ある程度、自分らが自由勝手ができるということは、それほど伊達の機密を漏らさないという大した自信の表れか、それともこちらの情報収集力が侮られているのか、ふふん、と佐助は意味深長に笑った。
あまり長滞在をするつもりではなかったのに、突如の吹雪で足止めを食らわざるを得なかった不承を、佐助は密かに安堵している。
「あ、竜の旦那」
「Guestとして扱わせてるが、あんま目立った行動はすんなよ。うちは血の気の多い荒くれ共が多いからな」
「それは俺じゃなくて旦那に直接言って欲しいなあ」
「An?」
「ていうか、旦那見てないかな」
政宗は寒いのか、片足をふくらはぎに擦りつける情けない格好のまま、珍妙な顔をした。
*
通された部屋は、やはり政宗の私室ではないようだ。生活感の馨がまるでない。すん、と鼻を鳴らし、季節にそぐわない新しい畳の匂いを嗅ぎ取る。けれど塵埃の気配はなく、よく施された手入れの涙ぐましい苦労がただ、そこに鎮座する。座れよ、と政宗は言ったが、座布団のひとつもない。嫌味かと思わず内心で剣呑になりそうだった佐助に構わず、政宗も直に座る。上座下座すら、この部屋には存在していないのか。佐助は注意深く周りを観察し続けた。
「生憎こっちで幸村は見てねぇ。っていうか、お前幸村から目離してたのかよ」
「こっちだって何かとやることはあるんだって」
「Humm、他の供回り共と一緒に、厩の掃除でもする気だったのか」
わかってるくせに、嫌な奴、と佐助は毒づく。勿論胸中でひっそりと。
恐らく政宗は、佐助が何故幸村とここを訪った理由について、当たらずしも遠からずな場所を触っている。それは、最初の日に幸村と二人で語らったであろうときから態度に滲み出ている。
「これからどこかと戦じゃねぇのか。随分ゆっくりだな」
「この雪の中、甲斐まで無事に辿り着ける手だてがあるなら寧ろこっちが教授して欲しいね」
お互い憎まれ口や揚げ足は、もう慣れた。初めは引っ掛かってた誘導尋問も、何かを思わず避けられる。お互いの一線を守るため。
戦場に立てば政宗にとって佐助は幸村の前に立ちはだかる邪魔者だし、佐助にとって政宗は幸村の命を欲しがる害虫だ。尤も、幸村にとって政宗は、例えどちらかが他方の命を奪っても仕方が無いと認めるほどの存在だし、幸村にとっての佐助は、(恐らく)(多分)(きっと)身の内を開けるに惜しみない、頼れる存在ではなかろうか。では、政宗にとっての幸村は、果たして幸村が政宗に向ける、戦いの中においてのみ存在する友愛と同じものを抱いているというのだろうか。この男が。
「ところで忍び、お前に訊きたいことがあるんだが」
「旦那がこの城に留まってるって保証があるなら聞くよ」
「幸村が、お前を残して臆し逃げるような奴じゃなきゃ、いるだろうな」
憤然とした気持ちが一瞬で広がったが、それが消えるのも一瞬だった。幸村が敵前脱兎など潔しとしないのは明白ではないか。況してや好敵手の目の前で。
「俺様が応えられる限りなら、さあどうぞ」
「お前が元服前の幸村から仕えていたことを前提に聞くが、」
「あ、軍事機密は拷問されたって口割らないから」
「んな野暮なこと聞くかよ、話の腰思いっきり折りやがって。で、お前の目から見て、餓鬼の幸村はhumanだったか」
「ひゅーまん…あ、人って意味。…ってどういうことさ」
そのままの意味さ、と政宗は懐から細長い筒を取り出す。煙管だった。火種をそれの口に入れ、煙を目一杯肺に吸い込み、ゆるりと吐き出す。その所作を佐助は些か倦厭した。煙の臭いがついてしまうではないか。
佐助はもう一度政宗の言葉を反芻して、噛み砕き、呑み込んだ。それでも意味がわからない。人間でなければ何だというのだ。妖魔の類とでもいうのか。
「ちゃんと五感も正常だし、子供らしいっていったらそんなお子様だったね、旦那は。この答えで満足なの」
「No…思考回路はどうだった」
政宗は自分のこめかみ辺りで指をくるりと回した。
要領を得ない政宗の問答に、佐助は眉間に渓谷を作る。
「竜の旦那、何が訊きたいのかはっきりしてくんない。俺様下らない謎かけは好きじゃないんだ」
「Humm…じゃあ率直に訊くが、お前から見た真田の家は、幸村を真っ当な人間として育てる気があったのか」
佐助は苦い顔付きをした。この男、どこまで真田の内情を把握しているのか。
「俺だって育ちが良いわけじゃねぇけどな。少なくとも、一人の人間に尽くして死ぬような人間なんぞ、碌な育ち方してねぇんだよ」
あれは捨てられるのを恐れているんじゃないかと、言外に訴える。佐助はそのように感じた。それは、そんな思いが一縷でもあったからなのかもしれない。
反論しようと口を開けるのと、騒がしい足音が部屋の前で止まり、襖を開けるのは同時だった。
「佐助佐助、見ろっ、わかさぎだ」
「公魚…」
「片倉殿に連れて行ってもらった。やはり氷の上は冷たいな」
手に握られた小さな魚は、とっくの疾うに息絶えている。加減のない力で握り込まれたのだろうか。すこし曲がっている。
ここにきてから珍しく、明るい表情で幸村は佐助にへらりと笑った。幸村の言葉を汲んで足元を見ると、霜焼けやあかぎれで血だらけになっている。畳をも赤黒く汚してしまっていた。
これは、ここに仕える侍女らに大変申し訳ないことをしたんじゃないかと、佐助はどこかずれた思考を絶った。
「旦那、防寒具は」
「あんなもの、暑くてつけていられぬわ」
この季節に暑いという言葉ほど似合わないものはない。どこが暑いのだろう、こんなに鼻を赤くして、爪は紫に変わって、雪の落としきれない体を寒さに震わせて、どこが暑いというのだろう。
振り返ると、どうだと言わんばかりに政宗が佐助を見ていた。
いえなきこ、おやなしこ。