という槍玉と、こいつにだけは譲れないという、年端も行かない子供と同じレベルの意地だけである。
「知らない癖に」
佐助はぎくりとした。その音を聞くと嫌な気分になる。
「あいつが何で甘んじて俺に殴られたか、知らない癖に」
悔しげに政宗は佐助を見る。内心の動揺を押し殺し、佐助は政宗をせせら笑った。
「何それ。冗談のつもりだろうと笑えないね。誰が、アンタが旦那を殴った理由なんて知りたいって言ったのよ。旦那の気持ちは何であれ、アンタが旦那を殴ったことに変わりはないだろ」
「寡聞も盲目も良くないと思うぜ、似非保護者。親は自分の子供の教育でもしとけってんだ」
「…アンタに旦那の何がわかるっていうのさ」
誰ともなく言い聞かせるように、佐助は繰り返した。
忌々しい。こいつに幸村の何がわかるというのだ。例え自分だけが取り残されようとも、その後も携帯電話を欲しがるような素振りなど一切見せなかった、佐助ですらまだ全貌を知らない(所詮他人を理解するのは限度があるにせよ)あの変わり者を、誰が解すというのだ。
誰も彼を知りはしない。また、彼も誰かと交いそうなどとしない。彼は他方面から見ても孤独だ。
「誰があいつの全部を知ってるって言ったんだよ。No way…お前だって知らねぇだろうが」
「………」
奇しくも自分で言ったように、政宗が幸村と知り合ったのは昨日今日と記憶に新しい。けれど佐助も知らない幸村がいるのは当然で(そして幸村の知らない佐助が存在しているのもまた然り)、その当たり前を初めて佐助は言葉で認識した。その機会が政宗に与えられたことが殊更に忌々しい。
「お前、知らないんじゃなくて知りたがらない横着なだけだろ」
幸村が剣道をやっていたと知ったとき、追及されることを倦厭していた彼に食い下がらなかったのは間違いなく佐助だ。しかしそうまでして人との境界を曖昧にすることを厭がっていたのは佐助自身なのだ。
何と無く、自分が『労人』として名乗りあげたくなかった理由を当てられた気がして、佐助はその境界を踏み蹂られたと理解した。
そして佐助は、殺意がこうも呆気無く沸き上がるのだと身を以って知ることとなる。