罰葬    戦葬    哀葬    毒葬    腐葬
声葬    危葬    幼葬    救葬    花葬



罰葬

あのお方が夢半ばにしてお家共々潰えたのは、そう遠くの話ではない。
一命をその場で取り留めたものの、それが元で膓に傷が届いたのだ。ついてしまった傷など(況してやそれが膓にまでも達してしまった重傷など)、医者の知識もない忍の私なんかでは、手当ての施しようもない。深い傷を負った仲間は、切り捨てるのが道理なのだから。
だけれど、遣る瀬無さが胸の内を暴れ回り、私は部下にも自分にも血を吐きかけたあのお方を呆然と見ながら唇を噛みきった。ぶちりという鈍い音が口内に広がり、口の端から液体が流れ出す。
なんと私は役に立たないんだろう!役に立ってみせると意気込んだ私は、結局何の役にも立ってないではないか!何もできない悔しさがひた走る。
無神論を掲げる私は、なれどすがってこのお方が助かるのならいくらでも神仏を信望する。私は、私は、それほどまでにこのお方の心臓が止まるのを強く恐れているのだ。
血が、止まらない。あのお方の顔はいっそ美しいくらい青い。私は頭の血が引く感覚を感じた。私の大事な人が死ぬのをむざむざ見守るしかないのか。これは、なんの報いだろう。
私の脳裏にかつての里にいた人間の顔が過ぎった。















戦葬

エゴとやらが、自らの我が儘すら死滅したと思った自分に根付いていることに、佐助は非道く嫌気を催した。忍が人間的でいて何とする、と、かつて師として仰いだ老人に諫言を言われそうである。
それでも佐助はすがらずにはいられなかった。


「旦那今何か甘いもの食べたいんじゃない?」
「…汁粉が食いたい。だがあれは冷めたら不味いからな」
「…、じゃあ、団子が良いよ。冷めても不味くはないでしょ。どこの団子が食べたい?戦が終わったら買ってきてあげるよ」


主は何も言わずに立ち上がり、傍らに立掛けた槍を手にした。やけにその背中が眩しい。


「嗚呼、何なら旦那が好きなとこが良いんじゃない?何だっけあそこ、」
「松埜屋」
「そうそう、そこそこ。そこのみたらしとおはぎ、後、」


突如主は背をぐぐっと伸ばし、何事かと身構える佐助に言った。


「汁粉が食いたいなぁ…」
「…」
「汁粉が食いたい」


佐助は何とも居た堪れない気分になった。鷹揚なまま主は笑っているというのに、物凄く。


「…じゃあ食べに行こ?付き合うさ、どこへでも」
「いいや、お前はここまでだ」


主は笑う。鷹揚に。
嗚呼駄目だ。あの世ばかりが待つ先に行っては駄目だと思えど、止めれば則ち主を殺すことになる。佐助はどちらも耐え難かった。


「…、何か、大将に伝えたいことは、」
「帰ったら言う」


力強く主は言った。槍の素振りを一振り二振り。しかしそれも、いつものキレはない。にも関わらず、


「早く行け。今日まで、今まで愉しかったぞ」


潔い背中だった。















哀葬

あはは、と夢に出てきた主は口を三角に開けて笑っていた。


「何だお前まだ引きずっておったのか。お前も案外肝の小さい男だな」


物言いにはむっとくるものがあった。いくら当事者だからといっても、無神経が過ぎる。いや、当事者だからこそ無神経でいて欲しくない。


「気にするな」


気にするなと言われたって。


「俺が居たら駄目で、お前だけなら大丈夫だったんだから」


だとしても。そうだとしても。それが悲しいほど正鵠を射た言葉だとしても。


「お前が気に病むことなど、どれを取っても何一つない」


だからといって易々と引き下がれる問題ではない。況してや、それが取り返しの付かない結果を招いてしまった。


「気にするな」


気にするなと言われたって!
佐助は目が覚めた。寝汗を非道く掻いている。
何故無理にでも供にならなかったのか、身一つで転がり込んだ陣内で佐助は泣いた。初めてだった主を見殺しにして帰る忍の辛さをもっと煩く言っていたら、佐助はここにはいなかった。















毒葬

あなたは恐ろしい。
そうして、じわじわと蝕むあなたは恐ろしい。
独眼竜も、風来坊も、海賊も、何よりこの俺も、あなたに依存してしまっている(状はどうであれ)。それでも憎めないのは、あなたに他意がないからだ。
恐ろしい人。
離れるなんて考えを、根刮ぎ奪うのだから。嗚呼もう離れられない甘美な大麻のよう。















腐葬

ある人が変な笑顔で言った。


「死なないでよ。後から死体を掘り起こすなんて真っ平なんだから」


笑った。笑うだけにしておいた。それだけで言わんとすることを汲み取られるほど、自分達はかなり長い間を共に過ごした気がする。手を振ったが、振り返してはくれなかった。
ある人が刀を向けて言った。


「なるべく綺麗に死んでくれよ。剥製にして取っといてやる」


妙な趣味を持った人だ。人間の剥製なんか、あっても仕方なかろう。そう言うと、お前の体をworthless共に踏まれて堪るかと返された。成程。わかる気がする。理解はできないけど。
あるお方が言った。


「お主にはまだまだ働いて貰わねばなるまいのぅ」


感涙で前が見えない。そして、その言葉を叶えることができないことに、心から詫びた。あのお方が痛ましそうに笑うのが、何より心苦しかった。
ある人が怒ったように言った。


「死にに往く気分はどんな感じだい?」


悪くはない。そう言って笑ったら、沈痛そうに顔を歪めた。雨が降っている。なのに雨垂れの音は一切聞き取れない。アンタは残酷な人だよ。首を傾げる。
ある人が言った。


「元気でな」


船の上から、悲しそうな顔をしながらも手を振ってくれた。ありがとうござりますると頭を下げて礼を言うと、少しだけ笑ってくれた。そのことに情けなくも、救われたような気がした。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。あなたのために生きられなくて、綺麗に死ねなくて、あなたの意に添えなくて、あなたに嘘を吐いてしまって、悲しそうな顔をさせてしまって、ごめんなさい。
朽ちた土の下から、今も貴殿方を見守っています。















声葬

雨が降っている。響みが叩きつける雨粒により、体に広がる。ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた、響みが広がる。
呼んでみる。口から出た音の頼り無さにも気付かないまま。


「佐助」


ぱたぱた、ぱたぱた、雨粒は体を叩く。


「佐助」


雨は体温を拭い去る。寒い。この上なく寒い。体の末端から震えが走る。歯の根が噛み合わず、がちがち拍子をとった。かたかた、ぱたぱた、かたかた、ぱたぱた。


「…何故来ぬのだ、佐助…」


気が付けば吐息は白くなっていた。呼吸の方が、声よりも響く。歯の間から呼気が漏れる。
かたかた、ぱたぱた、ひゅう、
かたかた、ぱたぱた、ひゅう、
かたかた、ぱたぱた、ひゅう、


「寒い…佐助…」


幸村の頭上には雨を遮るものもなく、雨晒しのまま、幸村は目を閉じた。口ばかりが名前を呼び続けるが、その音も、もう聞こえない。
雨は万物に激しく降り注いだ。















危葬

戦ほど、犠牲も大きく残酷な賭事はない。何故武力で物を言わせるようになったのだろうか。
この乱世、どこかおかしくないか?
思うだけで決してその言葉は口外にされることはない。口にした途端、自分の中の定義が壊れるような気がした。
無口な性格が幸いしたことに安堵して、小太郎は、今日も戦で人を殺す。















幼葬

かつてふくふくと丸く、子供らしかった顔は、今尚その面影を残しつつも気配はすっかり成を潜めた。佐助がそう感じたのは幸村の元服する前夜であった。
佐助ら忍は例え主であろうと姿を見せることは滅多にない。しかし佐助が初めて仕えることになった幸村はその時分、まだ幼子で、何かとやんちゃ盛りで佐助の姿を探しては遊びをせがんだ。なので佐助は幸村の稚児ながらの人隣は知っているつもりであった。
物静かな夜に、幸村は本を読んでいた。昼中に遠乗りへ出かけて疲れを溜めているはずだが、女中が敷いた布団には目もくれず、本を捲っていた。眠れないのである。佐助は梁の上からそれを見ていた。
元服を終えたら人を殺す道具を持って初陣を果たさねばならない。戦を知らない幸村は、よく知らないでそれの怖さと高揚を想像するしかない。もどかしいのか、慄いているのか。佐助にその区分はよくわからない。


「怖い?」
「…少し」


素直な返答があったことに、佐助は少なからず驚いた。嗚呼これは自分を真っ直ぐ見つめられる人間なんだと思うと、佐助の中にあった初陣で屍肉を晒す幸村は綺麗に消えた。















救葬

後に結束が如何に大切なものなのかを揶揄する三本の矢は、武将が遺した著名な言葉にも挙げられる。それを言ったのは、毛利元就であった。
元親は、地歴の教科書を見て長々とため息を吐いた。何が「結束が如何に大切なものなのか」だ。
元親の脳内に残る元就の人隣は、教科書に書かれているような立派なものなんかではなかった。人を人と見なさぬことはおろか、人を道具としてしか見ないアレこそが最早人ではないと元親は思う。アレは非人である。当時の奴の趣味は人を蹴落とすことではないかと疑ったほどだ。
再びため息を吐く。


「ため息吐くと、幸せが逃げるよ、親ちゃん」
「うるせー。年寄りくせぇ説教は俺の心労を労ってから言え」


ここには過去に相対した人間らが皆いる。なのに、奴だけがいない。複雑な愁いを漂わせる元親に、その内の一人である佐助が笑った。


「いやぁ、そんなに想われちゃって、毛利のダンナも羨ましいねぇ」


話術の得意な佐助にとって、下手な言い訳などは手玉に取られる餌に過ぎぬ。それを痛いほど思い知った元親は、徐々に擦り減っていく理性を総動員させて反論を起こさなかった。
もう一度教科書を眺め、胸中で呟いた。心にもないまま言った言葉が後世に残ったから、奴は恥ずかしがって、この世へと出てくるのを厭うたのかもしれない。それとも、まだ転生を許されないというのか。
奴は、奴の心はいつになったら休まり、癒え、慰められ、報われるのだろうか。
いつになったら元親は奴に会えるのか。会ったら笑って、


「今度はちゃんとした全うな人生を歩めよ。俺もやってみるからさァ」


とか格好つけて言ってやるつもりだったというのに。
愁いが確実な不安に換わりつつある。嗚呼誰か、奴を捕まえてきてくれ!















花葬

にこり、と笑って差し出されたのは、どこに咲いていたのか、花弁の汁に下剤作用のある毒が入っているものだ。佐助は意図を測り兼ね、怪訝そうな顔をして、花束を持つ幸村を見返した。


「…え、何これ。俺様への宣戦布告?」
「どうかしたのか?」
「いーんや、何でもなーい」


相変わらず幸村はにこやかな笑顔で佐助に花束を向けている。これはもしかしなくても、佐助のために摘んだ花なのだろうか。佐助は顔を微かに引き攣らせた。


「どこで摘んだの、この花」
「今日はお館様の鷹狩りにご一緒させて頂いた。これは行き道に見掛けたのを、帰り道に摘んできたのだ」
「あ、そ」


少なくとも幸村が佐助を暗殺(というほど隠れたものでもない)しようとしているわけではないようだ。


「腹が減った!今日の夕餉は如何がなものだろうな」
「知らないよ。つか俺が知るわけないでしょ。聞いてくれば?」


佐助は手持ち無沙汰に幸村の手に握られた、萎れかけの花を早々に引き抜いた。幸村は「あ、」と声を上げる。幸村の手が佐助の手にある花を追い掛け、掴む。今度は佐助が切羽詰まった「あっ、」を言った。
むしり取られた汁気を帯びる花びらは、幸村の指に絡み付きながら数枚が風に乗って剥落していった。


「…旦那、夕飯の後で下したくなけりゃあ、今直ぐ手、洗っといで」
「…何故だ?」
「あー!ンもう!」


聞き分けのない子!と佐助は叫び、手に持った花を蹂った。


「あぁぁー!!」


幸村の悲痛な声が大音量で辺りに響いた。


「何てことしてくれるんだ!佐助の人でなしー!」
「人でなし!?」


心当たりのない罵倒に暫し固まった佐助は、わあわあ騒ぎながらバタバタ走り去っていく幸村を呆然と見守っていた。とにかく手を洗わせることだけはしなくてはいけないのだと頭ではわかってはいるのだけれど。
土産を無下に扱われたと感じた幸村とは、どこまでも噛み合わない。