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〉信繁見ぃつけた!
〉あーあ、俺もあとちょっとだったのに。
〉あと誰が見付かってない?
〉労人と…労人だな。
〉二回言った!
〉うるせぇ。
〉じゃあ全力で探してやるよ!
〉うわ、慎んで遠慮するし。
〉某も探す!
〉あっそ、頑張れば?じゃ、そろそろ落ちるわ。
*
ふとため息を吐いて椅子にもたれかかる。背もたれの部分が危なっかしくしなった。大学の構内、無用心にも置きっぱなしにしていたノートパソコンを閉じて椅子にのしかかり、寂れた蛍光灯を仰ぎ見る。
大変なことになっちゃったなぁ…。まさかこんなことになるとは思わなかった。
佐助の言うところのこんなこと、を説明するには、少し時を遡らなければなるまい。
佐助が覗いていたとある掲示板、実はついこの間幸村がインターネットを繋ぎたいと騒いだ原因の、区内在住限定の引き篭り交流掲示板である。しかし佐助は立派に大学へ足しげく通っているしがない大学生であり、勿論引き篭りではない。
一応書き込んだ手前言われても仕方ないし、そんな不名誉な、とは、幸村を見ているから言えないが。
ある日、掲示板の管理人である碇が突然言い出したのだ。
『かくれんぼやらねぇか?』
と。
「はあ?」
深夜、幸村が寝静まってから開いたパソコンの画面に、つい間抜けな声を呟いたものだ。文頭の下に、珍しく長々と碇の書き込みが続いている。
『っていうか、かくれんぼっつーかまあ、俺はオフ会みたいなのがしたいんだけどよ、ただ会うのもつまんねぇじゃんよ?だからさ、少しずつヒント出し合って相手の住んでる地区を当て合うんだよ。わかったらそいつにだけ、「そこってどこどこじゃねぇ?」って具合に。当たったら見つけたってことでさ、全員見付かったら改めてオフ会。面白くね?』
何が 面白くね? だよ。またも佐助はパソコンの画面に向かって毒づいた。
この碇という人物は、どうやら短慮が目立つ。佐助は人を自分のペースに巻き込むこの人物を些か好いてはいなかった。
しかし、更に下へ続く数々のレスが、佐助の頭痛を助長させた。
『信繁
面白そうでござるな!』
この口調は言わずもがな、幸村である。生後幾許かに命名される以前、幸村という名前以外に、信繁という名前が候補に挙がっていたことを理由につけたのだと、初めての書き込みに興奮しながら幸村本人が嬉しそうに言ったのだから間違いない。そういえばこいつも短慮だったと考えもなしに言ったであろう幸村を恨めしく思う。
そもそも佐助は書き込みをしようなどとは当初考えていなかった。幸村の言動がマナーに反していないか(その逆も然り)、それとなく見張っているつもりだったのだ。掲示板に書かれた中身は他と変わらずそれこそ下らないものばかりにも関わらず、佐助はいつの間にか『労人』として掲示板に書き込んでいたのだった。
「あーあ、困った困った」
佐助と同じく、プライベートにまで踏み込みたくないと思っていそうな人間がいるからこそ、飽くまでオフ会の話は夢物語で終わると思っていた。それが何の気の回し様か、頼みのそれまでもその話に乗ってしまったからには佐助の仲間は最早いなくなったと見て良い。佐助のささやかなる反発は結局肩透かしに終わり、そして今に至る。
誰だ多数決制度を導入した厄介な奴は。
幸村が見付かった以上、そして、まだ(この表現を使うのは大変遺憾である)隠れているのが佐助のみになってしまった今、佐助の最後の意地を打破しようとする輩の矛先は全て自分に向くだろう。
ていうか一緒に住んでいて何故幸村はわからないんだ?持ち前の勘の良さも習慣の前には形無しなのだろうか。
佐助は由無事を考えながら画面をスクロールさせる。
『碇』、『信繁』、『労人』、『恋大好き』、『HYPOCRITE』、『庭苑』の六人の内、佐助は二人について既に知っている。ご存知幸村と、『恋大好き』。
後者はハンドルネームや調子から、女性と思われがちかもしれない。恐らく本人もそれを敢えてわかっていて面白がっているのだろう。佐助の学友だ。幸村がインターネットを繋ぎたいと騒いだとき、色々助言をくれた気さくな男である。彼も決して引き篭りではない。
そういえば、碇と庭苑もどこかで知り合っていたに違いない。佐助が当てにしていた人物の一人であるそれは、碇の話に抵抗は見せなかったもののやはり乗り気ではないらしく、碇が最初の在住地区のヒントを出したその日に、さっさと見付けたと宣言してからは、もう勝手にしろと言わんばかりに沈黙し続けていたのである。一区内とはいえそこそこ広いここでよくあっさりと見つけたなと半ば感心していたのだが、自分といい、学友といい、どうも引き篭りということを前提としたこの掲示板は、どこか歪だ。
「ううん、どうしよう」
いっそ幸村に言ってしまえば良いだろうか。しかし、引き篭りではないにも関わらず、身分を偽って書き込み続けた自分に幸村が良くない顔をするのは目に見えている。
面倒だな、と思った矢先、ポケットに入れていた携帯電話が震動した。ディスプレイを見てぎくりとする。家のパソコンからのメール。幸村からだ。
*
母の味なる肉じゃがを夕餉に食べたい。
百字にも満たない、簡素を通り越していっそ短すぎる一文に、佐助は当てが外れて嬉しいやら悲しいやら複雑な思いを抱いた。
幸村は携帯電話を持たない。日がな家にいて外出することなど月に幾許かしかないのだから、さして必要になるまい。幸村は寧ろ傲然と言って退け、やはり必要とする素振りも見せない。しかし外出する場合、幸村は運動不足の解消にと路線に沿って4駅ほどを走って往復するものだから、佐助の心配は尽きない。一応身柄を預かる身として監督不行き届きの汚名はごめん被りたい心情である。何より幸村は社会的立場を若くしながら放棄した世間知らずだ。誰ぞ人様に迷惑をかけた場合の穏便な対処法を知らないに違いない。佐助でさえも時折顔をしかめるほど、空気の読めない奴なのだ。おまけになまじ言っていることが外れていないだけに、招く厄介の規模は生半可ではない。
ていうか、母の味を肉じゃがと結びつけるなんて安直過ぎね?
そう思いながら糸こんにゃくをかごに放る。勿論肉じゃがに入れるために。昔から、つくづく甘いと苦笑い。
ひやりと野菜臭い空気を抜け、惣菜売り場を抜ける。今日の献立は良しとして、明日は豚肉の梅煮にしよう。みりんや醤油はあったが確か酒は切れそうだったなと奥様もびっくり免許皆伝の主夫業を披露しつつ、ボトルとかごを持って佐助はレジへ並ぶ。
「あ、猿飛」
「ありゃ」
レジを打っている長身の男が、のっぺりと佐助に言った。『恋大好き』こと、大学の同窓こと、前田慶次である。鬱陶しい、黒々並々とした長い髪を高いところでくくり、人好きする愛嬌のある目がぐりぐりと佐助を射抜く。
「お前まだ見付かってないの?俺が名乗り挙げてやろうかい?」
「せこい真似じゃん。アンタが甘んじてするわけないでしょ」
「はは、よくわかってるねぇ人の性格を」
「、にしてもアンタも人並にバイトすんだ」
「自分の遊ぶ金くらい、自分で稼がねぇと」
「単位は良いの?」
慶次は苦笑した。
風来坊と誰かが彼を評するように、彼はよくふらりと姿を消していた。それがあまりに酷いものだから、実は単位をもらえなくて一回やり直している。中高はたまた受験ですらも、当日勉強で事足りるほど要領が良い癖に、日数が足りなかったのだ。今彼は叔父叔母の家で世話になっているというが、そのときは目も当てられないほど非道く叱られたらしい。
まあ自分には関係ないと、佐助は黙々とかごに荷物を移す慶次を見ながら財布を握り締めた。
「そうか。慶次殿があそこのスーパーに」
暫くあそこには行けぬなとじゃが芋を突付きながら残酷なことを平素と変わらぬ顔で宣う幸村は、慶次を好まない数少ない人間の一人である。まあ、慶次が自分で招いた結果なので、無闇やたらに嫌うなとたしなめることもしない。幸村をしつこくからかった慶次が悪い。
「ところで佐助、今度の日曜は暇か」
「え」
佐助は眉を寄せた。その日は、オフ会の予定日である。しかし佐助がそれを知っていることを、幸村は知る由もない。思わず旦那オフ会に顔出すのと渋い顔をしそうになり、慌てて顔の皮を引き締める。
「なに、どっか連れてって欲しいの?」
「連れてって欲しいというか…行く場所は決まっているのだ。ただ、初めて行く場所なんでついてってくれないかと…」
「へぇー」
「某が看る限り、一人来れないかもしれぬ。その穴にお前がいても、皆快く輪に入れてくれると思うのだが…」
一人来れないというのは、間違いなく佐助が見付からないと判断していることを指している(佐助も見付かる気など更々ない)。その穴に、幸村は佐助を友人として入れたがっているのだ。本末転倒も良いところだ。
「良い。俺様行かない」
「そ、某が粗相をしないか見てて欲しいのだ!」
普段自分を貶めない幸村は、しかし今回ばかりは何が何でも佐助に同伴して欲しいようだ。幸村が大抵会う人間なんて毎日顔を合わせる佐助とその他極少数の限られた人間と相場は決まっている。久方振りに初対面の人間と会うのは、不安なのだろうか。
佐助はため息を吐いて天井を仰いだ。電灯の柔らかい光が目に痛い。つくづく、甘いと痛感する。