目を瞑りたい人、逃げている人、自分の殻に閉じ籠っている人、避けたい人、怖い人、いろんな人が集まった。
さもありなん、ここは淋しい人が集う場だ。




*




出されたクッキーやケーキなどの茶菓子に、幸村は困惑した。初見印象や今見ている内装は、こんな洒落た洋菓子が似つかわしくないほどにどこまでも荘厳かつ物静かな長屋で、そこの主だという人間もいっそ冷たさを感じるくらい無表情であった。どう見ても紅茶よりも抹茶や餡の方を好みとしていそうな。それでも味はどれも引けを取らない。寧ろ甘味が好物の幸村にとって、どちらにせよ、願ってもいない歓迎振りだ。いつもなら食べる量で口煩く横槍を入れてくる佐助も、今は質問攻めに遭っている。災難だと思いつつも、自分への都合の良さと他人事めいた客観視はどうしても抜けない。そしてそこに甘味の程良い甘さが舌に広がると、もうどうでも良くなるのだ。
やはり甘味は何物にも代えがたい最高の癒しだ。幸村が顔をだらしなく綻ばせていると、隣の呉座に座る人が一人。


「美味いか?」
「毛利殿」


先に述懐した長屋の主が彼、毛利元就である。端正の過ぎた顔立ちと左右に軽く流した涼しげな髪の毛と、何より切長の目が、一線画した近寄り難い雰囲気を漂わせている。その姿も、着物。叙景に溶け込むかのようなそれに圧倒されながらも幸村は軽く会釈した。承知したように元就も一瞬だけ瞼を瞑る。


「某、このようなもてなしを受けたのは初めてでござる。甘味には目がない故、実に有り難き処遇、改めて御礼申し上げまする」
「そう硬くならずとも良い。気に入ったのなら何よりだ」


両手にはしたないほど菓子を積んだ皿を持った幸村とは対照的に、元就は湯呑茶碗ひとつだけ。湯気と苦味の混じった茶の芳香がふわりと鼻をくすぐる。幸村は目を細めた。


「濃茶でござるか」
「わかるか」
「知識はお恥ずかしいながら言うほどに。ただ、父が茶器を集めるのが好きで…」
「健勝か?」
「生憎、父とは何年も顔を合わせておりませぬ。仕事に励んでいるのでしょうが、今どこで何をしているのやら」


というか、父について知っている情報は全て幼い頃の話だ。後見人の動かす企業の傘下にある子会社の幹事をしているだとか(兄談其の一)、極寒地域で石油でも掘っているだとか(兄談其の二)、眉唾ものの逸話が吹き込まれたまま修正もされずに頭の隅へ置かれている。もしかしてどこぞで野垂れ死んではいないかと危ぶんだのは、授業参観で自分一人だけ誰も見にこなかったという寂しい苦汁を呑んだときの一度だけだった。それ以来、父には必要以上の期待も失望もしなかったけれど。
見掛けよりもずっと物事へ頓着のない幸村をどう見たのか、元就はそうかと言って気まずげに茶を飲んだ。何か不味いことでも言ったのだろうかと幸村は不安になり、結局人の顔色を窺うことすら叶わずにクッキーを口に入れる。ヘーゼルナッツとスライスアーモンドの香ばしい風味は相変わらず鼻を通るが、少し味が落ちたんじゃないかと眉を寄せた。


「…そういえば、毛利殿が掲示板へ書き込んだのは何故か、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「……大した理由などない。長曽我部の奴とは馴染みでな、この茶番劇に付き合ってくれと頼まれた。あの掲示板における一種のサクラだ」
「サクラ…」


元就の自嘲的な物言いが僅かに引っ掛かる。
正直サクラが何か、いまいちわからない幸村であった。花のあれでないと雰囲気で理解したにしろ、後で佐助に聞いてみるかと思った直後に、自分の知りたくない知識まで耳に入れそうな予感がして止めにしておいた。こういう嫌なことに関する勘は、日頃から冴えている幸村の勘の中でも一際良く冴える(トランプのばば抜きなどしょっちゅうその勘に頼って勝つ)。危機回避本能とでも言うのだろうか、顎を叩き割られたあの日から更に鋭くなっているような気がしてならない。可も不可もなく押し付けられた筆舌に尽し難い痛みを思い出し、幸村は唇を噛んでうつ向いた。


「どうした」
「いえ、少し食べ過ぎたようで」
「ふふ、」


軽く笑ったように肩を揺らした元就に、幸村は驚いた。


「そ、某何か粗相でも…?」
「いいや、久し振りにこのような人数に会したものだからな」
「はあ…」


幸村はまるで湯呑を酒瓶のように酌み交す元親や慶次と、現在も巻き込まれている佐助を見た。その三人の様子に、幸村はそろそろ彼らが佐助を労人と気付くのではないかと期待した。


「…あの猿飛とやらが、素性を明かさない理由を聞いたか?」
「……いえ、佐助には佐助の都合というものがありましょう。無闇に詮索されたとて、素直に口を割るとも限りますまい」
「あの、人を侮っているように見えて慎重な態度、『労人』なる者と同じだ」
「…………………」


全く、元就の洞察力には目を見張るものがある。幸村はぱちぱちと瞬きをして元就に目をやり、再び佐助を見た。人を見る目があるのだろう。元就はまた湯呑を仰いだ。


「楽しいか」
「ええ、まあ」
「人と会うのは、そんな楽しいものなのか」


幸村が外界の介入を絶ってからまだ数ヵ月と経っていない。しかしほぼ毎日佐助と話し、笑うその繰り返しは、普通の生活をしているときとあまり変わらない。一人になれば別だろうが、人と会うことが楽しいものかなど、幸村にはわからない。
幸村は今度はちゃんと元就を見据えた。彼はまた無表情に戻っている。


「ここにいる大半が、お前とは違い立場を確立している者らだ。何か思うところはないのか」


意地の悪い言葉だ。幸村は元就の静か過ぎる目を見つめた。


「…某が知ってるのは掲示板の中の御仁でござる。今日逢ったあの方らの一部にござる」
「飽くまで一部か」
「介するのは無理でござる故」
「確かに、あれらとお前は何かと縁がありそうだな」


幸村は顔を歪めた。


「特にあれは、お前に怨恨を抱いているようにも見える」


面白そうに、しかし相変わらず無表情で、元就は席を立った。元就の視線を追って幸村は、隻眼の男と目が合った。





*




恨まれるような覚えはない。また、そんなことをしたような覚えもない。何せ他人といざこざを起こしたのは少なくとも幸村が中学生のときである。あまりの心当たりの無さに、訝って幸村は密かに眉を寄せた。
だから、こんなことを言われても困る。


「俺を覚えてるか」


相手は明らかに不機嫌だった。不機嫌を通り越して今にも殴りかかってきそうな剣幕である。勿論幸村に非があろうと、身に覚えのない内には大人しく殴られるつもりなどない。しかしトイレから帰ってきた途中に捕まった経緯は、どうにも頂けない。不良というものに絡まれたことがないが、こういうものなのかとやけに別次元に思考を飛ばしていられるのは、恐らく相手に害意がないからだ。だからといって、覚えてませんごめんなさいとそのまま口に出せば逆鱗に触れるのは火を見るより明らか。
どうしたものかと幸村が首を傾げると、頬を張られた。どうやら覚えてないのだととられたらしい。いや、その通りなのだが、いきなり脳を揺らされるような一撃は勘弁して欲しい。まだ目の前に星が回っている。


「い、っつ…何をされるか!」
「Fun、俺が受けたのはそれの何倍だと思ってんだ」


重い張り手だった。何か運動をやっているのか。そういえば身のこなしもどこか洗練されているように思える。思えるだけかもしれないが。
それでも、幸村に心当たりはない。相手の剣呑な空気に、胸の中に疑問の靄がうっすら忍び込んできただけだ。


「申し訳ござらぬ。某、そなたの気に障るようなことをしでかしたので?」


今度は拳で殴られた。倒れた拍子に大きな音を立てた後で、幸村はほぞを噛んだ。物音を聞きつけて人が集まる。