泣葬    信葬    過葬    笑葬    穢葬
壊葬    痛葬    朽葬    守葬    罪葬



泣葬

泣くことによって、アンタが穏やかに安らかに逝ってくれるのなら、体中にある水分の一滴も惜しむことなく目から流してみせよう。けれどアンタは人の情に厚いから、他人の泣き顔を見れば戸惑うアンタが、俺の泣いて汚くなった顔を見たって良い顔なんかしないことがわかる程度には、傍で見ていたつもりだよ。詭弁だけれど。
何で逝っちまったかなんて知りたくないね。どうせ討ち死にだろう?アンタの欲しがっていた死場所は、平穏に包まれた、少なくとも愛すべき凡百の町民が暮らしている日々の中に存在しない場所。血と火薬と緊迫のある喧騒に満ちた、戦の真っ只中で、アンタは痛みを感じるまでもなく死に逝きたかったのだろう。
いつだって真っ直ぐで寄り道も回り道も選ばず、生き急いで死に急いでいったアンタ。太く短くがモットー?馬鹿じゃないの。いつも俺は置いてけぼり。後ろにいる俺に気付こうが気付くまいが、アンタは前しか進めない。知ってるかい?前って書いてすすめって読めるんだよ。まるでアンタみたいだ。
…、ごめん。笑って送ってやれないや。せめて目頭を押さえるくらいは許して。















信葬

初めて逢ったとき、小さな背中とか細い腕を見て馬鹿にしてしまった。実際子供の体力なんてたかが知れているけれど、それでも、人の命を預かるに相応しい器には、見えなかった。初陣かその後直ぐに死んでしまうだろうと、思った(今謝っとく。ごめんね)。俺が何れだけ見当違いな考えを巡らせたか、身の程を痛感させる例は先日も縁側に座って目の前で茶なんて飲んでいたよ、畜生。今は姿どころかその気配すら失せてしまっているのに。
アンタは強かったし、人の命を預かるに、充分十全過ぎる程相応しかった。なのに何で。アンタはここにいて、家の縁側に座って、茶を飲んで、茶請けの団子を催促しないの。何でアンタが重宝していた槍だけを遺して、姿はどこにもないの。余分に煎れてしまった茶のやり場を、どこと定めれば良いんだよ?
居るのが当たり前で、それと同じくらい自然にアンタは死んでしまった。家の中は嫌に静かで、名残のひとつも消されてしまって、あんなに騒がしかった家は嘘のように絹擦れも物音もしない。知らない家に居るような気分で俺は今日も無為に空を見上げている。傍らに団子、傍らに槍を置いて。
信じて良い?アンタは幸せだったって。















過葬

ただ…そうだな。
アンタが騒いでいないと、ここの城下の活気も薄れて見える。それが僅少物足りないだけだ。
もう戻らないように思える活気を惜しみ、足しげく通うような親しい間柄でなかったことを悔み、一潮の後悔の念がただ、ゆらりと波打つように揺れて。嗚呼俺の中にでかい虚を空けてくれたな、とアンタの存在の大きさを改めて思い知る。言葉が足らないのなら、わざとアンタのわからない異国語で伝えてやろう。意味を知ったとき、あたふたしながらこちらの顔色を伺う無器用で無器量なアンタが見たかったが、今はもうそれも叶わない。
互いが互いの命を奪うと信じて疑わなかったあの日から、アンタを殺すためだけに空けたこの手に感じる虚無感を片手間に、俺はアンタの姿を探しながら上田の城下を意味もなく歩く。
今日もまっさらな晴天だ。いつかアンタはあんな感じの綺麗な碧空を、俺のようだと言って笑った。けれど町中には、アンタが好んで着ていたような鮮烈な赤色はない。あの赤色はアンタの命を吸って輝き、アンタが死ぬのと同じにぽんと爆ぜた。もう永久に戻らない赤色。
要らないことを喋り過ぎた。感傷の気分だったのだろう。もう、過ぎたことだ。過ぎたことなのだ。畜生。
武田はまだ生きている。辛うじて、だろうが、町民は戦に駈り出された者以外は 甚大な支障があるように見えない。田畑を掘り返す者、修練者、商人、どれもそ う珍しいものじゃない。なのに、あの赤だけがごっそり抜けている。嗚呼、何で 。


「アンタは雑魚じゃなかったはずだろうがよ」


アンタが今の言葉を耳に入れれば、顔を赤くして歯を食い縛り、ぎりぎりと俺を睨んで憤慨するだろう。その瞳の強さに、肌が粟立つのが常になる頃、手遅れだと悟った。鮮紅が蘇る、翻る。


「アンタは鬼じゃなかったのかよ」


戦場の上では、鬼と恐れられた、あの赤。無邪気と同化した、二面性のないアレ。どれもこれもアンタ一人のことだというのに。
死んだのは紅蓮の鬼であって、真田幸村その人ではないと信じずにはいられなかった。















笑葬

百合は、見舞いに供えるには不適な花だと言われる。茎と花の境目が酷く脆く、直ぐ花が落ちることから、花を首に例えて首が落ちるといって縁起の悪いものとされているのだ。京付近の諭しらしいそれを知った元親は、けれど、あまり意に介することはなかった。何故なら、元親の持っていた花は見舞い品というわけではないからだ。
危急を好ということで知らされ、四国から二日半かけて信濃の上田に入ったときには、既に手遅れとなっていた。幎帽を被った幸村と、それをうつ向きながら囲む重鎮と、重苦しい空気の這う薄暗い部屋は歓迎しているとは到底言えない雰囲気で元親を迎えた。勿論こんな状況など、歓迎したくもない。
よくは知らないが、脳味噌に何かあったらしい。突然泡を噴いたかと思うと、倒れてそのまま伏せったとのこと。幸村らしからぬ、病死だと幸村専属の忍頭は悲しそうな顔で皮肉振った。


「俺は口にしたこたァ、覆さねぇクチだ」


燃え上がる幸村の体を見た後、元親は釈然としないまま四国へ帰ることになった。武田が幸村のいた位置の穴埋めを話し合うためである。親しくも同盟国でない元親が逗留するのはあまり賢くない。
四国の地を踏み、元親はそびえる岸壁の上にいた。手に山百合を持って。


「死んだら海に流してやるからってよ」


元親は百合を海に投げうった。百合はひらりひらりと舞い、中空で花と茎が離れていった。あばよと笑い、幸村の首に手を振る。















穢葬

忍のやることなんざ何でも有りだ。寧ろ、奇想天外破天荒な翻弄振りは忍の特権だと思う。だから、誰に扮しようが誰に夜襲をかけようが、身元不明な忍は割と自由である。主に仕えることが前提の話だけれど。
私利私欲に塗れた奴では忍は務まらない。誰かのために、私を滅し道具たるを心得ることのできる者が忍でいることを許される(なろうとする奴など果たしているかどうか)。
一人のために、ただ一人のために。アンタのために命を投げうっても構わない。
















壊葬

真田幸村半壊。
改めて、その不自由さを思い知る。左の手に持たれた包丁を見て、幸村は、ううんと唸った。右手には自家栽培の人参が血だらけで握られている。当然切った人参が血を出したのではない。丸いものは後で、無理してでも右手で切れば良かったと、幸村は早々に後悔した。深く切れた親指から、血がとめどなく、昏々と流れ出ている。懐かしい臭いを嗅ぎ、眉を潜める。知らず高ぶる両の腕を脇で締め、暫し目を瞑った幸村は人参と向き合った。
この重傷の人参を、如何がすれば良いだろう。
武田が上杉に敗れたのは、もう随分と昔のことだ。城下を埋めていた赤色も、今はさっぱり消えている。幸村はそれがやるせなくて悲しかった。もう誰も幸村に笑う顔すら持たないし、この先もう誰も幸村を召し抱えることもない。このまま生き甲斐も無しに、武田の後を治めている上杉の鼻先で死なねばならないのか。


「お主も悪趣味だな」
「何とでも。ただ身勝手に死なれちゃ困るだけだ。武田の後とはいえ、謙信さまの治めるこの地で武田のお前の血を流されたくない」
「無気力に生きろ、と。それこそ酷い。右手の自由のない某が、いつまでもこの地でのさばっていても上杉の火種になるだけぞ」
「そのときは私がお前に引頭を渡してやる」
「…実に、身勝手な女だ」
「それでもお前は生きるんだ」


苛々と幸村はかすがに血だらけの人参を投げつけた。勿論忍として生きている彼女に当たるはずもなく、人参は、するりと天井へ上ったかすがのいた場所に、こつんと音を落とす。
遠くなってゆく気配に、幸村は苛立たしげに包丁を振り下ろした。まだ親指から血が出ている。
真田幸村全壊。
人参がまっぷたつに折れた。















痛葬

体が妙な方向へ捻れている。腕は見たところ一回転しているようだし、脇腹は骨の内側から痛みが昇っていくように広がっている。足の皿は割れているようだ。身動きする都度存在を示す。
痛い。
仰向けになったままで幸村は眉を寄せた。
森の木々が不規則な模様を作り、その僅かな隙間から色をなくした白い空が覗く。雨らしい。時折顔に飛沫がかかる。冷たくて痛みで熱る体には気持ち良かった。
痛い。
幸村は満身創夷で森の真っ只中に転がっていた。手元に槍はない。ここまで転がり落ちるときに、どこかでなくなってしまったのかもしれない。なくすような代物ではないが、今の、痛みにばかり気が行く状態では気付かなくてもおかしくはないだろう。慢心していたと言われればそれまでだが。
このままぱかりと開いた傷を放っておかれるのならば、命にも関わる。しかしこんな深林の中で助けを呼ぼうも聞かれる位置に誰もいない。幸い、敵軍は幸村を死んだものと思っている。助かるかは運次第のようだ。
探してもらえるだろうか。見付けてもらえるだろうか。
痛みと不安がしくしく広がる。幸村は孤独に泣いた。















朽葬

気が付けば墓場にいた。板塔婆がただ不規則に地面に突き刺さっているだけの、とても墓場ともつかないような墓場だった。
屈み込んで板塔婆に書かれた名前を見る。
猿飛佐助。
別のものも見る。
伊達政宗。
これは異なこと妙なこと。この墓場にある板塔婆に書かれている名前は、全て幸村の知っている、若しくは刀を合わせたことのある者であった。果てなく広がる墓場となっている空き地には、この空き地の下には、幸村の知り合い全てが腐敗しながら埋まっているのだ。それはないだろうと、幸村は佐助の板塔婆の下を掘った。見慣れた迷彩模様が見えたとき、幸村はそれ以上掘るのを止めた。土をかけ直して、板塔婆に背を預ける。細長い木造の華奢な板塔婆はそれだけで軋んだ。
幸村は周りを見渡してふと気付いた。幸村の近くに刺さっている板塔婆は、幸村の記憶に新しい人間のものだ。伊達政宗の板塔婆の近くに片倉小十郎の板塔婆がないのが、それを裏打ちしている。数歩離れたそこにある、彼の板塔婆を見通して更に向こうを見る。霧が出て、最奥の板塔婆が隠れる。誰の板塔婆か幸村はわからない。否、忘れてしまったのだろう。
こうして、自分の記憶が朽ちて死んでゆくのを感受するのか。幸村は呆然と中空を見上げた。
またひとつ、板塔婆が消える。代わりににょきりと板塔婆が生えた。半分だけのそれの下を掘ってみると、自分の顔が出てきた。幸村はそれを見て唇を尖らせると、半瞬後に土毎踏みつけた。















守葬

いやぁ道に迷ってさ、京へ帰りたいんだけど道を教えてくれないか。自分は人当たりが良いと自覚している慶次は、けれど友好的なその台詞を口にすることもなく固まった。
人気の一切ない山に建てられた小屋から出てきた胡乱がる顔は、見知った顔だった。


「…アンタ、真田の忍じゃあ」
「前田の」
「先の戦で、死んだばかりだと…ほら、一緒に」


一瞬目が剣呑になった忍は、有無も言わさず慶次を小屋の中へ引き込んだ。


「誰に聞かれてるかもわからないのに、そんなことを軽々しく言わないでよ」
「ん、悪い。んで、アンタ何してるの。草の職は?」
「今は墓守さ。ただ一人のためのね」


聞いて慶次は、とんだ嫌な偶然だと顔をしかめた。線香も何もない内に、墓前に足を運んでいたのだ。真田幸村の墓に。















罪葬

わたしのつみは、むしろわたしがしぬことによってかなしむひとがいてくれるということじゃないでしょうか。ぶんふそうおうなゆめをすてさることをゆるしてくれないのは、おそらくわたしへのばつなのです。
なぜきれいにしねなかったのか。なんのこんせきものこさず、どうしてしねなかったのか。だれもわたしにえいきょうされなければいいのにとおもえど、されどそれはそれで、すこしさびしい。
ごうまんなわたしをどうかゆるして。